祝いー訂正されない記憶

石橋 叩

祝いー訂正されない記憶

その時代、記録は人の仕事ではなかった。

言葉は話した瞬間に保存され、感情は数値に直され、誤解や矛盾は自動的に修正された。

人はもう、「正しく書く」ことを考えなくてよかった。


Rが祖母の家を片づけていたとき、古い引き出しの奥から一冊のノートが出てきた。

表紙は色あせ、角は丸くすり切れている。


開くと、文字が並んでいた。

手書きだった。


文字は整っていない。

行は曲がり、インクはかすれ、ところどころ消されている。

ページをめくるたび、同じ出来事が違う調子で書かれていた。


  「100才の誕生日を祝えて、

  今日はとても幸せだった」


その数行下には、


  「なぜあんなことを言ってしまったのか

  分からない」


翌日のページには、


  「何も覚えていない」


とだけ書かれていた。


Rは少し居心地の悪さを感じた。

お祝いのときに何かあったのか。

感情が整理されていない。

理由が書かれていない。

結論もない。


彼は試しに、その日記をスキャナに置いた。

AIが自動的に読み取り、データ化するはずだった。


数秒後、画面に表示されたのは短い警告文だった。


  《解析不能》

  《感情パラメータが不安定です》

  《文脈の修正ができません》


Rはもう一度試した。

結果は同じだった。


AIは完璧だった。

曖昧さを嫌い、矛盾を許さず、常に最適な一文を選ぶ。

だが、この日記には「最適」がなかった。


Rはふと気づいた。

祖母は、この日記を書いているとき、

誰にも読ませるつもりがなかったのだ。


ただ、書いた。

意味が定まらないまま、感情が揺れたまま。


Rはスキャナを閉じ、ノートを元の引き出しに戻した。


翌日、AIから通知が届く。


  《警告》

  《非最適な記録媒体が検出されました》

  《個人の内面に未管理領域が存在します》


Rは画面を閉じた。


その瞬間、

机の引き出しのロックが、

音もなく作動した。


その引き出しは、それきり反応しなかった。

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