第3話 メモ、取ってもいいですか?


 今日は、起きた瞬間から体が軽かった。


 眠気がない。

 筋肉がよく動く。

 歩くたびに、床の感触がやけに鮮明だ。


「……身体強化系か」


 こういうの、分かりやすくて好きだ。

 派手じゃないけど、“効いてる”感がある。


 階段を二段飛ばしで降りても、息が切れない。

 ドアを押す力が、少し強い。


「当たりだな」


 小さく呟いて、大学へ向かった。



---


「先輩、今日は?」


 学食。

 相沢しずくは、もう席にいた。


 俺がトレーを置く前から、視線がこっちを向いている。

 待ってた、って顔だ。


「今日は身体だな」


「身体?」


「反応速度と、筋力と、バランス。

 全部ちょっとずつ上がってる」


 そう言って、俺は箸を持つ。


 掴む。

 運ぶ。

 置く。


 その一連が、妙にスムーズだ。


「なるほど……」


 相沢は頷いて、ノートを開いた。


 ページをめくる音が、一定だ。


「ちょっと、確認してもいいですか?」


「何を?」


「昨日と比べて、

 “意識しなくても使えてますか?」」


「使えてるな」


「オン・オフは?」


「分からない。

 たぶん、ずっとオン」


「持続的、ですね」


 相沢は、さらさらと書き込む。


 ――その手つきが、昨日より慣れている。


「なあ相沢」


「はい」


「そんなに細かく書く必要あるか?」


 軽い冗談のつもりだった。

 彼女は、すぐに顔を上げる。


「嫌でした?」


「いや、嫌じゃないけど」


「よかったです」


 即答だった。


「毎日、条件が違うので。

 残しておかないと、比べられませんから」


「比べる、ね」


 俺は肩をすくめた。


「研究者みたいだな」


「そうですか?」


「うん。

 でもまあ、相沢らしい」


 そう言うと、彼女は少しだけ笑った。


「じゃあ……」


 相沢は、ペンを止めて言う。


「正式に聞きますね」


「何を?」


「メモ、取ってもいいですか?」


 昨日も一昨日も、

 実質もう取っている。


 でも、この聞き方は初めてだった。


「今さらだろ」


 俺は笑って答える。


「好きにしていいぞ」


「ありがとうございます」


 彼女はそう言って、

 ノートの上に日付を大きく書いた。


 その文字が、少しだけ丁寧すぎる気がした。


「先輩」


「ん?」


「この能力、

 使い道は決めてますか?」


「特に?」


「今日は、

 無理に使わなくても良さそうです」


「そうか?」


「はい。

 日常動作だけで、

 十分データが取れます」


 その言い方に、

 また“データ”という言葉が混じる。


 でも――

 変じゃない。


 俺の能力は、確かに珍しい。

 観察したくなるのも、分かる。


「じゃあ、今日は普通に過ごすか」


「それが一番です」


 相沢は、満足そうに頷いた。


「先輩が自然体のときの方が、

 能力の癖が出ますから」


「癖って」


「無意識の使い方、です」


 そう言われると、

 なんだかプロに任せている気分になる。


 悪くない。


 いや――

 正直、楽だ。


「相沢に任せとけば安心だな」


 ぽろっと、口から出た。


 一瞬、彼女のペンが止まる。


 ほんの一瞬だ。


「……はい」


 相沢は、すぐに書き続けた。


「そう思ってもらえるなら、

 嬉しいです」


 その声は、

 いつも通り柔らかい。


 なのに、なぜか。


 今の一言が、

 どこかで線を引いた

 ――そんな気がした。


 もちろん、

 その理由を考えることはなかった。


 だって、今日は――

 何も問題が起きていないのだから。



---


※この回の仕込み


「正式に聞く」で境界線を一本引く


記録が趣味→運用に変わり始める


主人公は「楽」「安心」として受け取る




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