第4話:ブラックマーケットの影
第4話:ブラックマーケットの影
大阪の街を包む夕闇は、不気味なほどに赤かった。 SPACECOOLの実験室では、ルナがソファに座り、物珍しそうにスマートフォンを眺めている。彼女の銀髪が液晶の光を反射して、幻想的な輝きを放っていた。
「……末光。この箱から流れる音楽は、精霊の歌声か? それとも、誰かの魂を閉じ込めているのか」 「それはただのデータだよ、ルナ。……それより、こっちのデータを見てくれ」
末光真大は、メインモニターに映し出された不審なアクセスログを指差した。 「ここ数日、社内のサーバーに執拗な攻撃(アタック)がある。それも、冷却理論の深部……特に、熱を『指向性を持って放出する』プロセスに集中しているんだ」
その時、自動ドアが音もなく開き、一人の男が入ってきた。 仕立ての良いチャコールグレーのスーツを纏い、顔には彫刻のように冷徹な笑みを浮かべている。男の背後には、威圧感のある大柄な黒服が二人、影のように従っていた。
「素晴らしい研究室だ。……そして、噂通りの美しい『護衛』もいる」
男の声は、滑らかで、それでいて蛇が這うような粘り気を含んでいた。
「誰だ。許可なく入るな」 末光が鋭く制するが、男は構わずに歩み寄り、デスクに置かれたSPACECOOLの試作サンプルを、愛おしそうに指先でなぞった。
「失礼。私は『プロメテウス』の広報官を務める者です。末光博士、あなたの発明は、人類の歴史を塗り替える。……ただし、我々のやり方であれば、ですがね」
「プロメテウス……。あの、新エネルギー開発を隠れ蓑にした軍需コンサルか」 佐藤が震える声で補足する。
「お言葉ですが、佐藤さん。我々は『平和』を創っているのです」 男は末光の目をまっすぐに見つめた。 「博士、あなたのSPACECOOLは、熱を一方的に宇宙へ捨てる。では、その『捨てる経路』を極限まで絞り、一点に凝縮したらどうなるか、考えたことはありますか?」
末光の背筋に、冷たい氷の柱が走った。 「……指向性放射。理論上は、放出される熱エネルギーを一本の束にできるが……」
「そうです! それはもはや冷却素材ではない。宇宙の絶対零度を『引き寄せる』と同時に、標的の熱を瞬時に奪い去る、あるいは莫大な排熱エネルギーをレーザーのように照射する——史上最強の『熱線兵器』だ。核兵器のような汚染も、火薬のような音もない。静寂の中で敵を炭にする、究極の慈悲ですよ」
「……断る」 末光の声は、低く、重かった。
「何ですって?」
「この技術は、星を冷やすために作った。誰かの家を焼いたり、命を奪ったりするために、俺は人生を捧げてきたんじゃない。熱は、憎しみの種にするもんじゃないんだ。ただ、あるべき場所に還して、命を繋ぐためにあるべきだ」
「理想論ですね、博士。だが、力なき理想は、ただの幻想だ」 男の合図とともに、背後の黒服たちが懐に手を伸ばした。
その瞬間、室内の空気が「凍りついた」。
「……これ以上、この男に近づくことは許さぬ」
いつの間にかルナが末光の前に立っていた。彼女の手には、鞘に収まったままの大剣がある。ルナの瞳からは感情が消え、戦場を支配する「静寂の怒り」が溢れ出していた。
「地の人よ。お前たちの言葉からは、あの異世界の叛徒たちと同じ、『焼き尽くす欲望』の臭いがする」
「ほう、それが噂の……。やれ」
黒服の一人が、電磁警棒のような特殊兵器をルナへ突き出した。 だが、ルナは動かない。彼女が軽く足踏みをした瞬間、足元から放射状に「銀の紋章」が広がった。それは末光が開発したフィルムと同じ、放射冷却の幾何学模様だった。
キン、という高い音が響く。 襲いかかった黒服の腕が、触れてもいないのに真っ白な霜に覆われ、動かなくなった。
「何っ!? 凍りついた……!?」
「これは魔法ではない。末光の『窓』を、私の意志で展開した。……この円の中では、すべての熱が私の剣に吸い取られる。お前たちの武器も、その指先の震えもな」
ルナの周囲だけ、分子運動が極限まで低下している。科学的な冷却と、異世界の武技が融合した「絶対零度の領域」。
「……いいだろう。今日はここまでだ」 男は忌々しげに顔を歪めたが、すぐに元の不敵な笑みに戻った。 「だが、博士。世界はすでに、あなたの『窓』を奪い合おうとしている。冷たい風に吹かれながら、いつまでその高潔さを保てるか……見ものだ」
男たちが去った後、実験室には不自然な静寂が残った。 ルナは剣を納め、小さく肩を落とした。彼女の手は、過酷な放熱の反動でわずかに震えている。
「大丈夫か、ルナ」 末光がその手を包み込むように握った。彼の掌の熱が、彼女の冷え切った肌に伝わっていく。
「……すまぬ、末光。独断で貴殿の技術を、戦いに使ってしまった」
「いいんだ。君が守ってくれたのは、俺だけじゃない。この技術が持つ『意味』も守ってくれた」
末光は、窓の外に広がる、無数の灯りがともる大阪の夜景を見た。 「プロメテウス」だけではない。これから、この小さな銀のフィルムを巡って、欲望の渦が巻き起こるだろう。
「俺は、絶対に屈しない」 末光は、デスクに残された男の名刺を握りつぶした。 「冷やす技術は、誰も傷つけない。それを証明するのが、開発者としての俺の戦いだ」
その決意をあざ笑うかのように、夜の地平線の彼方で、巨大な赤い光が揺らめいた。 「プロメテウス」が極秘裏に進めている、人工的な「熱の門」の実験が、すでに始まろうとしていた。
第4話 完
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