第7話 竜と花嫁が出会うとき
おばあが立ち去る気配がして、浜辺は急に静かになった。
「ふぅ……」
ツムギはすぐに正座を崩す。
ヒカンドリは、ツムギが逃げ出さないようにいまもどこかで見張っているのだろうか。
「逃げたりしないよぉ」
試しにつぶやいてみる。
当たり前だけど、返事はない。
それにしても、せっかく最後に──
そう、最後に、だ。
「海を見ていられると思ったのに、目隠しかぁ……」
せめて、と潮の香りを大きく吸い込み、耳を澄ませる。
波の音がすぐ耳元で砕けていた。
「……ドキドキしてきた」
潮のにおいと、胸の奥を締めつける緊張だけが確かだった。
竜人さまとやらは、本当に来るのだろうか。
「来なかったら、このまま飢え死かなぁ……」
……それも、悪くないのかもしれない。
まぁ、その前に、おばあが様子を見に来るんだろうけど。
✳︎
どれくらい経っただろう。
時計はないし、あったとしても目隠しのせいで見られない。
ツムギがぼんやりしていると、どこからか美しい歌が聞こえてきた。
ツムギは首をかしげる。
どこかで聞いたことがあるような歌だった。
考え込んでいると、大きな波の音がして、それから誰かの足音が砂を踏んだ。
(え……き、来た……?)
足音はゆっくりと、けれど確実にこちらへ近づいてくる。
竜人さま、だろうか。
ツムギの耳には、人間の足音のように思えた。
(おばあが戻ってきたのかなぁ……?)
いや。
足音は海のほうからだ。
ツムギから少し離れたところで、足音が止まる。
待ってみても声はかからない。
ツムギは焦れて、こちらから話しかけた。
「……えっと。誰、ですか?」
竜人さまかもしれないと思い出して、慌てて敬語を足す。
少し間があって返ってきたのは、人間の言葉だった。
「……俺は、ギルター。竜人だ」
ツムギは息を呑む。
竜人。
本当に、竜人さまだ。
けれどその声は、驚くほど深くて優しかった。
もっと荒々しいものを想像していたから、意外だった。
(というか……竜人さまって、人間の言葉を喋れるんだぁ)
よかった。
いや、よかったのかなぁ。
混乱していると、目の前に膝をつく気配がした。
「……触れていいか?」
優しく尋ねる声にどきりとする。
「あ、うん……はい」
ツムギは答える。
「あの……目隠し、外してほしいです」
胸が高鳴るのを感じながら、思いきって言ってみた。
──竜人さまを、見てみたい。
醜くてもいい。
恐怖よりも、未知の生き物への好奇心がツムギを支配していた。
「……うん」
ほんの一瞬、ためらうような間。
それから、耳元に指先らしきものが触れる。
ツムギはびくりと身をすくめた。
「大丈夫だ。怖くないぞ」
声はやっぱり優しくて、その手つきは驚くほど丁寧だった。
結び目がほどけ、白い光が一気に視界へ流れ込む。
数回まばたきをして、ツムギはようやく“彼”をとらえた。
そこにいたのは、化け物ではなかった。
……いや。
やっぱり、化け物なのかもしれない。
海の底みたいな青い瞳。
彫刻のように整った顔立ち。
夜を閉じ込めたみたいな黒髪。
陽に少し焼けた肩や腕はしなやかで強そうなのに、なぜか近づきたくなる静けさをまとっている。
異国風の黒い羽織が、風に揺れていた。
「……ほわぁ……」
思わず声が漏れる。
人間離れして、あまりにも美しい。
そう思った。
その男もまた、ツムギをじっと見つめていた。
やがて、絞り出すように言う。
「……会いたかった」
うっとりとした響きだった。
「……会いたかった?」
ツムギは思わず聞き返す。
男はうなずく。
「美人さん。君の名前は?」
優しくて、少し困ったような声。
「え……あ、あたし?」
喉がうまく動かず、唇がわずかに震えた。
