第5話:オーバーヒートする都市
第5話:オーバーヒートする都市
新幹線が品川駅に滑り込んだ瞬間、末光真大を襲ったのは「空気」ではなかった。それは、物理的な質量を持った「熱の壁」だった。
「……っ、なんだ、これは。息ができない」
駅のホームに降り立った佐藤が、膝をついて激しく咳き込む。 自動改札のプラスチックは飴細工のように歪み、電光掲示板は熱暴走を起こして無意味なノイズを垂れ流している。駅の外から流れ込んでくるのは、焦げたゴムと、沸騰した都市が発する断末魔の匂いだ。
「末光、離れるな! この熱……ただの気象現象ではないぞ!」
背後でルナが鋭く叫ぶ。彼女は、末光が急造した「SPACECOOL・タクティカルマント」を羽織っていた。銀色に輝くそのマントは、周囲の熱を凄まじい勢いで宇宙へと吸い上げ、彼女の周囲にだけ、奇跡のような薄氷の結界を作り出している。
「ああ、分かっている。プロメテウスが『門』を無理やりこじ開けやがったんだ」
末光自身も、試作フィルムを裏打ちした白衣を纏い、ハンディ型の赤外線サーモグラフィを構えた。画面は全域が真っ赤に振り切れ、警告音が悲鳴のように鳴り続けている。
「52.4度……。東京が、茹であがっている」
駅を出ると、そこは光り輝く地獄だった。 国道15号のアスファルトは真っ黒な泥沼と化し、放置された車のタイヤが溶けて地面に癒着している。逃げ遅れた人々は地下へと潜り、地上に残されたのは、揺らめく陽炎だけだった。
だが、その陽炎が、意志を持って蠢き始めた。
「……あそこに、何かがいる」
末光が指差した先。銀座方面の交差点で、大気が渦を巻き、巨大な人型のシルエットが形成されていた。それは炎ではない。超高温の空気が密度を増し、周囲の瓦礫や溶けたガラスを核として取り込んだ、熱の化身——「ヒート・エレメンタル」だ。
『オォォ……アツィ……熱を……寄越セ……』
魔物が咆哮するたび、周囲のビルの窓ガラスが熱割れを起こして降り注ぐ。
「ルナ、あれは君の世界の……!」 「ああ、魔熱の滓(かす)が、この世界の物質を依り代にして実体化したものだ! 放っておけば、この都市の熱をすべて喰らい尽くし、太陽そのもののような災厄になる!」
ルナが大剣を引き抜く。だが、刀身が空気に触れた瞬間、ジッという不快な蒸発音が響いた。
「くっ、熱気が強すぎる! 聖騎士の加護があっても、近づく前に私の意識が焼かれるぞ!」
「なら、これを使え!」
末光は、背負っていたバックパックから、一本の太い高圧ホースを取り出した。それは自作の「放射冷却キャノン」——フィルムの積層構造を円筒状に配置し、内部を通る空気を瞬時に絶対零度近くまで冷却して噴射する、未完成の試作品だ。
「末光さん! それ、まだ連続稼働テストしてないんですよ! 暴発したらあんたの腕が凍りつく!」 佐藤が叫ぶが、末光はキャノンを肩に担ぎ、魔物へと突きつけた。
「理論は完璧だ。宇宙の冷気を、今ここで引きずり出す!」
末光がトリガーを引くと、キャノンの銃口から「透明な衝撃波」が放たれた。 それは氷の粒ではない。熱エネルギーそのものを虚無へと吸い込む、死の風。 魔物の右腕に直撃した瞬間、赤く燃えていた陽炎が、一瞬で「消失」した。
『ギィ、ヤァァァァァ!』
「今だ、ルナ! 懐に潜り込め!」
「応ッ!」
末光が作り出した冷気の道を、銀色のマントをなびかせたルナが疾走する。 溶けたアスファルトを、彼女の足元に生じる霜が凍らせ、道を作る。
「私の故郷を焼いた熱よ……星の彼方へ去るがいい!」
ルナの剣が、魔物の胸にある「核」を貫いた。 同時に、末光はキャノンの出力を最大に上げる。マントと、剣と、キャノン。三つの「SPACECOOL」が共鳴し、東京の空に、巨大な銀色の魔法陣が浮かび上がった。
それは、大気圏を突き抜ける「熱のバイパス」。 数秒間、ヒート・エレメンタルを構成していた数千万キロカロリーの熱が、一筋の光柱となって成層圏の向こう側へと吸い込まれていった。
……。 ……静寂。
魔物は霧散し、あたりには、急速に冷却されたアスファルトがパキパキと鳴る音だけが残った。 気温は一気に30度まで下がり、焼けるようだった風が、秋の終わりのような涼しさに変わる。
「……やった、のか?」 佐藤が、煤まみれの顔を上げて呟く。
末光は、熱を放出しきって真っ白に白化したキャノンを地面に置いた。 右腕の感覚はない。過酷な冷却の代償として、深刻な凍傷に近い状態だ。しかし、彼は震える手で、空を見上げた。
「……いや。これはまだ、始まりに過ぎない」
空を見上げると、さらに巨大な「熱の歪み」が、新宿、渋谷、そして皇居の上空へと広がっていくのが見えた。 一つを消しても、プロメテウスが強制的に開いている「門」が閉まらない限り、この連鎖は止まらない。
「末光……手が、震えているぞ」 ルナが心配そうに彼の腕を取る。
「大丈夫だ。冷やすべき熱があるなら、俺のペンは止まらない」
末光は、自分を囲む銀色のマントを強く握りしめた。 「佐藤、次のフィルムを準備しろ。もっと大きく、もっと薄く。……地球丸ごと包めるくらいの、究極のベールが必要だ」
熱狂に浮かされる都市の真ん中で、末光真大の瞳だけが、誰よりも冷たく、そして熱く、次なる数式を追い求めていた。
第5話 完
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