逆転の「幽香さん」!?

玄関の鍵を開け、暗い室内に入った。

 一人暮らしを始めてから数ヶ月。六畳一間のワンルームは、脱ぎっぱなしのジャージが椅子に掛かってたり、読みかけの参考書が机に積まれてたりと、どこにでもある「普通の男子高校生の部屋」だ。


静まり帰っていた空間だったはずの部屋から「お邪魔します。やっばり落ち着きますね」

......と、まるで自分の家だと思っているようだ


「……はぁ。やっぱり、家の中でもついてくるんですね、氷室さんは」

「当然です。私はあなたのストーカー……じゃなくて、守護霊なんですから」

 

氷室さんは僕を追い越し、自分の部屋だったかのようにソファへ音もなく腰を下ろした。


 夕食の準備をしようとキッチンへ向かう僕を、彼女は意地悪そうに眺めている。


まな板の上で挽肉を練りながら、僕はソファでくつろぐ幽香を盗み見た。

「一人暮らしでハンバーグなんて、家庭的ですね。……あ、隠さなくていいですよ。昨日の夜、スーパーのチラシを見て『明日はこれにしよう』って独り言を言ってたの、知ってますから」


また、それだ。余裕たっぷりの笑みを浮かべ、僕のプライバシーを突き崩してくる。だが、僕はもう逃げない。手を止め、彼女の正面に立った。

「あの、氷室さん。……一つ、ずっと気になってたことがあるんです」


「なんですか? 改まって。ハンバーグの隠し味でも相談します?」

 氷室さんはソファの背もたれに腕を乗せ、

彼女は小悪魔のように首を傾げる。

僕はその至近距離まで一歩踏み込んだ。


「ずっと見ていたって言ってましたよね?そんなに僕のことをずっと見ていたなら……僕が何を言っていたかだけじゃなくて、『どんな顔』をしてあんたを想っていたかも、全部見ていたんですよね?」


 僕が真面目なトーンで詰め寄ると、氷室さんの余裕な笑みがわずかに強張る


「え、ええ……。まあ、それは、嫌というほど……」


「じゃあ、分かるはずですよね。僕がどれだけ、氷室さんに触れたいと思っていたか。……どれだけ、氷室さんじゃなくて、名前で呼びたいって思っていたかも」


 僕はさらに距離を詰めた。


 実体がないから、彼女の体はすり抜けてしまう。だけど、僕はあえて彼女の顔のすぐ近くまで自分の顔を寄せた。


「……氷室さん。そんなに僕をからかって、僕が本気であなたを奪いに行こうとしたら、どうするつもりですか?」


「ゆ、悠真くん……?」


 僕は、追い詰めるように、逃げ場のない視線を向ける。


 実体がないからこそ、視線だけで彼女を縛り付けるように。


 幽香さんは少しだけ体をのけぞらせて、大きな瞳を揺らした。


「もう、『氷室さん』なんて呼びません。……いいですか、幽香さん。あなたが僕のそばに居座るって決めたなら、僕がどれだけあなたを好きか、毎日逃げられない距離で思い知らせてあげます。……覚悟してくださいね?」


 至近距離でそう告げると、彼女の顔が、一瞬で真っ赤に染まった。

 さっきまでの余裕はどこへやら。今は言葉を失って、艶やかな黒髪を揺らしながら視線を泳がせている。


「な、…...そんな恥ずかしいこと……っ!」

「ふふ。……幽香さん。あなた、今、すっごく可愛い顔してますよ?」

 今度は僕が、さっき彼女に言われたセリフをそのまま返してやった。

 完全に形勢逆転だ。


 彼女の頬は、夕陽よりも、さっきの僕の顔よりも、ずっと深い紅に染まっている。

「……っ、な、な、な……っ!そんなの、そんなの狡いです! 禁止です、レッドカードです!」

 幽香さんは顔を真っ赤にして、金魚みたいに口をパクパクさせていた。さっきまでの余裕たっぷりの幽香さんはどこへやら。今はただ、好きな男の子に至近距離で口説かれた、年相応の女の子の顔だ。

