第7話:開発者としての葛藤
第7話:開発者としての葛藤
東京に一時の涼風が吹き抜けた翌日。
末光真大は、誰もいない実験室の片隅で、ボロボロになった試作フィルムを見つめていた。
昨日の勝利は、確かに街を救った。
しかし、末光の心には、底の見えない沼のような違和感が沈んでいた。
「……捨てているだけじゃないのか、俺は」
末光の呟きが、静かな室内に虚しく響く。
放射冷却。
それは、宇宙という広大な領域に、地球の厄介者を押し付けているだけではないのか。
「末光、顔色が悪いぞ。少しは休んだらどうだ」
ルナが背後から声をかけた。
彼女は異世界の騎士としての装いを解き、末光が貸したオーバーサイズのパーカーを着ている。
その姿はどこにでもある少女のようだが、瞳に宿る銀色の輝きは、未だ鋭く世界を見据えていた。
「ルナ。君の世界も、誰かが捨てた『魔力の熱』で滅びかけていると言ったな」
「……ああ。遥か昔、我らが世界の賢者たちは、便利な力として魔力を使い、その排熱を大地の奥底に封じ込めた。それが今、溢れ出している」
ルナの言葉が、末光の胸に冷たい棘を刺す。
「同じじゃないか。俺がやっていることも。今、俺たちが宇宙へ逃がしている膨大な熱は、いつか、どこかで、誰かを焼くことになるんじゃないのか?」
末光は、自らの発明が、遠い未来への「負債」を積み上げている恐怖に震えた。
科学者としての良心が、彼を内側から責め立てる。
「捨てる」という解決策は、本質的な救いではなく、単なる先送りに過ぎないのではないか。
その時、実験室のモニターが不快なノイズを撒き散らした。
「……甘いな、末光博士」
スピーカーから漏れ出たのは、組織『プロメテウス』の首領、ヴァルカンの嘲笑だった。
「熱はエネルギーだ。それをただ宇宙へ捨て去るなど、資源に対する最大の冒涜だとは思わないか?」
「ヴァルカン……!」
「我々は、お前が捨てた熱を『回収』し、新たな力に変える。お前が冷やせば冷やすほど、我々の『集熱衛星』は莫大な電力を蓄え、世界を塗り替える火を養うのだよ」
ヴァルカンの声と共に、高解像度の衛星画像が映し出された。
そこには、末光たちが放熱を行った成層圏の「出口」を狙うように、プロメテウスの巨大なパネルが集結していた。
末光が善意で逃がした熱が、悪意によって再び兵器の糧にされている。
「……私の、せいだ」
末光は崩れ落ちるように膝をついた。
救おうとした手が、皮肉にも滅びの速度を上げている。
「違う、末光! 貴殿が始めたのは『拒絶』ではないはずだ!」
ルナが末光の肩を強く掴み、無理やり顔を上げさせた。
パーカーの袖から覗く彼女の指先は、戦いの傷跡で荒れていた。
「貴殿は言っただろう。宇宙と地上を結ぶ『窓』を作ったのだと。窓は、一方通行である必要はない。違うか?」
ルナの力強い視線が、末光の思考を覆っていた霧を、激しく晴らしていく。
「……そうだ。捨てるから、奪われるんだ」
末光の脳内に、新しい数式が、今までとは違う鮮やかな色で描き出されていく。
「放射冷却を、単なる一方通行の『放熱』で終わらせない……。宇宙の絶対零度という『負のエネルギー』を、地上の熱と衝突させる。その落差そのものを、新しい動力にするんだ」
熱を捨てるのではなく、熱を回す。
地球という小さな器を飛び出し、宇宙という無限の外部を含めた、壮大な「熱循環(ヒート・サイクル)」の構築。
末光は、痺れた指先で狂ったようにキーボードを叩き始めた。
「ヴァルカン。あんたに熱は渡さない。この星の熱は、この星を動かすための『光』に変換してみせる」
開発者としての葛藤は、激しい決意へと昇華した。
彼はもう、ただ一方的に冷やすだけの研究者ではない。
宇宙の深淵を触媒に、星の呼吸を整える「調律者」としての道を歩み始めたのだ。
「ルナ。次は、フィルムを『発電機』に変える。準備はいいか?」
「ああ。貴殿の描く未来なら、喜んでこの剣を捧げよう」
実験室に、再び希望の熱が灯る。
それは、太陽よりも静かで、誰よりも温かい発明の鼓動だった。
第7話 完
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