因果のオフィーリア~姫騎士は聖剣で呪いを断つ

黒月ミカド

第1話 虚栄の鏡と姫騎士の剣

 季節は冬──夕方の16時過ぎ。

 空にはわずかに残照が残っていたがすでに太陽は地平線に沈みつつあった。夜の闇が迫る中、駅前の繁華街はんかがいに建ち並ぶ商店、住宅地の家々、道路を照らす外灯など街のいたるところで光が灯されてゆく。


 一台のタクシーが市街地の一般道路を走っていると突然、車線に女子高生が飛び出してきた。

 中年の男性ドライバーがとっさに急ブレーキをかけたおかげで大事には至らなかった。

「バカヤロー!どこを見て歩いていやがるんだっ!」

 ドライバーは運転席の窓から身を乗り出して怒鳴ったが、女子高生はおどおどした様子で頭を何度も下げて歩道に戻って行った。

「最近の娘はどうなっているんだ?」

 ドライバーは首を傾げ、すぐに身を引っこめるとハンドルを握り、アクセルを踏んで走り去った。


 車線に飛び込んだのは私立学園に通っている高校二年生のアヤという女子生徒だった。

 髪型はセミロング。顔立ちもそれなりに可愛い女の子。

 だが、アヤ本人は自分の容姿に自信がなかった。学校ではいじめられていないが内気な性格が災いして友達は一人もいない。

 しかし、そんなアヤでもSNS上では大した人気があってフォロワーからはちやほやされていた。彼女にとってSNSだけが居場所である。

 ただし、学校の授業もあるし、ずっとスマホをいじっているわけにもいかない。いっそのこと登校拒否になって家で一日中SNSをやっていたいと思うこともあったが厳格な両親に”学校へは行きたくない”などいえるはずもなかった。でも、アヤはネット上と現実との落差が辛過ぎて苦しくなっている。

 そんなことをうつむきながら歩いているうちに車道に飛び出してしまったのである。

「……わたし、どうすればいいんだろう?」

 アヤはため息をついた。その吐息は冬の寒さで白くなっている。

 頭の中で暗い考えを巡らしながら歩いているうちに繁華街の喧騒から離れていった。

 気づいたときにはひっそりとした路地裏に足を踏み入れていた。石畳で舗装された道を歩いていると前方に見慣れぬ建物が見えてきた。

 ──こんなところあったっけ?

 それはこじんまりとした店舗だった。びた鉄製の重厚なフレームにアンティーク調の窓ガラスがはめこまれている。窓越しに店内の灯りが漏れていた。

 石造りの壁は群青色ぐんじょういろに塗装されており、店の入口の少し上あたりの壁面に看板が掲げてあった。

時の雫とき しずく -Time's Droplet-』

 壁面から飛び出した真鍮しんちゅうのポールに吊り下げられた全体的に深みのあるエメラルドグリーンの木版に細い金色の文字で店名が優雅に書かれてあり、その下には砂時計と一輪のバラを組み合わせたようなシンボルマークが彫り込まれていた。どういう仕組みなのか定期的に看板の文字が琥珀色こはくいろに光り輝いている。

 店全体の雰囲気はアンティーク絵画のように古き良き時代のおもむきまとっていた。

 アヤは、まるで何かに導かれるかのように、重厚な扉に手をかけた。

 軋むような音と共に扉が開き、カランコロン、と店内に響く鈴の音はアヤの日常から非日常へと足を踏み入れたことを告げているかのようだった。

 店内は思った以上に薄暗い。照明といえば天井から等間隔に吊り下げられた数本のペンダントライトだけであり、ガラス製のランプシェードから漏れている赤みがかった黄色い温かみのある灯りが周囲の闇を照らしていた。

 周囲の壁にはガラスのショーケースや展示ディスプレイがいくつも並んでいる。ショーケースの中には純金の懐中時計、銀食器類、陶製のティーカップ、いわくがありそうな古書などが保管してあった。壁や展示ディスプレイには不気味な彫像、どこかの先住民が用いる仮面、刀剣類、さまざまな国から集められた絵画が置かれていた。

