第12話 返さなくていいですよね


 朝、目が覚めた。


 胸の奥の空白は、

 昨日と同じ場所にあった。


 でも――

 広がってはいない。


「……大丈夫だな」


 そう思えた。

 それだけで、起き上がれた。



---


「おはようございます、先輩」


 学食。

 相沢しずくは、いつも通りの席にいた。


 今日は、

 いつもの一言がなかった。


「……あれ?」


 俺の方から、声をかける。


「今日は、確認しないのか?」


 相沢は、少しだけ首を傾げた。


「もう、必要ありませんから」


「必要ない?」


「はい」


 その答えは、

 迷いがなさすぎて。


「能力は?」


「安定しています」


「俺が?」


「構成が、です」


 その言葉が、

 何を指しているのか。


 俺は、深く考えなかった。


「じゃあ……

 今日は返してもらえるのか?」


 軽い調子で聞いた。

 昨日の続き、みたいな感じで。


 相沢は、

 一瞬だけ目を伏せた。


「返す、ですか?」


「預かってるって言ってただろ」


「はい」


「だから……

 そろそろ戻すのかなって」


 相沢は、

 俺の顔を見て、

 静かに聞き返す。


「先輩」


「ん?」


「返してほしいですか?」


 その質問は、

 予想していなかった。


「いや……」


 俺は、

 言葉に詰まる。


 返してほしいか。

 能力を。


 ――考える。


 能力を持っていた頃。

 毎朝、確認して。

 説明して。

 判断して。


 今は――

 楽だ。


「……今は、別に」


 そう答えていた。


「困ってないし」


「ですよね」


 相沢は、

 すぐに頷いた。


「先輩が困っていないなら、

 返す理由はありません」


「そういうもんか?」


「はい」


 あまりに自然な理屈だった。


「預けている間、

 問題は起きていません」


「確かに」


「先輩の状態も、

 安定しています」


 また、その言葉。


 安定。


 最近、

 それが一番の褒め言葉になっている。


「じゃあ……」


 俺は、

 肩の力を抜いて言った。


「しばらく、

 そのままでいいか」


「ありがとうございます」


 相沢は、

 小さく微笑んだ。


「返さなくていいですよね」


 それは、

 確認だった。


 でも、

 拒否される前提のない確認。


「うん」


 俺は、

 何の抵抗もなく答えた。



---


 その日。


 俺は一度も、

 能力の感触を探さなかった。


 探さなくても、

 生活は回る。


 誰かが、

 代わりに気を配ってくれている。


 それは――

 安心、だった。



---


 帰り際。


「先輩」


「ん?」


「今日は、

 このまま持ち帰りますね」


「頼む」


 その返事が、

 もう完全に“定型”だった。


 相沢は、

 自分のカバンを

 自然に背負う。


「また明日」


「はい」


 その背中を見送りながら、

 俺は思う。


 返す、って何だっけ。


 でも、

 答えは出なかった。


 出なくても、

 問題はない。


 ――そう、

 判断されているから。



---


※この回の確定事項


「返却」が本人の希望制になる


主人公が不要だと口にする


しずくが所有継続を正当化


空白が「欠落」ではなく「標準」になる




---


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