「えっと……ツムギ。知花ツムギ、です」
「ツムギか。可愛い名前だな」
ギルターは微笑んで、ツムギを見る。
「……俺のこと、怖くないか?」
「あ……はい」
綺麗すぎて少し怖い気もしたけれど、そういう意味じゃないのだろう。
ツムギはうなずく。
「大丈夫……です」
「そっか。なら、よかった」
ギルターはふわりと笑った。
嬉しさを隠そうとしているのに、どうしても隠しきれていないような笑い方だった。
ツムギは、胸の奥が跳ねる音をはっきりと感じていた。
竜人さまは醜い、恐ろしい──
そう聞かされていたはずなのに。
いまツムギの目の前にいる男性は、そのどちらにも当てはまらなかった。
ギルターは、ツムギの手を縛っていた布をするするとほどく。
「手、痛くないか?」
「大丈夫です」
うなずくと、ギルターは自然に手を差し出した。
「──じゃあ、一緒に行こう」
「え、あ、はい」
促されて、ツムギは慌てて立ち上がろうとする。
その瞬間。
足が、ふらりと折れた。
──しまった。
「い……てっ」
「おっと」
砂に倒れ込む前に、たくましい腕がしっかりとツムギを受け止める。
腕の中は、思っていたよりも熱かった。
鼓動が一気に跳ね上がる。
ギルターが気遣わしげに言った。
「大丈夫か?……歩けないのか」
「……はい。ごめんなさい……」
責める響きはどこにもない。
ただ、事実を確かめるための声。
それでもツムギは、反射的に謝ってしまっていた。
ギルターは不思議そうに首をかしげる。
「どうして謝る?」
「えっ……?」
予想外の言葉に、ツムギは口ごもる。
少し考えて答えを探す。
「えっと……役に立たないから……?」
「……役に立つとか、立たないとかは、関係ない」
ギルターは静かに言った。
「……そう、ですか?」
それを聞いて、ツムギは思う。
(……やっぱり、食べられるのかもしれないな)
食べるつもりなら、確かに足が悪くても関係ない。
(……それでも、健康な人のほうが美味しそうだけどなぁ)
どうでもいいことを考え込んでいると、ギルターはそっとツムギの髪を払った。
「大丈夫だ、ツムギ。怖くないぞ」
「わっ」
そう言って、彼は軽々とツムギを抱き上げる。
「あ、あの……」
たくましい腕に抱えられたまま、ツムギは視線をさまよわせた。
ギルターの足元の砂が、波の引く音に合わせて、さらさらと流れている。
「あ……ワタリガメさん……!」
ギルターばかり見ていたから気づかなかった。
先ほどは沖に見えた巨大なカメが、もう浜辺すぐ近くまで来ていた。
深い緑色の甲羅。
ところどころが、金色に光っている。
「……綺麗……」
ツムギが見惚れていると、ギルターが説明する。
「島まで連れて行ってくれる。人間の船じゃ行けない場所にあるからな」
「島……」
どうやら、竜人さまの棲む島に行くらしい。
そこで食べられるのかな。
ワタリガメの背には、自然と乗り込める平らな足場があった。
まるで最初から、誰かが乗るために用意されていたみたいだ。
ギルターは、ツムギを抱えたまま水際に膝を沈める。
「少し揺れるぞ。しっかり掴まっていろ」
ツムギはそっとギルターの胸元を握る。
ギルターは軽く跳ぶようにして、カメの背へ乗った。
揺れはない。
ツムギの体は、終始しっかり支えられていた。
甲羅の上へそっと下ろされて、ツムギは止めていた息を吐く。
ギルターは、少し離れた隣に腰を下ろした。
ツムギは、太陽の光を受けてきらめく甲羅をそっと撫でる。
「よろしくねぇ。ワタリガメさん」
ワタリガメが低く鳴き、そのまま海へと滑り出した。
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