第4話 管理者の代償
戦場の後処理は、常に遅れてやってくる。
勝利が確定したあとに残るのは、凍りついた地面と、動かなくなった敵兵、そして安堵と疲労が入り混じった兵士たちだった。
氷はまだ溶けきっていない。
アルトゥールが引いた氷結線は、戦闘終了後も一定時間その形を保ち続ける。
それは意図的なものだった。敵が完全に撤退したことを、世界そのものに刻み込むための処理だ。
「負傷者の回収を優先しろ。
氷結域の内部には、無理に入るな」
副官の声が冷静に響く。
兵士たちは素直に従い、一定の距離を保ったまま作業を進める。
この距離感も、長年の経験で自然に身についたものだった。
アルトゥールは一歩、二歩と歩き、戦場の端で立ち止まった。
その足取りは安定しているが、わずかに呼吸が深い。
――消耗している。
副官はそれを見逃さなかった。
だが、声はかけない。
今の彼に必要なのは報告ではなく、時間だと分かっている。
若い兵士たちは、氷に覆われた地面を見て小声で話していた。
「なあ……この氷、いつ溶けるんだ?」
「さあ……でも、閣下がいなくなったら一気にじゃないか?」
その言葉に、ルカははっとして口を閉ざす。
アルトゥールが「いなくなる」という発想自体が、どこか不敬に感じられた。
だが――
アルトゥール自身は、その考えを否定しなかった。
彼は戦場を見渡し、静かに目を閉じる。
魂の奥が、わずかに軋む感覚があった。
大きな力を使ったわけではない。時間停止も、極端な干渉もしていない。
それでも、確実に「摩耗」は蓄積している。
可動する管理者。
世界法則に縛られず、戦場を渡り歩く存在。
その最適解は、同時に消耗品でもあった。
「……戦況は安定したな」
アルトゥールの呟きは、誰に向けたものでもない。
副官が一歩近づく。
「はい。敵軍は完全に撤退。
次の戦線まで、三日は余裕があります」
「三日か……」
短い沈黙。
アルトゥールは空を見上げる。霧は晴れ、青空が広がっていた。
戦争は、まだ続いている。
だが、この戦場で彼が担うべき役割は、すでに終わっていた。
氷結線が、ゆっくりと音を立てて崩れ始める。
それは命令ではない。
「ここまででいい」という、世界側の了承だった。
兵士たちはその様子を見て、無言になる。
誰もが理解している。
この男が一歩引けば、戦場は完全に動き出すのだと。
アルトゥールは踵を返す。
「移動準備をしろ。
次の戦線へ向かう」
その背中を見送りながら、ルカは思った。
――この人は、いつまで戦場に立ち続けるんだ?
その問いに答えを出せる者は、まだ誰もいなかった。
だが確かに、管理者の役割は永遠ではない。
氷が溶けるように、いつか必ず終わりが来る。
戦争は続く。
しかし、アルトゥール・フォン・ヴァルグリムの時間は、静かに減り始めていた。
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