 店の一番奥にカウンターテーブルがあった。カウンター自体も木目がきれいに浮き出たオーク材家具でそれなりに価値がありそうだ。

 そんなカウンターテーブルの上には古そうな分厚い日誌が置いてあり、タイトルに「解呪回顧録かいじゅかいころく」と記されている。

 ──解呪? もしかしたら、あれもどうにかしてもらえるかも……

 アヤは呪いという言葉に心当たりがあった。偶然にもは彼女のカバンにしまってある。

 カウンターの傍らには艶のある長い黒髪を背に流し、漆黒のドレスを優雅に着こなした美しい女性が佇んでいた。

 端正な顔立ちで鼻筋が通っており、顔の彫も深いことから日本人ではないだろう。

 白磁のように白い肌と、黒曜石のように黒い瞳には深淵を覗き込んでいるような神秘性があった。

「いらっしゃいませ。ようこそアンティーク店”時の雫”へ」

 店主と思われる女性は口元だけに微笑を浮かべ、流暢な日本語で挨拶してきた。その美しい声は清らかで濁りがなく、気品が漂っていた。

 アヤは内心、相手に日本語が通じなかったらどうしようかと、心配していただけに不意打ちを喰らって驚いた。

 だが、その女店主はアヤの様子に一切動じず、口元だけに笑みを浮かべながらさらに話しかけてくる。

「私はここの店主を務めているオフィーリアと申します。今日はどのようなご用件でしょうか?」

「じっ、実は……」

 アヤは言葉を詰まらせながらもカウンターに近づき、カバンからおもむろに古びた、装飾的な銀製の手鏡を取り出してオフィーリアに見せた。

「この鏡を手にしてからずっと、おかしいんです……鏡を見るたびに、私じゃない醜い顔が映るようになって。それが現実の私に見えてきて、周りの人もみんな私を避けるようになって…」

「なるほど。その鏡は呪物ですね」

 オフィーリアは無表情で答えた。

「呪物?呪われているってこと?」

 アヤは真っ青な顔で愕然とする。

「……私、どうすればいいんでしょう?」

「呪いを解くには呪物の経緯とあなたの心の闇を話していただかなければなりません」

「はい……あれは二カ月前のことでした」

 アヤは青ざめた顔で深刻そうに語り始めた。


 私は幼い頃から自分の容姿に自信がありません。さらに内気な性格が災いして友達ができず、いつも一人で遊んでいました。それは中学時代も同じであり、高校に上がってからも変わりませんでした。

 ところが三か月前──田舎の親戚の家に遊びに行った時、叔母の部屋の掃除を手伝っている最中にこの鏡を見つけたんです。見た瞬間、その美しさに強く魅了されました。うまく説明できませんが心惹かれるものがあったんです。叔母さんはこの鏡のことを知らないようでしたが、欲しければあげると言ってくれたのでもらうことにしたんです。

 その日以来──毎晩、この鏡に映る自分の顔を覗くたびに不思議と自信が湧いてきました。無性に知らない誰かに自分の容姿を見て欲しいという承認欲求に駆られてしまい、ガチメイクでキメタ自分の顔をスマホで撮影してその画像をSNSにアップロードしたのです。どういうわけかネット上の私の画像は凄く美しかったんです。

 投稿した瞬間、大勢の人たちから高評価をもらいました。私は有頂天になり、連日のように色んな服を着て撮影した写真をSNSにアップし続けました。見知らぬ男性のユーザー達からチヤホヤされるのが快感になっていたんです。

 ところが学校での生活に悪い意味で変化が起こりました。今までもクラスでは親友はいませんでしたがクラスメイトたちは同級生として会話をしてくれてはいたのです。ですがこの鏡を手にしてからクラスのみんなから避けられるようになりました。クラスメイトが私に対して嫌悪感を示すたびに鏡を覗いてみると必ず自分の顔が醜く歪んで見えるんですよ。

 どうやら学校における私の姿って普段とは異なるほど醜悪なものに見えるようなんです。たまたま私の投稿を見た生徒たちからSNS上のコメント欄に悪口を書かれるようになりました。

 ”現実との落差が激しすぎw”

 ”自分の顔写真を美麗に修正してまで人気を得たいの?”

