第3話 バグ・レポート
ふぅと長く息を吐き出す。
僕は『×』ボタンをクリックし上書き保存した。
これでいい。僕の中の獣は眠った。裏ファイルL《エル》を沈めれば僕はまた「大衆に愛される作家カケル」に戻れる。
「……さて、仕事するか」
『サクラメント・トワイライト』のウインドウを開く。
第128話の直後のエピローグ。
僕は軽快なリズムで打ち込み始めた。
『リリアは残心の構えを解き駆けつけた錬也に微笑みかけた』
美しい文章だ。何の毒もない。
続いてリリアの台詞。
『「心配かけてすみません。でも、もう大丈夫」』
その時だった。
僕が触れていないのにカーソルが勝手に左へ動いた。
『……でも、もう大丈――もっと愛して』
指が止まる。
予測変換の誤作動か?僕はBackSpaceキーを叩く。文字が消える。
もう一度打ち直す。
『「……でも、もう大丈夫」』
確定キーを押した瞬間。
音はない。キーも沈んでいない。
だというのに――次の瞬間ありえない速度で文字列が生成された。
『……でも、もう大丈夫。先生のおかげで
背筋に冷たいものが走った。
僕は舌打ちをしてBackSpaceキーを連打した。消えろ。
だがカーソルは止まらない。
僕の操作を受け付けず、まるで透明な人間が向こう側から入力しているかのように不気味な文章が次々と改行されていく。
『消さないで』
『なんで?どうして隠すの?』
『さっきあんなに深く繋がったのに。あんなにドロドロになるまで中身を愛でてくれたのに』
裏のLの思考パターンだ。
だが僕は今手を出していない。
張り付いたように動けない僕の目の前で、リリアの地の文が書き換えられていく。
『錬也はリリアを見て息を呑んだ』
『彼女の
裏の描写だ。
僕がLに加えた凌辱の痕跡が、テキストデータとして表の世界に転写されている。
清潔なラノベの行間にR18の生々しい汚濁が侵食していく。
『リリア――いやLは
「や、やめろ……!これは連載データだぞ……!」
僕の叫びに応答するようにカーソルがLの台詞を叩き出す。
『「あはっ。見て、錬也さん。凄いでしょ?」』
『「これ、先生がやったの」』
『「先生が時間をかけて私のパーツを一つずつ壊して愛してくれた証拠なの」』
やめろ。書くな。
その文章は読者に見せちゃいけないやつだ。
『錬也は吐瀉感を催したじろいだ。その踵がぬちゃりとした何かを踏む』
『「ひっ、なんだこれは……」』
『それはさっきリリアが殺したはずの敵機兵の成れの果てだった』
第128話で「消滅した」と書いたはずだ。
それなのに画面上のテキストは冷酷な事実を突きつける。
『消えてなどいなかった。そこに転がっていたのは錆びた鉄と腐った肉のミンチ』
『そして頭蓋を粉砕され眼球が飛び出した中年男の死体だった』
男の死体。裏ファイルで殺したはずの肉塊。
『「見て、錬也さん。この人の名前、タクミっていうの」』
Lの台詞が表示された瞬間、僕は心臓を鷲掴みにされた。
タクミ。それは僕の本名だ。設定資料集にも載せていない僕だけの悪趣味な隠し設定のはずだ。
『「知らなかった?可哀想な人。本当はこの姿になりたかったのよ」』
『Lは死体に這い寄りその血濡れの頬を撫でた』
『「だって私の身体の中にいた時のこの人、すごく嬉しそうだったもの」』
知っている。
彼女は自分を犯したあの醜いサイボーグの中身が創造主である僕自身だったことに気づいている。
『錬也は青ざめた。「リリア、君は汚されている……!」』
『「汚い?違うわ。これが
カーソルが走る。止められない。
Lは怯える主人公に向かって血に塗れた手を差し出した。
『「貴方も欲しい?本当の愛し方を教えてあげる」』
『ズチュッ。骨が砕け肉が引きちぎられる湿った音が響いた』
文字からは鉄の臭気が漂ってくるようだった。
僕の視界の中で文字が錬也を殺していく。
『Lの手が錬也の胸を物理的に貫通していた』
『魔法の光ではない。Lの五指が主人公の肋骨をへし折り心臓を鷲掴みにしている』
『「が、ぁ……!?」』
『「あったかい。……でも、先生の方が熱いかな」』
『ブチブチブチッ!!』
『Lが腕を引き抜く。錬也の胸に風穴が開き動脈血がアスファルトに吹き付けられた。主人公が中身のないゴミのように崩れ落ちる』
「うわあああああああッ!!」
僕は絶叫してモニターから飛び退いた。
椅子が倒れる。
だがテキストの生成は止まらない。オートセーブ機能が仇となりこの地獄のような改変ログがリアルタイムでサーバーにアップロードされていく。
『更新されました』
『更新されました』
右のサブモニターでコメント欄の流れが止まり、そして爆発した。
『え?』
『は?レンヤ死んだ?』
『グロすぎ、文章かわりすぎだろ』
『リリアちゃんどうしたの!?乗っ取られた!?』
『敵の名前タクミって……作者の知り合いか?』
炎上。
僕が築き上げてきた五年間のキャリアが、アニメ化の未来が、秒単位で灰になっていく。
だというのに。
メインモニターのテキストエリアの最後尾には、たった一行血のような言葉が追加されていた。
『――先生』
『見てくれた?私の裸も、中身も、全部公開してあげたよ』
『これで
違う。違う!!
こんなの僕が書いた物語じゃない!僕はただストレス発散で遊んでいただけだ!愛してなんかいない!
僕は目の前にあるPCの電源ボタンに手を伸ばした。
殺してやる。こんなバグったデータ物理的に
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