第8話 家族の愛
淡路島に到着した日は、結局、実家の扉を叩く勇気が持てず、ビジネスホテルに泊まった。
そして今、私は実家の前にいる。
自然と体がガタガタ震えてくる。
寒いからやない。
手のひらは、汗でびっしょり。
ウィックの隙間から、タラーっと汗が流れ落ちる。
私は玄関の前を何度も行ったり来たり、ベルを押そうとしては、躊躇って、人差し指を引っ込める。
こんなん、近所の人が見たら、不審者やんか。
「……もうええわ。
出たとこ勝負や!
開いてるかどうか知らんけど、玄関の扉、思いっ切り開いたるわ!」
私は歯を食いしばり、目を閉じながら玄関扉に手をかけた。
「いったらんかいっ!」
力一杯、扉を右にスライドしようとした……
――そのとき……
ガラガラガラ
「ひゃっ」
内のほうから先に扉が開かれた。
懐かしいふっくらした手……
玄関の中にいる人物と目が合い、一瞬、時間が止まる。
「……春夫?」
「お母ちゃん……」
それ以上お互い何も言えず、突っ立っていると、更に中から、懐かしい声が近づいてきた。
「どうしたのー?
お母ちゃん!?」
妹の沙奈も、私の姿を見つけると、目を見開いたまま固まった。
「春ニイ?」
私はコクリと頷いた。
お母ちゃんが、そっと私に手を伸ばした。
「寒かったやろ……はよ中入り」
私は、まるで迷子のように、お母ちゃんに手をひかれ、懐かしい我が家に入った。
「ほら、そんなとこ、つっ立ってんと、早う座らんかいな」
お母ちゃんは居間の掘り炬燵に私を促す。
「みかん食べるか?
それか、豚マンもあんで。
隣の吉田さんにもろたんよ。
チンしたろか?」
「そうや、食べ食べ。
春ニイ、551好きやったもんな」
「今はいらん」
私は眉目を寄せて、首を左右に振った。
「なんや、春ニイ、お腹いっぱいなんか?」
私はもう一度、首を左右に振った。
「お腹でも痛いんかいな」
お母ちゃんは心配そうに、私の顔を覗き込んだ。
「ふたりとも、なにピントずれたこと言うてんの!」
真剣な眼差しをふたりに向ける。
「いや、ピントずれてる言う前に、春ニイがまず、そのピンクのズラ直しや!
ちょっといがんどるで!
551やのうて、556でも吹き掛けたんちゃうん?
……ブハッ」
沙奈が私の頭を指さし、吹き出し笑いする。
「ズラ言うなや!
ウィックや!
ウィック!
それに、ずれてんのは、あんたらのピントや!
私のこの格好見て、なんで、なんも突っ込めへんのよ。
百歩譲って……
お母ちゃんには何度も、家飛び出す前に、私の心は男やない言うてたけど、沙奈!
あんたは知らんかったやろ!?
兄貴がいきなり、姉貴になって、突然帰ってきたんやで!
気持ち悪ないのん!?
551薦める前に、なんか言うことあるやろ!」
私は逆ギレ気味に、少し大きな声をあげた。
「「おかえりなさい」」
二人の声がハモる。
残酷な言葉を覚悟していたのに、違う言葉が返ってきた。
……これはふたりの優しさ……
わかっている……
でも……
素直になれない……
「……だから、ちゃうやろ!
おかまやで……」
お・か・ま!」
私は更に語気を強めた。
「そんなんわかってるよ。
ビックリしてない訳ないやろ!」
「そうやで、春夫……
いや……
春子のほうがええんかな?」
「今はそんなんどっちでもええよ。
私が言うてんのは、もっとこの私の容姿に疑問を持ちいうことや!」
「春ニイ、いや、春ネエ……
それこそ、容姿なんてどうでもいいわ!
春ネエは春ネエなんやろ!?