“地味だと思ってたけどこんなに浅ましい奴だなんて思わんかった”

 私はSNS上で虚飾したことにされてしまい、学校でも噂が流されて完全な孤立状態になってしまったんです。

 私はしだいに鏡の中の「美しい自分」と、現実の「醜い自分」の板挟みになり、精神的に追い詰められていきました。

 どうすればいいのですか?


 アヤが自分語りをしている間ずっと、オフィーリアは傾聴を続けていた。だが、彼女の話が終わった直後、オフィーリアは鋭い視線をアヤに向けて口を開いた。

「明らかに現在の状況はその呪われた鏡のせいです」

 と、オフィーリアは即座に見抜いた。

「現実の孤立が深まるにつれて鏡に映る醜い顔は一層鮮明になります。おそらくこのままだと鏡から目を背けても、四六時中あなたの顔は醜く歪んだものとなるでしょう」

「えっ、そんな……じゃあ、どうしろっていうんですかあっ!」

 アヤは動揺を隠しきれずに取り乱して激昂した。

「落ち着きなさい!」とオフィーリアは彼女の頬を平手打ちした。

 オフィーリアは真剣な眼差しで言葉を続ける。

「よくお聞きなさい。この呪いは因果さえ分かれば断ち切ることができるのです」

「呪いを断つ?」

 正気を取り戻したアヤは藁にも縋る思いでオフィーリアの瞳を見つめた。

「ええ。今から私の問いかけに素直に答えなさい。そうすれば因果のキーワードが判明するのです」

「……わ、わかりました」

「あなたがこの鏡に求めたものは何でしたか?」

「私はただ……誰よりも美しく、みんなに認められたかっただけ」

 と虚栄心からこの鏡に全てを託したことを涙ながらに語り、現実の自分と向き合えず、SNSで他人の承認に逃げていた心境も吐露する。

「これで因果のキーワードは判明しました。あなたの断つべき因果は“虚栄”と“現実逃避”です!」

 オフィーリアがキーワードを告げた途端、アヤの手から手鏡が床に滑り落ちた。

 落ちた鏡は黒い禍々しい煙となって店内全体に拡散した後、あっという間に集束した末に黒い物質となって再結合された。その再結合された物質は醜悪な人面のような異形のモンスターへと姿を変える。

 その怪物はゼリー状の物体で構成された紫色のスライムだった。表面はぬるぬるした粘液に覆われており、伸縮自在の透けたゼリー状の体内では大きな心臓のようなコアがドクンドクンと脈動を続けている。アヤの心の闇がそのまま具現化したかのような、醜悪な存在だった。

「ひぃっ…!」

 アヤは悲鳴を上げ、その場にへたり込み、モンスターの醜悪な姿に恐怖で震え上がる。

 一方、オフィーリアは冷静なまま、優雅に黒いドレスのすそを翻して歩き出した。颯爽さっそうとした足取りでカウンターテーブルを離れて化け物に近づいていく。オフィーリアは化け物の眼前で立ち止まった。

「ここでは手狭ですからふさわしい場所に行きましょう」

 オフィーリアがそう言った瞬間、空間に深淵へと続くかのような巨大な裂け目が出現する。裂け目の中で漆黒の渦が広がり、店内の空間が歪み始めて渦の中心に吸い込まれていった。

 アヤは眩暈めまいに耐えきれずにそのまま意識を失った。


 アヤが目を覚ました場所は異界だった。

 鉛色の空がどこまでも広がり、荒廃した灰色の大地が地平線まで続いている死の世界。

 その灰色大地でオフィーリアと異形の怪物が距離を取って対峙していた。

「悪しき因果いんがの怪物よ。汝を、聖剣アロンダイトの名によって滅する!」

 オフィーリアがそう叫んだ瞬間、彼女の全身が黄金の光に包まれる。

 黒い髪は瞬く間に金色に光輝き、黒い瞳はあおい瞳に変化した。黒いドレスに純白の甲冑一式が兜、胴体、腕、足に装着されていく。

 風に靡いている金色の髪には神々しさがあり、碧眼へきがんの瞳には強い意志が宿っていた。手には白銀に光る両刃の聖剣アロンダイトを携えている。姫騎士と呼ぶにふさわしい姿だった。美しさと強さを感じさせる神々しさは戦乙女ヴァルキリーのようであり、彼女の周囲には光の粒子が舞っている。

