第3話 遠い海の呼び声

 夢の中で、ツムギは海に潜っていた。


 ひとりぼっちじゃない。

 海の生き物たちが一緒だった。


 ジュゴンと、アシカ……だと思う。

 真っ黒でつやつやした、綺麗な生き物。


 そのアシカが青い瞳でツムギを見つめて、


「一緒に行こう」


 と言った。


 アシカがおしゃべりするはずないのに、確かにそう言った気がした。

 ツムギは胸があたたかくなって嬉しくなる。


「待ってて。妹を呼んでくるから。イオリも、生き物と海が大好きなんだよぉ」


 ツムギは海から上がり、息せききって家まで走った。


 玄関を開けると、顔を出したのはお母さんだった。

 びしょ濡れのツムギを見て眉を寄せる。


「また海にいたの? “一人は危ない”って言ってるでしょう」

「一人じゃないよぉ。アシカさんたちと遊んでたの!」


 ツムギの抗議に、お母さんは呆れたような顔をする。


「ここの海にアシカなんていません。あなたはまた、適当なことを……」


 ツムギは肩をすくめた。


「いいからぁ。イオリはどこ?」

「夕飯のお遣いですよ。あなたも少しは……」

「またこんどね!」


 ツムギはあわてて家を抜け出し、ひとりで海に戻った。


 けれど――


 青い瞳の生き物は、もういなかった。


✳︎


 ……そこで目が覚めた。


 顔を上げて時計を見ると、小一時間ほど眠っていたらしい。


(変な時間に眠っちゃったなぁ……)


 ツムギは大きく伸びをする。

 夢の余韻がまだ身体に残っていた。

 たとえ夢でも、また海で遊べたことが少し嬉しい。


(でも……いま思うと確かに、あれはアシカじゃないよなぁ)


 ツムギは首をかしげる。


「アザラシ?セイウチ?……ゴンドウイルカでもないし」


 図鑑をめくりながらつぶやく。


「……かなり、大きかったよねぇ」


 そのとき、下の階が急にあわただしくなった。

 お父さんが帰宅したらしい。


 ……平和な時間は終わりだ。


 しばらくして、どすどすと階段を上がる音。

 ふすまが開く。


「いい子にしてたか」

「うん。お父さん」


 お母さんが、静かに酒と杯を置いて出ていった。


 お父さんは村役場の偉い人で、夕飯のあとは毎晩のようにツムギの部屋で酒を飲む。

 酔いつぶれて、そのまま眠ってしまうことも多い。


 ツムギが杯に酒を注ぐと、お父さんはそれを、ぐいとあおった。


 しばらくは、いつものように自分が解決したトラブルの話。

 それからふと、


「そういえば」


 と、つぶやく。


「今日は、おばばが来てな。また、竜がどうこう騒いでいたぞ」

「ああ……おばあね」

 

 ツムギは相槌を打つ。


 おばあと言っても、ツムギの祖母ではない。

 “ハナリ”と呼ばれる、村の祭事役の女性だ。

 古い伝統や慣習ばかり口にするせいで、村人からは煙たがられている。


 昔、おばあの家の近くで遊んでいたせいか、ツムギは、良くない意味で目をつけられていた。


「おばばが言うにはな、最近、ヒカンドリを見かけるらしい」

「ヒカンドリ?」


 聞き慣れない言葉にツムギは首をかしげた。


「珍しい鳥でな。“竜の使い”だとかなんとか、おばばは言っていたぞ」

「へぇ……珍しい鳥かぁ……」


 胸の奥がそわそわする。


(どんな鳥なんだろう……)


 けれどお父さんは、その気持ちを押さえつけるように言った。


「危険な鳥らしい。皆にも注意したが、ツムギもあまり外に出るな」

「……大丈夫だよぉ。どうせ出られないから」


 ツムギは自分の足をとん、と軽く叩いてみせる。

 お父さんは満足そうにうなずいた。


「女は大人しくしているのが一番だ。あのおばばのようになっては、お終いだ」


 お父さんのいつもの決まり文句だった。


「お前のお転婆も、その足のおかげで落ち着いた。かえって良かったのかもしれん」


 ツムギの胸の奥がひやりとする。


「あとは、嫁ぎ先さえ決まればな」

「……そうだねぇ」


 ツムギは曖昧に笑った。


「お父さんがいろいろ考えてある。お前は、あまり思い詰めるな」

「……はぁい」


 それで満足したのか、お父さんはふらふらと階段を降りていった。

 今日はこの部屋で眠ってしまわなくて、よかった。


 ツムギがほっと息をついていると、酒瓶を片付けに来たお母さんが言う。


「お父さんの言うことはちゃんと聞きなさいね。あなたのことを思っているんだから」

「はいはい」

「“はい”は、一回よ」

「はぁい」


 お母さんはため息をつき、雨戸を閉めて階段を降りていった。

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