それでええやないの!」
沙奈の言葉に、うつむいたまま、何も言えなくなった。
黙ったまま、唇を噛んでいると、お母ちゃんが口を開いた。
「……帰ってきてくれて、ありがとうな……」
その一言で限界やった。
虚勢の仮面が剥がれ落ちる。
ダムが決壊するように、目、鼻、口から色んな液体が一気に流れ出した。
「ごめん……なかなか帰られへんくて……」
私は嗚咽混じりの、か細い声を喉の奥からなんとか絞りだす。
「ええんよ。今、ここにおる。
それだけちで十分なんやで……」
「お母ちゃん……」
私はお母ちゃんにしがみつき、子供のように泣きじゃくった。
お母ちゃんと沙奈も泣いていた。
「あっちでも色々あったんやろ?
心配せんでもええ。
辛いことがあったら、いつでも帰っといで。
ここはあんたの実家なんやからな」
ウィックがずれ落ち、丸坊主が露わになった私の頭を、お母ちゃんは優しく撫でてくれた。
そのぬくもりの中で、私は何回もウンウンと頷いていた。
――静寂の中、優しい時間だけが流れる……
ボーン ボーン ボーン
その静寂を破ったのは、壁に吊るされた時計だった。
――百年休まずにチクタクチクタク、おじいちゃんの代から、我が家の時を刻んできた大きなノッポの古時計……
「あっ、そうやった!
お父ちゃん!」
自分のことに気を取られて、大事なことを聞き逃してはいけない。
「手術は明日の朝よ。
患部が痛い言うてねぇ……
さっきお薬打って、今は眠ってはるわ。
その間に洗濯もんして、着替えも準備せなあかんかったから、さっき沙奈と帰ってきたとこなんよ」
「で、お父ちゃんの容態はどうなん?」
「そうやな。
お医者さんが言うには、早うに病気のことわかったから、命には別状はないやろうけど、けっこう難しい手術やねんて。
術後のリハビリなんかもせなあかんみたい」
さっきの優しい表情ではなく、お母ちゃんは真剣な面持ちで語った。
「そうなん。
ひとまず安心はしたけど、これからも大変なんやね。
ごめん、お母ちゃん、沙奈。
ふたりにばっかり負担させてもうて……」
私は姿勢を正し、頭を下げた。
「何言うてんの、春ニイ。
私ら大変なんて思ってないよ」
妹の沙奈が言う。
「でも、お父ちゃんと喧嘩して家飛び出して……
わかってんねん。
私のせいや。
心労が祟ってお父ちゃん、倒れてもうたんやと思う。
ほんま、勝手ばっかりしてごめん」
私は再度、深く土下座した。
「あんたは、なんも気にせんでええ。
お父ちゃんは、いっこも怒ってなかったで。
むしろ、あんたに申し訳ないことした言うてたぐらいやで」
お母ちゃんは笑顔で私の肩に手を置いた。
「道場はどうなったん?」
――カマキリ拳法=関根派……
神話の時代…
イザナギ、イザナミより産まれた、神の島=淡路島。
古(いにしえ)ゆり継承されてきた、カマキリ拳法……
その中でも、最強とされる関根派……
指を突き出し、両の手を鎌のように構える。
瞬時に相手の首を掻く、一撃必殺の技。
戦国時代には、名だたる武将の影の軍団として、暗躍したとかしないとか……
私は師範として、父の跡を継ぐはずだった。
「ほんま、ごめん、お母ちゃん」
「大丈夫やで、道場は」
お母ちゃんは、優しく私の手を取り答えた。
「そうなん?」
私は聞き返した。
「幼馴染で、あんたのライバルやった、吉田さんとこのタクちゃんおるやろ?
あのコが後継いでくれたんよ」
「タクヤが!?」
その言葉を聞いて、私は一瞬、狼狽えてしまう。
吉田タクヤ……
ライバルで親友で……
私の初恋の人……
私が遠い目をしていると、突然玄関の開く音がした。
ガラ ガラ ガラ
「おばちゃん、病院から帰ってきてるー?」
聞き覚えある声が、居間まで響いた。
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