「ゆ、悠真くん?あなた、そんな性格でしたっけ!?」

「さあ? 幽香さんが僕をそんな性格に変えたんじゃないですか?」

 僕はあえて一歩も引かずに、じっと彼女の瞳を見つめ続けた。

 幽香さんは僕の視線に耐えきれなくなったのか、バッと両手で顔を覆ってソファに丸まってしまう。

「あー、もう! ズルいです、そういうの……。反則ですよ……」

「ズルいのは、ずっと黙って見ていた幽香さんのほうですよ」

 丸まって小さくなった彼女の背中に向かって、僕は追い打ちをかけるように笑って言った。

 なんだか、今までの羞恥心がすべてお返しできたみたいで、胸がすっとした。


いや、それ以上に、彼女のこんな反応を引き出せたことが、言葉にできないほど嬉しい。

「……わかりましたよ。もう、私の負けです。だから、そんな顔でこっちを見ないでください」


 指の間からチラリと片目だけ出して僕を睨む幽香さんの目は、少し潤んでいるようにも見えた。


「私だって、黙って見たくて、みていたわけではないですよ......?」


 幽香さんがボソッと何かをつぶやく

「何か言いました?」そう聞くと、頬をあからめて


「……なんでもないです!ハンバーグ、早く作ってください。お腹、空きましたから」


「幽霊でもお腹って空くんですか?」


「気分です! 私が満足するまで、美味しいもの作ってくれないと、また明日からお風呂場までついていきますからね!」


 そう言ってぷいっと顔を背けた彼女だったけど、隠しきれていない耳まで真っ赤だった。

 

 僕は苦笑しながら、再びキッチンへと向き直った。

 実体のない彼女に料理を食べさせることはできない。フォークにもナイフにもさわれないのにどうやって食べるんだろう?そんな疑問を思いつつも。こうして2人で食べれれる時間ができるのは、僕としては、幸せだ。

 

「……わかりました。とびきり美味しいのを作りますから、幽香さんも手伝ってください」

「……幽霊に手伝わせるなんて、幽霊使いが荒いですよ?悠真くん」

 不満げに言いながらも、彼女はソファから立ち上がり、僕の隣に音もなく並んだ。

 狭いキッチン。

 死んでしまった彼女と、彼女を想い続けた僕。

 おかしな関係だけど、今日から始まる新しい日常は、意外と悪くないものになりそうだった。


 出来上がったハンバーグを二つの皿に盛り付けた。

 一つは僕の席の前に。もう一つは、幽香さんが座るソファの前のローテーブルに。

 彼女はフォークを持とうとしたけれど、その指先は虚しく銀色の持ち手をすり抜けてしまった。

「……やっぱり、ダメですね。掴もうとすると、すり抜けてしまいます」


虚しくフォークを通り抜ける彼女の指先を見て、胸がちくりと痛んだ。

 でも、彼女は悲しそうな顔はしなかった。


「……すみません、そんな当たり前のことに気づかなくて」

「謝らないでください。こうして、私の分まで用意してくれたことが嬉しいんですから」

 幽香さんはそう言って、皿の上に手をかざした。

 すると、ハンバーグから立ち上る湯気が、ほんの少しだけ彼女の方へ吸い寄せられたような気がした。


「……あ、美味しい」


「え? わかるんですか?」


「はい。味そのものはしませんけど、悠真くんが込めてくれた熱とか、匂いとか……そういう『想い』みたいなものは、ちゃんと届いていますよ」


そう言って微笑む彼女の姿は、夕陽よりもずっと眩しくて、少しだけ透き通っていた。


 一人で食べる食事はあんなに味気なかったのに、今は彼女の視線があるだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。


「……幽香さん」


「なんですか?」


「明日も、作りますから。……また、一緒に食べてくれますか?」


 僕が真っ直ぐに言うと、彼女は一瞬驚いたように目を見開いて、それから今日一番の優しい笑顔を見せた。


「……はい!よろこんで!」


ふと、幽香さんが何かを思い出したように口を開く

「それにしても、私ビックリしました。悠真くん学校と自宅でこんなに違うとは。」

「なんのことです?」


「学校では、地味な感じの陰キャくんですが、あんなに積極的になるなんて......」


そう言って頬を赤らめる彼女に、少しだけ、意地悪く返した

「幽香さん、今さらっと失礼なこと言いましたね?...まあ、少しは幽香さんを困らせてやろうかと思って。」

実際、やられっぱなしは癪だった。それもあるけど...。


「......幽香さんに僕の本音伝えたかったんです」

なんていうと、消え入りそうな声で

「......っ、反則ですよぉ......」と、視線を外して言う。

正直すごく可愛い。


それから彼女は、でも、と続けて


「......これからは、私がからかいますので、悠真くん、変なことしないでくださいね?」

と、上目遣いで言ってくる。これからもこんな日々が続くらしい。

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