 呪いの根源である紫色のスライムの怪物は己の細胞をどんどん増殖させ、先ほどよりも体を巨大化していた。

 アヤは少し離れたところから茫然とした様子で座ったまま両者の様子を見ていた。オフィーリアの存在は頼もしく感じるものの、依然として怪物に対する恐怖の方が上回っていた。そうした恐怖のエネルギーを糧として吸収し続けているようだ。

 怪物は全身をぶるぶるさせながら女の悲鳴のような叫び声を発し、オフィーリアを威嚇してきた。

 しかし、姫騎士オフィーリアは一歩も引かず、毅然とした表情でモンスターを見据える。

「虚栄に囚われ、自己を貶める心よ、今こそ断ち切る!」

 その言葉と共に、聖剣アロンダイトがさらに眩い白銀の光を放った瞬間、オフィーリアは怪物を目指して駆け出した。

 怪物は全身から何千もの黒い触手を彼女に向けて繰り出した。標的を目指して長く伸ばされた触手はそれ自体が意思を持っているかのように襲いかかってくる。まるで大蛇の大群のようだった。

 オフィーリアは迫りくる触手をかわしたり、両手持ちにした聖剣で斬り伏せながらも疾走し続け、ついに怪物との距離を詰めた。怪物はゼリー状の体内に姫騎士を取り込もうとアメーバのように飛びかかる。

 オフィーリアはそのままぶよぶよしたゼリー状の中に取り込まれてしまった。

「そっ、そんなあ……」

 アヤは希望の象徴であるオフィーリアの危機に絶望する。

 だが、アヤの心配をよそに怪物の方では変化が起こっていた。

 怪物の透けたゼリー状の体内から黄金の光が放たれる。聖なる光の強さが増した瞬間、ぶよぶよした体が膨張した末に爆発した。

 スライムの破片が辺りに飛び散り、怪物がいた場所では脈を打つ大きな心臓のようなコアをオフィーリアが聖剣で刺し貫いたところであった。怪物の本体であった核は断末魔の叫びを上げ、光の粒子となって消滅した。

聖剣アロンダイトから放たれる清らかな光が異次元空間を浄化し、一瞬にして元のアンティーク店へと空間が戻る。


気づくとアヤは店内の床に座り込んでいた。

眼前には元の姿に戻ったオフィーリアが佇んでいた。彼女の表情は常に冷静沈着だが、その瞳の奥には、どこか安堵の色が浮かんでいる。

一方、アヤは自分の手から呪物が消え、心に重くのしかかっていた靄が晴れていくのを感じていた。呪いから解放され、憑き物が落ちたかのように清々しい表情を見せる。

そんなアヤにオフィーリアは微笑みかけ、手を差し伸べて彼女が立ち上がるのを手伝った。

アヤはふらつきながらも自分の足で立ち上がる。

そんな彼女にオフィーリアは静かに語りかけた。

「もう大丈夫です。あなたの因果は断ち切られました。これからは、ありのままの自分を受け入れ、生きていくことです。それが、あなた自身の真の輝きとなるでしょう」

アヤは目に涙を浮かべながら、深く頭を下げた。

「ありがとうございます…本当に、ありがとうございます!」彼女の瞳には、希望の光が宿っていた。

「……ところでお代はいらないんですか?」

「ああ、それならもう受け取りましたよ」

オフィーリアの手元にはいつの間にか普通のアンティークに戻った銀製の手鏡があった。

「なるほど」

アヤは頷くと一歩を踏み出すように店を去っていく。


アヤが去った後、店内に再び静寂が戻る。

「また一人、呪いから解放されましたね…」

オフィーリアの呟きは誰に聞かれることもなく、静かな店内に溶けていく。

「この世に蔓延はびこる因果の呪いが尽きることはなく、当店の物語もまた、終わりを知りません」















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