成仏してくれ、頼むから

校門を出ると、街はすっかり茜色に染まっていた。

 僕はポケットからイヤホンを取り出し、耳に装着する。こうしておかないと、彼女と喋っている姿が、ただの「独り言を呟く危ない奴」に見えてしまうからだ。

「……ふふ。現代の知恵ですね。でも、そんなに必死に隠さなくてもいいのに」

 僕の数歩先を、幽香さんがくるりと回るように歩く。

 夕陽に透ける黒髪が、まるで夜の帳を引きずっているかのように美しく、そしてどこかこの世のものとは思えないほど鮮やかだ。

「……うるさい。幽香さん、さっきからニヤニヤしすぎじゃない?」

「だって、おかしくて。悠真くん、さっきからどうしてそんなに頬を赤らめているんですか? 幽霊相手に、何をそんなに意識しているんですか?」

 彼女はわざとらしく僕の顔を覗き込んできた。

 セーラー服の襟元がわずかに揺れる。物理的な実体はないはずなのに、彼女が動くたびに、甘い石鹸のような香りが鼻腔をくすぐる気がした。

「意識なんてしてない。……ただ、ずっと横にいたって言われたから、気まずいだけだよ」

「あれ、気まずいですか? ……じゃあ、昨日の夜のことは? お風呂上がりに鏡の前で、自分の筋肉をチェックしながら『……悪くないな』なんて呟いていたのは、どういう気持ちだったんですか?」

「ぶっっ!!」

 僕は思わず、変な声を上げた。

 通行人の主婦がギョッとして僕を見る。僕は慌てて、スマホで電話しているフリを装った。

「……幽香さん、本当に全部見てたの!? せめて着替えの時くらいは席を外してくださいよ」

「ごめんなさい。でも壁もドアも関係ありませんから。それに、筋トレの後のドヤ顔、なかなか見応えがありましたよ? 私、死んでから一番笑ったかもしれません」

「最悪だ……。成仏してくれ、頼むから今すぐ成仏してくれ……」

「嫌ですよ。こんなに面白い観測対象、他にいませんから」

 幽香さんはクスクスと喉を鳴らし、今度は僕の後ろに回り込んで、耳元で吐息を漏らすように囁いた。

「大丈夫ですよ、悠真くん。私は幽霊ですから、誰にも言いふらしません。……あなたの情けない姿も、私の写真を抱きしめて寝ている可愛い姿も、私だけの秘密にしておいてあげます。……でも、毎日写真に愛を囁かれるのは、さすがにこっちが照れるのでやめてくださいね?」

 僕の顔は、おそらく沈みゆく太陽よりも赤くなっていた。

 ふと見れば、からかっているはずの彼女の頬も、わずかに朱に染まっている。

 ……どうやら、全部本当らしい。

 僕が彼女を想えば想うほど、彼女の存在は確かな熱を帯び、その分、僕のプライバシーは音を立てて崩壊していく。

「……覚えてろ、幽香さん。後で後悔することになるからな」

「あら、怖い。幽霊に一体、何ができるっていうんですか?」

 余裕たっぷりに微笑む彼女の背中を見つめながら、僕は心の中で誓った。

 家に着いたら、この余裕を絶対に言葉だけでぶち壊してやろうと。

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