第4話 ヒカンドリの託宣
深夜、零時すぎ。
家の中は、呼吸の音すら吸い込むように静まり返っていた。
ツムギはその廊下を、音を立てないように這って進む。
階段に差しかかると、お尻をついて一段ずつ降りていった。
(……“出られない”ってのは、ウソなんだよねぇ)
ツムギは確かに歩けない。
けれど、腕と足先を使えば、階段だってどうにかなる。
一階に降りて、耳を澄ます。
家族が起きている気配はない。
這いつくばるこんな姿を誰かに見られたら、さすがにマズい。
そのくらいの分別はツムギにもある。
だから、普段なら絶対にしない。
でも――村人たちが鳥を恐れて外に出ない今夜は、ちょうどよかった。
ヒカンドリを見てみたかった。
図鑑にも載っていない鳥。
「どんな姿なんだろうねぇ……」
胸が高鳴る。
そろそろと膝立ちになって玄関を開けると、湿った夜の空気が肌にまとわりついた。
「今夜は新月かぁ……」
扉を閉め、耳を澄ます。
確かに人の気配はない。
聞こえるのは、うるさいくらいのカエルと虫の鳴き声だけ。
「さて、と……」
ヒカンドリは、どこだろう。
どんな鳥なのかも知らない。
あまり遠くには行けない。
(とりあえず、海のほうに……)
ぐるりと視線を巡らせた、その端で――
ツムギは、“それ”を見た。
──鳥だ。
青白い鱗粉のようなものをまとった鳥が、夜空を滑るように舞っている。
「ほわぁ……!綺麗……!」
思わず小さな声がこぼれた。
まさか、こんなに簡単に見つかるなんて。
運がいい。
「確かに……これは、この世のものじゃないよねぇ……」
圧倒的な存在感。
美しいのに、背筋がひやりとする。
“竜の使い”だと言われても、納得できた。
そのとき、ヒカンドリがふいにこちらを見た。
鳥目ではないようだ。
(そりゃそうかぁ……夜に飛んでるんだから)
そんな悠長なことを考えた、その瞬間。
鳥がまっすぐに――
ツムギに向かって降りてきた。
「わっ、やばっ」
さすがに焦る。
逃げようにも、足は動かない。
「ちょっ、獲物じゃないよぉ!」
“危険だから外に出るな”。
お父さんの言葉が頭をよぎる。
ヒカンドリは、人間を捕まえて竜の餌にするのかもしれない。
「ほわっ」
風圧に首をすくめる。
次の瞬間、鳥はツムギの頭をかすめて――
その背後へと舞い降りていた。
振り返ったツムギは、その瞳が海のように青いことに気づいた。
「……あはは。びっくりしたよぉ」
ツムギは大きなワシのような霊鳥に話しかける。
「なぁに?お腹、空いてるの?」
当たり前だけど、鳥は答えない。
ただ、じっとこちらを見ている。
「あなた……綺麗ねぇ……」
こんな近くで猛禽を見る機会なんて、滅多にない。
ツムギはしばらくのあいだ、うっとりと鳥と見つめ合った。
ふいに――
鳥が空へと舞い上がる。
ヒカンドリはツムギの家の屋根に止まり、甲高い声で鳴いた。
「クィ────ッ!!!」
夜気を震わせるような声に、思わず耳をふさぐ。
村中に響き渡る大音量だった。
あちこちの家に明かりが灯る。
ツムギの家からもお父さんが飛び出してきた。
「げっ……しまったぁ」
ツムギは首をすくめる。
「こらっ!!」
──と叫んだのは、お父さんではなかった。
声のほうを見ると、老婆が飛ぶような速さで駆けてくる。
一瞬、妖怪かと思ってぎょっとしたが――違う。
“ハナリ”の、おばあだ。
「あんたかい、ツムギ!!」
おばあは駆けつけると、ツムギの肩を掴み、ガクガクと揺さぶった。
「まったく!ほんっとに、しょうのない娘だね!!」
「ほわぁぁ……ご、ごめんなさぁい……」
さすがに自分が悪いのはわかっていた。
ツムギは、頭をくらくらさせながらも素直に謝る。
「まったく……あんたは、ほんとに……」
おばあは首を振って天を仰ぎ、屋根の鳥を見上げた。
ツムギもつられて上を見る。
青く光る鳥は――
こちらを、見下ろしているように見えた。
「──御使(みつかい)さま」
ツムギは目を見張る。
おばあが両手をついて膝まずき、ヒカンドリに向かって頭を下げたのだ。
駆けつけた村人たちがざわめく。
おばあは、さっきまで怒鳴っていた人とは思えないほど、静かで、厳かな声で言った。
「──託宣、たまわりました」
ゆっくりと顔を上げると、おばあはツムギに向き直る。
「ツムギ!!」
「は、はいっ!」
ツムギは思わず正座した。
おばあはまっすぐツムギをとらえて言う。
「……見つかっちまったもんは、しょうがない。覚悟を決めんしゃい」
「う、うん?」
きょとんとしていると、おばあの指がツムギを指した。
“――人を指差してはいけません”。
お母さんの言葉が、脳裏をよぎる。
けれど、それはおばあの次の言葉にかき消された。
「あんたが――竜人さまの花嫁だよ」
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