第5話 彼がいない戦場

アルトゥールが次の戦線へ向かってから、二日が経過していた。

北方丘陵の戦場は静まり返り、氷の名残もすでに消えつつある。


しかし、王国軍の別方面――南部平原では、状況が一変していた。


「前線が押されています!」

「加護持ちの介入を確認! 予測が噛み合いません!」


伝令の声が、司令部に響く。

地図の上では、敵軍の動きが不自然なほど正確だった。

未来を読んでいる。

それも、複数の加護が重なった高度なものだ。


指揮官の一人が、歯噛みする。


「……アルトゥール閣下がいれば」


誰もが同じことを思っていた。

だが、彼は今ここにいない。


前線では、兵士たちが必死に踏みとどまっていた。

ルカもその一人だ。

彼は盾を構えながら、迫り来る敵を睨みつける。


「くそ……動きが読まれてる……!」


敵は一歩先を行く。

攻撃のタイミング、退路、援護の位置。

すべてが、まるで事前に決められていたかのようだった。


氷はない。

あの絶対的な境界も、戦場の静寂も存在しない。


「後退! 隊列を保て!」


指揮官の声が飛ぶが、遅い。

未来を読まれている以上、命令は常に半拍遅れる。


その瞬間、ルカは痛感した。

――あの人は、前線を強くしていたんじゃない。

――未来そのものを、成立させていなかったんだ。


別戦線を移動中のアルトゥールは、馬上で目を閉じていた。

魂の奥が、わずかにざわつく。


「……歪みが出始めたか」


副官が即座に反応する。


「南部戦線ですね。

 閣下が離れてから、加護持ちの干渉が急増しています」


「予想通りだ」


アルトゥールの声は静かだった。

彼が戦場に立つということは、世界法則の一部を直接管理するということだ。

それが欠ければ、当然、その隙間を突こうとする者が現れる。


だが同時に、それは明確な事実を突きつけていた。


――彼がいなければ、戦争は不安定になる。

――彼がい続ければ、戦争は終わらない。


アルトゥールは目を開き、遠くを見据える。


「南部へ進路を変更する。

 最短で着け」


副官は一瞬だけ、迷いを見せた。


「……よろしいのですか?

 このペースでは、閣下の消耗が――」


「分かっている」


短い返答。

だが、その言葉には迷いがなかった。


戦場は、彼を必要としている。

それが、管理者としての役割だ。


だが同時に、アルトゥールの中で、ある思考がはっきりと形を成し始めていた。


――いつか、この役目は終わらせなければならない。

――誰かが、代わりに戦場を「普通」にしなければならない。


馬は速度を上げる。

次の戦場へ向かうその背中は、依然として揺るぎない。


だが、その歩みは確実に、終わりへと近づいていた。

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