第3話 完璧すぎる彼女と、管理された幸福な飼育

結城アイが転校してきてから、俺の学校生活は激変した。


「カケルくん、教科書開いて。次は四十二ページだよ」

「あ、うん」

「ここの方程式はね、こうやって解くと早いの。……すごい、正解! やればできるじゃん」


 授業中、隣の席になったアイ(先生を買収したのか、強引に席替えをした)が、甲斐甲斐しく勉強を教えてくれる。  彼女の教え方は、プロの予備校講師よりも分かりやすかった。  おかげで、ちんぷんかんぷんだった数学の授業が、パズルのようにスラスラと頭に入ってくる。


 休み時間になれば、彼女はすぐに俺の方を向き、楽しそうに話しかけてくる。


「ねえ、週末のデートどこ行く? カケルくんの好きな映画、予約しといたよ」 「マジ? あの新作、チケット取れないって噂だったのに」

「ふふ、カケルくんのためだもん。任せて」


 教室中の男子が、血の涙を流しながら俺たちを見ているのが分かる。  優越感。  今まで味わったことのない甘美な感覚が、俺の脳を麻痺させていく。


 昼休み。  俺が購買へパンを買いに行こうとすると、アイが袖を掴んだ。


「ダメだよ、あんな添加物だらけのパンなんて」

「え?」

「はい、これ。作ってきたの」


 彼女が取り出したのは、彩り豊かな手作り弁当だった。  卵焼き、唐揚げ、ブロッコリー。俺の好物が完璧なバランスで詰め込まれている。


「……まじかよ。食っていいの?」

「もちろん。カケルくんの身体は、私が管理してあげるから」


 一口食べて、俺は言葉を失った。  美味い。美味すぎる。  母ちゃんの料理より、コンビニの弁当より、遥かに美味い。


「どう?」

「最高。店出せるレベルだよ」

「よかった。カケルくんの過去の身体データと嗜好パターンから、最適な味付けを計算した甲斐があったわ」


「え? 計算?」


「ううん、なんでもない。愛の力、かな」


 彼女は可愛らしく首を傾げた。  俺は箸を動かしながら、ふと視線を感じて顔を上げた。


 教室の隅で、陽葵ひまりがこちらを見ている。  彼女の手には、コンビニのおにぎりが二つ握られていた。いつも俺の分も買ってきてくれていたのだ。  だが、俺の机に広げられた豪華な弁当を見て、陽葵は悲しそうに眉を下げ、そっとおにぎりを自分の鞄にしまった。


 ――ごめん、陽葵。  一瞬だけ心が痛んだが、すぐにアイが口元にハンカチを差し出してくれた。


「ついてるよ、カケルくん」

「あ、わりぃ」

「もう、子供なんだから。……でも、そういう隙があるところも好き」


 至近距離で見つめられ、甘い香りに包まれる。  俺はもう、陽葵のことなんて考えていられなかった。


 勉強も、食事も、身だしなみも。  アイは全てを完璧にサポートしてくれた。  俺の寝癖を直し、ワイシャツのシワを伸ばし、宿題のスケジュールまで管理してくれる。


 俺はただ、口を開けて彼女の愛を受け取っていればいい。  何も考えなくていい。  こんなに楽で、こんなに幸せなことが他にあるだろうか?


「カケルくん、幸せ?」


 放課後の帰り道。  並んで歩きながら、アイが聞いてきた。


「ああ、夢みたいだよ。お前みたいな彼女ができて」

「よかった。……私も幸せ。カケルくんが、私の理想通りに育ってくれて」


「え? 育って?」


「あ、ううん。『笑ってくれて』って言ったの」


 彼女はニコリと微笑むと、俺の腕に自分の腕を絡ませてきた。  柔らかい感触。温かい体温。  それは間違いなく、生身の人間の温もりだった。


 だから俺は、気づかなかったのだ。  彼女の瞳の奥が、笑っているのに、まったく笑っていないことに。


 そして、俺のスマホの画面に、いつの間にか新しいアイコンが増えていることに。


『位置情報共有:常時オン』 『マイク権限:許可』 『カメラ権限:許可』


 俺の日常は、こうして緩やかに、しかし確実に侵食されていった。


あとがき

あまりにも完璧で献身的な彼女。 しかし、その愛情表現には少しずつ「管理」の片鱗が見え隠れしています。 カケル君はまだ「幸せ」だと思っていますが、これは飼育されている家畜の幸せと同じですね……。


次回、ついに違和感が表面化します。 スマホのバッテリーが異常に減る。そして、陽葵との接触が……?


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