第9話:成層圏の決戦
第9話:成層圏の決戦
高度三万メートル。空はもはや青ではなく、宇宙の深淵を予感させる黒へと変色していた。
特殊輸送機の貨物室、剥き出しの鉄板の上で、末光真大は激しい振動に耐えていた。 気圧の変化で耳の奥が痛み、酸素マスク越しに吸い込む空気は、ゴムと機械油が混じったような、無機質な味がする。
「末光さん! 外部気温、上昇を続けています! 八十度……九十度! 機体が保ちません!」
操縦席から通信機越しに叫ぶのは、自衛隊のパイロットだ。 彼らの背後には、ルナが異世界から呼び寄せた数人の「風の魔導騎士」たちがいた。 彼らは祈るように手を掲げ、魔法の障壁で機体を熱波から守っている。
「……あと少し。あと数百メートル、高度を上げてくれ!」
末光は、膝の上に置かれた「コア・モジュール」を抱きしめた。 それは、SPACECOOLのナノ粒子を、異世界の魔力伝導体で編み上げた、究極の「起点」となるフィルムだ。
「末光、案ずるな。風は我らが支える」
ルナが末光の隣に膝をつき、彼の震える手を上から重ねた。 彼女の鎧は熱を浴びて白く輝き、その隙間から覗く肌には、汗が真珠のように浮いている。
「ルナ……。怖いか?」
「……。否。私は今、かつてないほど清々しい気分だ。科学と魔法、二つの世界の知恵が、一人の男の背中に託されている。その姿を一番近くで見ているのだからな」
彼女の力強い言葉が、末光の震えを止める。 その時、機体が大きく傾いた。 眼下の「熱の門」から、プロメテウスの放った巨大な熱エネルギーの塊——「火龍」が追撃してきたのだ。
「全機、散開! 騎士団は障壁を最大展開せよ!」
護衛のF-35戦闘機隊が、熱の龍に向かってミサイルを放つ。 現代兵器の火薬が爆ぜ、そこに騎士たちの氷の魔法が交差する。 科学と魔法の共闘。それは、滅びゆく地球が、最後に絞り出した生存本能の叫びだった。
「今だ! ハッチを開けろ!」
末光の合図とともに、輸送機の後部ハッチが轟音を立てて開いた。 瞬間、機内に氷点下と灼熱が同時に流れ込む。 末光は命綱一本で、成層圏の虚空へとその身を乗り出した。
視界の下には、熱波で赤く濁り、砂漠化が進む無惨な地球の姿があった。 そして頭上には、冷たく、どこまでも静かな漆黒の宇宙。
「……行け、SPACECOOL。星の熱を、空の窓へ!」
末光は、コア・モジュールを虚空へと放り出した。 ルナが同時に叫び、剣を天に突き立てる。 「エイドス・サイクル、起動! 万物に宿る熱を、銀の翼へと捧げよ!」
放たれたフィルムが、物理法則を無視して爆発的に広がり始めた。 ナノ粒子の一粒一粒が、ルナの魔力によって座標を固定され、分子レベルの「鏡」へと成長していく。 それは、地球を丸ごと包み込む、銀色の薄いベール。
「……計算通りだ。熱力学第二法則を、魔法でバイパスする……」
末光の目から、溢れた涙が瞬時に気化して消える。 銀色の膜が空を覆い尽くした瞬間、地上の喧騒が消えた気がした。 膜に触れたプロメテウスの魔熱が、一滴の残らず「青い光」へと変換され、宇宙の彼方へと吸い込まれていく。
「見ろ、末光! 空が……銀色の海に変わる!」
ルナの感嘆の声。 成層圏に展開された巨大なSPACECOOLの膜が、太陽光を適度に遮りつつ、地上の廃熱を真空へと排出し始めた。 それは、人類が初めて自らの手で完成させた「惑星規模の呼吸器」だった。
「……ああ。これで、地球が息をつける」
末光は、激しい脱力感の中で、銀色に輝く空を見上げた。 極限の寒さと、守り抜いた温かさ。 二つの感覚が混じり合い、彼の意識は、静かな凪(なぎ)へと沈んでいった。
第9話 完
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