第4話 最初の洗礼は馬車地獄。揺れる車中と揺らぐ常識


 霧が立ち込めるような深い森の中を、2頭立ての豪華な馬車が走り抜けていく。

 上質な木材であつらえられた優美な車体には金箔を用いた精緻な装飾がふんだんにあしらわれ、側扉と後方にヴァルフェリア家の家紋が品格を保ちつつも権威を誇示したまさに走る美術品。

 侯爵家の馬車が森の中を走る様は、さながら一幅の絵画のような美しさである。


 と、一見したら御伽噺に出てくるような馬車の優雅なクルージングに思えるが、実際には優雅さなんてものは欠片もないトラック移送以下の代物。

 乗った当初こそ肌触り良くふかふかなウールのソファーに金糸が織り込まれたシルクのカーテン、ウォールナットのような本目パネルとベルベッドがふんだんにあしらわれた豪華な内装に目を惹かれ、生まれて初めて乗る馬車にワクワクしたが動き出した途端に幻想は音を立てて崩れ去た。


 贅を凝らした車体や内装とは裏腹にサスペンションのような気の利いた装備は付いておらず、木製のリムに巻かれた鉄の車輪は路面の凹凸をダイレクトに伝える。そして肝心の道路ときたら砂利すら撒いていない未舗装路、字面通りの酷道かつ険道で、馬車は悪路を踏破せんと揺れる揺れる。

 縦ロールも麗しい目も覚めるような美少女なレオノーラに「町まで乗せて差し上げるわ」と言われてホイホイ従ったまでは良かったが、乗って5分と経たたずしてあまりの乗り心地の酷さに激しく後悔することになったのである。


 揺れる車内はまるで起震車さながら。

 大震災クラスの揺れを走りながら体感しているのだから、まともに座っていられるはずがない。


「うっ! わっ! だーっ!」


 凹凸を拾って馬車が揺れるたびに四方八方にシェイクされ、優理の身体はダンシングフラワー(※平成の遺物)の如く上下左右にグルグル廻る。


 そんな酷い状況にもかかわらず、対面に座るレオノーラときたら涼しい顔。時おり車外を指さしながら「ほら、あそこを見て」と、ユウリ相手に観光ガイドをするくらいのタフネスぶり。同乗する執事のバットラーに至っては、細かな文字がビッシリ詰まった書類を読んでいるのだからコイツ等の三半規管は化け物か?


「こんな、揺れる、乗り物に乗って、よく、平気で、いられるな?」


 舌を噛みそうな激しい揺れの中で息も切れ切れに尋ねると、二人とも目をテンにして心底不思議そうな顔。


「馬車が揺れるのは当然でしょ」

「森の中を走っていますので、多少の揺れはしかたがないかと」


 馬車なんだからこのくらいの揺れは常識と普段通りに振る舞い、むしろ息も絶え絶えな優理こそが大げさだと言わんばかり。


「揺れるにしたって、限度ってものが、あるだろう」


 オフロード車で林間ダートを走ってもここまで揺れやしない。


「この程度で大げさね」


 レオノーラがコロコロと笑うと、まるで何かを思い出したかのようにバットラーが「ふつうの庶民は馬車に乗りませんな」と斜め上の回答。


「そう言えばそうね」


 レオノーラがポンと手を叩いて納得し「馬車とはこういう乗り物です」とバットラーに締められる。

「……ダメだ。コイツら根本的におかしい」


 正確には単に馬車に乗り慣れているだけなのだが、事実を知らないユウリは宇宙人でも見るまなざしで二人を見つめる。

 その間にも三半規管はゴリゴリと痛めつけられ、目が回って胸焼けがどんどんと酷くなる。

 どうしてこうなった? もさることながら、ユウリにとっていま大事なのはこの車内でゲロを吐かないこと。ウールの座席やベルベットの内装に撒き散らしたら、弁済額がどれ程になるのか考えただけでもゾッとする。


「到着、まで……あと、どれ、くらい?」


 喉元に迫る嘔吐物を抑え込みつつ訊くユウリに「日暮れまでには着きますわよ」とレオノーラの無情の宣告。


「残り半日ほどですな」


 冷酷に告げるバットラーが止めを刺し、酔い止めを持っていないユウリが神を呪ったのは言うまでもない。



    *



 そんなこんなで馬車に揺られて半日余り。

 着いたところが、森林の町オーガスタ。

 人口はおよそ2万人。町の規模としては中の下か下の上という、典型的な地方の拠点都市である。


「とはいえ、オーガスタは単なる田舎町ではないわ。確かに王都に連なる主だった街道からは外れているので交通の面から言えば辺境の地にあたるかも知れないけれど、オーガスタは町の周囲に広大な森をいくつも抱えた狩猟と採取の一大拠点。そこから得られる富は王国内でも十指に入るほど莫大なものなのよ」


 車窓を流れるオーガスタの街並みを横目に見ながらレオノーラが自慢げに解説をするが、三半規管を痛めつけられ疲労困憊の優理にとってそれらは単なるBGM。ただのノイズとして右の耳から左の耳へと素通りするだけで、海馬に何かを刻まれることもない。


「はあ」


合いの手よろしく相づちを打つが、これも単なる脊髄反射。鼻高々に得々と語るレオノーラに合わせて、赤べこのように首を縦に振っているだけである。


「そのオーガスタを拝領しているのが我がヴァルフェリア侯爵家。わたくしがこの町に赴いたのは、領主である父の名代として町を治める代官の監査をする仕事を賜ったからですのよ」

「はあ」

「わたくしに監査の仕事があるからって、ユウリは心配いらなくてよ。侯爵家の名において、アナタの保護はわたくしが責任をもって執り行うから」

「はあ」 


 なのでレオノーラの「遅くなったことだし、今日はユウリも一緒に泊まりなさい」の声にも上の空。

 ぼーっとしたまま適当に「はあ」と答えていると、馬車はそのまま市街地を数分走りとある宿の前で停車する。そうして着いた宿を前にして優理は「えっ? なに、なに、どういうこと!」とやっと我に返って狼狽えたのである。


「言ったでしょう? 今日はここに泊まるって」

「聞いてねー! というか、聞いてなかった」


 声が震えるのも当然か。

 侯爵令嬢たるレオノーラが泊まる宿舎ともなれば、当然ながらオーガスタいちばんの高級宿。その辺りの安宿とは一線を画し、高校生の優理には敷居が少々高すぎる。


「さあ、入るわよ」

「ダメダメ、ムリムリ。こんな高い宿に泊まる金なんか持っていない」 


 それどころか素寒貧な無一文。

 金目の持ち物なんか一切ないし、ポケットの中身は空気しか入っていない。懐具合は危機どころか絶望的状況なのだ。

 なので宿泊はムリだと両手を振って断ると、レオノーラが「わたくしに恥をかかせる気?」と逆ギレ。


「町まで連れてきてポイなど、ヴァルフェリア家の娘として言語道断な所業。連れて行くと決めたのなら、ユウリが自立するまで責任をもって世話しますわよ。アナタは余計なことを考えずに、黙って宿に泊まりなさい」

「いや、でも……」

「高い宿だからと気後れするのなら、心配無用よ。ユウリが泊まるのは、わたくしと同じ部屋なんですから」


 それは安心……んな訳あるか!


「いやいやいやいや。さすがにそれは拙いでしょう」


 それはダメだと固辞すると、レオノーラが「はあ、なにを言っているの?」と怪訝な表情。


「ほら、男女七歳にして席を同じゅうせずと言うし……」

「女の子同士じゃない」

「じゃなくて、オレは男」

「その姿のどこが?」

「だーかーらー」

「つまらない冗談はいいから、とっとと宿に入りなさい」

 

 結局ヒルデに背中を摘ままれて、優理はホテルにチェックイン。

 学習しない男であった。




――――――――――――




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