その哀れみは自分のためじゃないのか
白川津 中々
◾️
死にそうな猫がいた。
痩せ細り、毛艶も悪く、「にゃあ」となく力もない、哀れな猫である。
普通の人であれば見て見ぬふりをするか餌でも与え、慈しみの強い徳人であれば拾って世話をしてやるだろう。中には蹴り飛ばしたり、弱々しい姿を見てにやけるような恥ずかしい者もいるかもしれないが、果たして僕はどう行動すべきなのか。
黙って見過ごす。これがもっとも正解に近いだろう。猫も野良として生きている。人の助けを借りずに腹を満たす能力がなければ死ぬしかない。正論だが、割り切れない良心が確かにある。餌を与えたい気持ちが、沸々と滲み出る。近くのコンビニでペットフードを買い与えてやろうか。一瞬思考がそう傾くも、その餌付けによって猫が自身の力で狩りができなくなってしまったら。怠惰に塗れ、往来で人に餌をねだるような小賢しさを学習してしまったらそれは、この猫のためにならない。心を改め、思い直す。では、この哀れな猫にとどめを刺してやる事こそが真の慈しみではないか。もう長くなく、生きていればそれだけ苦しみがある。ならばいっそ楽にしてやるのが人の道かもしれない。僕に命を奪う権利があるのか。必死で生きている猫の息の根を止める使命が僕にあるのだろうか。ない。ないのだ。僕にそんな力はない。ならば死にゆく猫の最後をコメディとして消化してやる事がせめてもの弔いになるかもしれない。いいや、僕にはできない。それはあまりに、悪辣過ぎる。
「……あ」
猫が動かなくなった。触ってみると、ぐたりとしてまったく反応がない。なんという事だろう。猫が死んでしまった。僕はこの猫を助けられる立場にいながら、猫ではなく自身の価値観や感情のみを優先して干渉する事を恐れ見殺しにしてしまったのだ。
僕は泣きながら市役所に電話して死体を処理してもらった。作業員に「飼い猫ですか」と聞かれた際、「そうするつもりでした」と嘯いてしまう自分が余りに哀れで、情けなく思えた。
その哀れみは自分のためじゃないのか 白川津 中々 @taka1212384
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます