第9話 今日は問題ありません


 朝、スマホのアラームが鳴る前に目が覚めた。


 理由は分からない。

 でも、体調はいい。


「……まあ、問題ないか」


 最近、この言葉をよく使う。

 そして、その判断基準が

 自分の中にないことにも、

 もう違和感はなかった。



---


「おはようございます、先輩」


 学食。

 相沢しずくは、席に着いたまま俺を迎える。


 今日は、

 いつもより一言目が早かった。


「今日は問題ありません」


「……何が?」


 軽い冗談のつもりで聞くと、

 相沢は少しだけ首を傾げる。


「全体的に、です」


「全体的、ね」


 俺は笑って、トレーを置く。


「それなら安心だな」


「はい」


 相沢は、迷いなく頷いた。


「特に、

 気をつける点はありません」


「能力は?」


「確認済みです」


 その言い方が、

 もう自然すぎて。


「そっか」


 それ以上、聞かなかった。



---


 食事をしながら、

 他愛ない話をする。


 講義の話。

 課題の話。

 天気の話。


 途中で、俺は一度だけ

 箸を止めた。


「なあ相沢」


「はい」


「最近さ」


 一瞬、言葉に詰まる。


「俺、

 能力のこと、

 全然気にしなくなったなって」


 相沢は、驚かなかった。


「いいことだと思います」


「そうなのか?」


「はい」


 彼女は、静かに続ける。


「先輩は、

 能力があってもなくても、

 同じように過ごせています」


「まあ……」


「それって、

 すごく安定してます」


 また、その言葉だ。


「安定、な」


 俺は、少しだけ考える。


「前はさ、

 毎日説明してたのに」


「はい」


「今は、

 聞かれないと、

 思い出しもしない」


「それが、

 ちょうどいい状態です」


 相沢は、

 断定するように言った。


「能力が主役じゃない」


「俺が、主役?」


「はい」


 その答えに、

 少しだけ安心する。


 ――ちゃんと、人扱いされてる。


 そう、思えた。



---


 食事を終えたころ。


 相沢は、初めてノートを取り出した。


 ほんの一瞬だけ。


 何かを書いて、

 すぐに閉じる。


「今の、何?」


「記録です」


「今日は?」


「はい」


「何て書いた?」


 相沢は、

 少しだけ考えてから答える。


「問題なし」


 その言葉が、

 妙に完成して聞こえた。


「それだけ?」


「十分です」


「そっか」


 俺は、

 それ以上気にしなかった。


 だって――

 問題がないなら、

 考える必要はない。



---


 別れ際。


「じゃあ、

 また明日」


「はい」


 相沢は、

 いつも通り微笑む。


「明日も、

 問題なければいいですね」


「そうだな」


 俺は、軽く手を振る。


 歩きながら、

 ふと思う。


 問題がある日って、

 どんな日だ?


 でも、その答えを

 考えようとはしなかった。


 だって――

 それを判断するのは、

 もう俺じゃない。



---


※この回の確定事項


「今日は問題ありません」が安心ワードとして定着


能力=話題から完全に消える


主人公の状態が評価対象になる


記録が一語で済む段階に入る




---


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る