同性愛者と信仰と家族
誰かに話してみたかった。
私が経験したことのないこのはじめての感情に、名前を与えてほしかった。
私は頭がおかしくなってしまったのだろうか。授業中は常に彼女のことを気にしてしまう。廊下ですれ違うとどきどきして、その鼓動が彼女に聞こえてしまいそうだった。
ただ、世間的に同性愛といわれる、なんだかもよくわからないようなものは、あまり良く思われていないということは漠然と感じていた。
敬虔なクリスチャンである母親に聞いたものなら、「私は反対しないけど、積極的に応援もしてあげられないわね」と言われることは目に見えていた。「聖書には人間は神様の似姿として、男性と女性に作られたって書いてあるよね。そして男性は女性に恋い焦がれ、女性は男性を支えるものだっていったことが、創世記には書かれているじゃない」とでも言うだろう。
信仰を持たない父親に聞いてみようものなら、「法律で認められていないってことは悪いことなんだから、同性愛者は悪いものなんじゃないかな」とでも言いそうだ。父親は検察官。法律こそすべてなのだ。
大好きな祖父はあまり敬虔ではない仏教徒だが、焼酎と日本酒が大好きで、酔うとすぐに「男はいないのか?結婚相手の素敵な男を早く連れてこい!」と叫ぶ。祖父の家は私達の家から徒歩5分のところにあって、毎晩のように酒をもらいに来る。祖母が止めているため、祖父の家では酒が飲めないのだ。
祖母は昔ながらの亭主関白の家庭で育っているので、それが当たり前だと思っている。強い男とそれを笹会える女という構図は、祖母が憧れとしているものだ。家にもし女の子を「交際しています!」なんて連れてこようものなら、3発くらい殴られて、「もう二度とこの家に入るな!」なんて言われそうだ。
私自身はどうなのだろう。
母の意向で幼児洗礼は受けたが、聖書は一度通読したきりで、それほど信仰を持っているわけではない。ただ、教会の名簿には私の名前もちゃんとある。神様に恥ずかしくない生き方をしなさいと、私は母から常に言われてきた。背筋を正して、しっかり前を見て、不安なことは神様に任せなさい、絶えず祈りなさいと母には言われてきた。
キリスト教のことを考えなくても、同性愛者というのはなんか関わりたくない存在だといったネガティブな意見しか持てない。気持ち悪いと思うまでではないし、信仰を盾に自分を守りたいわけでもないが、「なんとなくいけないことなんだろう」といった雑な意見しか持てない。関わりたくないというのは、同性愛や同性愛者、同性婚が気持ち悪いものだからではなくて、あくまでも声がでかい同性愛者をSNSでよく目にするからだ。彼らの投稿には、たくさんの憎悪が向けられる。「あんた、頭おかしいんだよ!」「同性愛がこの国で認められるわけないだろ!」「黙ってくれない?」「同性婚はこの国の伝統ではない」「同性婚したいなら国から出ていってくれないか」といった厳しい言葉が並ぶ。SNSのヘイトは見苦しいものがあるし、同性愛者の投稿に悪いところがあるとは思えない。ひとりの市民として、平和な暮らしを願っているだけだ。その思いは私も彼らも同じだ。ただ、彼らには厳しい、冷たい、きつい言葉が向けられる。同性愛は、同性愛者は、悪いひとたちではない。だって彼らも神様に愛されて生まれてきたのだから。それでも、そのヘイトに抗えない弱い自分がいる。
私は周囲の目を気にして育ってきた。
母がこうしなさいと言うから、聖書にこう書いてあるから、先生がこうしてほしいだろうなというのを察するから、同級生が話しているのを耳にして。
そうやってできていったのが「私」であって、そこに「私の意見」は入っていなかった。
だから、周囲がどう言うかといったことだけを気にしていた私には、「私」といった中身がないのだ。
このときになって、私は決断を強いられていた。
私は、彼女とどうしたいのか。
告白するべきなのか。もっと仲良くなりたいのか。それともアンビバレントな思いに従ってすこし距離を置くのか。友だちとして過ごすべきなのか。
私の部屋の窓が暗くなって、また明るくなるまでの間、私はずっと考えていた。
母ではなく、先生でもなく、周囲でもなく、SNSの見知らぬひとではない。
私が、私をどう選択するかを。
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