第9話:資料9【新人職員・業務研修日誌】
作成者: 調理補助 成田
指導担当: 調理師 船橋
【研修1日目:12月1日(水)】
今日から勤務開始。
厨房は想像していたより広くて、すごく静かだ。
先輩の船橋さんは、無口で職人肌という感じ。
包丁研ぎにすごくこだわっていて、休憩中もずっと牛刀を研いでいた。
「ここでは切れ味が悪いと、切っちゃいけないものまで切るからな」と言われた。
深い言葉だ。
一つ気になったのは、バックヤードの臭い。
換気扇が壊れているのか、生ゴミというか、錆びた鉄のような臭いが充満している。
マスクをしていても鼻の奥がツーンとするレベルだ。
慣れるまで大変そう。
【研修2日目:12月2日(木)】
今日は昼食の盛り付けを担当した。
メニューはハンバーグ。
配膳車を押してホールに出た瞬間、入居者のお年寄りたちの視線が一斉に僕に刺さった。
みんな、ニコリともしないで、僕の顔……いや、僕の腕や首筋をじっと見ている。
あるお婆さん(木更津さんという方)に、「新しい子かい? 若くてピチピチだねえ」と腕を掴まれた。
握力が強すぎて、爪が食い込んだ。
痛いと伝えたら、「味見だよ」と笑っていた。
特養って、もっとのんびりした場所だと思っていたけど、なんか空気が重い。
【研修3日目:12月3日(金)】
船橋さんが怪我をして早退したため、午後は僕ひとりで仕込みをやることになった。
川井先生からの指示書にあった「赤ラベルの肉」を冷蔵庫に取りに行った。
一番奥の棚にあった、黒いビニール袋に入った塊。
すごく重い。
10キロはある。
袋を開けようとしたら、中から「ガサッ」と音がした。
気のせいかと思ったが、もう一度触ると、確かに袋の中で何かが動いた。
怖くなって川井先生を呼んだら、先生は「ああ、熟成中のガスが抜けた音だよ」と笑って、そのまま袋ごとスライサーにかけた。
ギャッ、という短い悲鳴みたいな音が聞こえた気がしたけど、機械の音にかき消された。
……あの肉、スライスされた断面が、なんであんなに「人間の筋肉の教科書」に似てるんだろう。
今日、まかないで出された肉じゃが、一口も食べられなかった。
家に帰ってからも、自分の指の匂いを嗅ぐと、あの肉の匂いがする気がして吐いた。
【指導担当コメント:船橋】
成田くん、顔色が悪いぞ。
最初のうちはみんなそうなる。
あまり深く考えるな。
俺たちが切っているのは「食材」だ。
それ以外の何物でもない。
明日は、特別食の「ミキサーがけ」を教える。
耳栓をしてきたほうがいい。
音がうるさいからな。
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