第3話:異世界からの来訪者

第3話:異世界からの来訪者

「……なんだ、その格好は。コスプレにしては、質感が重すぎるな」


末光真大は、粉砕された窓ガラスの破片が散らばる実験室のただ中で、呆然と呟いた。 目の前に立つ女性、ルナは、まるで月光をそのまま形にしたような銀の甲冑を纏っていた。その表面には細かな傷が無数に刻まれ、戦場の煤(すす)と、そして何より、異様な「熱」の残滓がこびりついている。


「コスプレ……? 意味は分からぬが、貴殿がこの『窓』の主か」


ルナが短く息を吐くと、その呼気は白く凍りつき、床にパラパラと結晶となって落ちた。 実験室の温度計はマイナス10度を指している。外は猛暑の大阪だというのに、この数平方メートルだけが北極の静寂に支配されていた。


「おい末光さん、冗談だろ……。本当にフィルムの中から人が出てきたのかよ。これ、YouTubeのドッキリとかじゃないよな?」


デスクの影から顔を出した佐藤の声は、恐怖で上ずっている。 ルナは鋭い視線を佐藤へ向け、背中の大剣の柄に手をかけた。


「控えよ、地の人よ。私はルナ・アステリア。異世界エル・ドラドの聖騎士だ。……貴殿たちの造ったこの銀の薄布が、私の世界の『熱』をここまで引き込んだ。その責任を問わねばならぬ」


「責任……? 俺たちはただ、この星を冷やそうとしただけだ」


末光は、ルナの威圧感に気圧されることなく、一歩前へ出た。 彼の鼻腔を突くのは、焦げ付いた鉄の匂いと、嗅いだことのない芳醇な森の香りが混ざり合った不思議な空気。それが、彼女が向こう側から持ってきた「異世界の風」なのだと直感した。


「冷やすだと? 貴殿らにとっての『排熱』は、我らにとっての『劫火(ごうか)』だ! 見るがいい、この剣を」


ルナが引き抜いた大剣の刀身は、透き通るような青い結晶でできていた。しかし、その芯には、脈動するマグマのような赤い亀裂が走っている。


「私の世界エル・ドラドは、溢れ出した魔力が制御を失い、すべてが『熱』に変換されている。森は燃え、海は煮え立ち、人々は呼吸するだけで肺を焼かれる。貴殿がこのフィルムで『窓』を開けた瞬間、あちら側の熱が、堰を切ったようにこの世界へ流れ込もうとしたのだ」


「……昨日のヒート・ドーム、あれは君の世界の悲鳴だったのか」


末光は、昨日の空の歪みを思い出し、胸が締め付けられるような感覚に陥った。 自分の発明が、意図せずして他者の世界を破壊しかけた。その事実が、研究者としてのプライドを鋭く削る。


「だが、ルナ。話は逆じゃないか?」 末光は、机の上に広げたままの009号フィルムを指差した。 「確かに昨日は逆流が起きた。でも、今は違う。このフィルムの表面温度を見てくれ。完全に安定している。これは、君の世界の熱を、俺たちの世界にぶちまけているんじゃない。俺たちの世界と、君の世界の熱を『合流』させて、そのすべてをさらに外側……宇宙(コスモス)へ逃がしているんだ」


「宇宙……? あの、星々が瞬く虚無のことか?」


ルナの瞳に、初めて戸惑いの色が浮かんだ。 末光は彼女の隣に並び、割れた窓から空を指差した。


「そうだ。俺たちの世界も、君の世界と同じように、熱に殺されかけている。太陽の熱、文明の熱、そして君が言う魔力の熱。それらをすべて抱え込むには、この星の皮膜は薄すぎるんだ。だから、俺は『大気の窓』を突っ切る道を作った。どこまでも冷たく、どこまでも広い、絶対零度の墓場へと続く道を」


ルナは、末光の横顔をじっと見つめた。 汗に汚れ、徹夜の疲労に満ちた顔。けれど、その瞳に宿る知性は、彼女の世界の賢者たちよりも遥かに高く、純粋な場所を見据えていた。


「信じがたい。人の手で、星の摂理を書き換えるというのか。……だが、確かに。このフィルムの近くにいると、あの焼き付くような魔熱の重圧が消えていく。まるで、魂が深海に沈んでいくような安らぎだ」


ルナは剣を鞘に納め、そっとフィルムに触れた。 「このフィルムが、私たちの世界を救う唯一の『排熱口(アウトレット)』になる。……もしそれが本当なら、私は貴殿を守らねばならぬ。私の世界を救うために、貴殿の技術を、この『窓』を死守する」


「守るって……誰から?」 佐藤が恐る恐る尋ねる。ルナの表情が、一瞬で峻烈な軍人のそれに変わった。


「熱を望む者たちだ。魔力を熱に変え、そのエネルギーで世界を統べようとする狂気……我が国の叛徒たちも、貴殿が放つ『冷気』という名の拒絶を放っておきはしないだろう。……それに、貴殿らの世界にもいるのではないか? この力を、牙に変えようとする者が」


末光は、昨日電話をかけてきた投資家や、軍事関係を匂わせる企業からのメールを思い出した。 「冷やす」という平和な技術。しかし、それは「絶対的な熱の移動」を司る技術でもある。使い方を誤れば、都市一つを氷漬けにする兵器にもなり得る。


「……面白いな。宇宙を冷やそうとしたら、異世界の騎士様に守られることになるとは」 末光は、皮肉めいた笑みを浮かべながら、新しい試作フィルムを手に取った。


「ルナ。君の世界の熱を、もっと効率よく吸い出せるように調整する。佐藤、悪いが経理には『警備員を一人雇った』と伝えておいてくれ。……ただし、鎧を着た銀髪の美女だとは言うなよ」


「もう遅いですよ! そもそも窓ガラスの修理代で、俺のボーナスが吹き飛ぶんですから!」


佐藤の叫びが響く中、末光はフィルムを光にかざした。 銀色の表面に、ルナの故郷である炎上する世界の影と、冷徹な宇宙の星々が重なり合う。


「行こう。次の『窓』を作る準備だ」


現代の科学者と、異世界の騎士。 相容れないはずの二人の手が、一枚の銀のフィルムの上で、未来を掴むために重なった。


第3話 完


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