第6話:絶対零度の絆

第6話:絶対零度の絆


「……熱いな。皮肉なもんだ、心臓だけはこんなに燃えている」


末光真大は、倒壊した街灯に背を預け、自嘲気味に笑った。


右腕は過酷な冷却の反動で凍りつき、もはや感覚が消失している。


一方で、周囲を囲む「熱の残滓」は、逃げ遅れた人々の恐怖を餌にして、再びその密度を増していた。


東京は、もはや一つの巨大な高炉だった。


ヒート・エレメンタルの残党が、路地裏の湿った熱気を吸い込み、あちこちで陽炎の鎌首をもたげている。


アスファルトの焼ける臭いと、焦燥感が混じり合い、肺を圧迫した。


「末光、しっかりしろ! 貴殿が倒れれば、この世界の『窓』は完全に閉ざされる!」


ルナが末光の肩を抱き寄せ、銀色のマントで彼を包み込んだ。


マントの内側からは、彼女の微かな体温と、張り詰めた緊張の匂いが伝わってくる。


だが、そのマントも限界だった。絶え間ない吸熱により、かつての銀色の輝きは煤けた灰色に変色し始めていた。


「ルナ……俺は、間違っていたのかもしれない」末光が弱々しく呟く。


「何を言う!」


「物理的なフィルムだけじゃ、足りないんだ。熱を宇宙へ逃がすには、受け入れ側の『座標』を、もっと強固に固定しなきゃいけない。 ……だが、この混乱だ。誰もがパニックに陥り、熱波に理性を焼かれている。 この『負の熱量』が、フィルムの波長を狂わせているんだ」


末光は絶望に近い思いで周囲を見渡した。


避難所で泣き叫ぶ子供たち、苛立ちから衝突を起こす大人たち。


その負の感情が空気の振動を乱し、精密な放射冷却の効率を著しく低下させていた。


科学だけでは、この混沌を制御しきれない。


「末光さん、これ……使ってください!」


瓦礫を掻き分けて現れた佐藤が、ボロボロになったタブレット端末を差し出した。


画面には、SNSやニュースサイトのタイムラインが映し出されている。


そこには、末光たちの戦いを見た人々が、絶望の中で必死に「冷静さ」を呼びかける言葉が並んでいた。


『みんな、落ち着いて! 扇風機を回すな、今は無駄なエネルギーを使うな!』


『深呼吸して。熱に負けちゃダメだ。あの銀色の光を信じよう』


「……見てください。みんな、戦ってる。自分の中の『熱』と」


佐藤の言葉に、末光の瞳に再び光が宿った。


「そうか……放射冷却は、静寂の物理学だ。観測者である人間の心が凪げば、世界の波長も同調する……」


末光は震える左手で、懐から最後の試作チップを取り出した。


それは、ルナの故郷の鉱石とSPACECOOLを融合させた、科学と魔法のハイブリッド・デバイス。


彼は確信した。技術と精神、その両輪が揃って初めて、宇宙の窓は真に開くのだと。


「ルナ、君の剣を貸してくれ。それから……みんなの『理性』を、俺に貸してくれ」


末光はルナの剣の柄を握り、デバイスを刀身の核に叩き込んだ。


その瞬間、末光の意識が拡張された。


ネットを通じて繋がる無数の人々の、静かな願い。


それは「涼しくありたい」という切実な欲望を超えた、「冷静でありたい」という強固な意志のうねりだった。


「……計算、完了だ。絶対零度は、外にあるんじゃない。俺たちの心の中に、最初からあったんだ!」


末光が叫ぶと、ルナの剣から目も眩むような「絶対的な白」の光が放たれた。


それは破壊の光ではない。


この空間にあるすべての分子運動を、あるべき静止状態へと導く、福音の光。


実体化しかけていたヒート・エレメンタルが、その光に触れた瞬間、悲鳴を上げて凍結した。


いや、凍結ではない。


その本質である「熱」そのものを、末光が設定した宇宙の深淵の座標へと、一気にバイパスさせたのだ。


「捨て場は固定した! 行け、宇宙の果て、何も存在しない静寂の場所へ!」


末光の脳裏に、数式の連鎖が走る。


放射冷却の基本式が、人々の想いという変数を得て、無限大の解を導き出す。


ドォォォォン!


音もなく、大気が爆発した。


東京上空を覆っていた赤黒い雲が、巨大な円形に切り取られた。


その穴の向こう側に、昼間だというのに満天の星空が顔を出した。


そこから降り注いだのは、奇跡のような「涼風」だった。


「……涼しい。本当に、風が吹いてる」


佐藤が、空を仰いで涙を流す。


熱に焼かれていたアスファルトから蒸気が立ち上り、打ち水をした後のような、しっとりとした冷気が街を包み込んでいく。


ルナも、大剣を地面に突き立て、荒い息をつきながら微笑んだ。


「見事だ、末光。……貴殿の言う『理性』という名の魔法。私の世界にも、伝えてやりたいものだな」


末光は、感覚の戻り始めた右腕をさすりながら、その涼風を全身で受け止めた。


「ああ。でも、これはまだ一時的な処置だ。人々の心が凪いでいる、今のうちだけ……」


街には、どこからともなく拍手が湧き起こっていた。


しかし、その歓喜の輪から遠く離れた場所で、末光は見た。


空に開いた「窓」の向こう側で、より巨大な、どす黒い太陽のような影がこちらを睨んでいるのを。


「……プロメテウス。次で、決着をつけよう」


末光真大の頬をなでる風は冷たかったが、その胸の奥にある「冷徹な炎」は、かつてないほど激しく燃え上がっていた。


第6話 完


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