銀灰の境界線 【本篇執筆済】
亜麻野
第1話
薄い光が銀灰色の髪に落ちる、それだけの時間。
そこだけは、誰にも触れられない場所のように思えた。
私は強かったはずだ。
気丈で、人を寄せ付けない鋭さを持っていて、
小さな頃は誰に対しても、あいつにも「近寄らないで」と言い放っていた。
でも、本当は誰より孤独を嫌っていた。
それなのに、中学三年生の梅雨。
日常が軋むように揺らいだあの日から、
彼女の世界は音を立てて崩れていった。
“知らない男”の姿を玄関で見た瞬間の、
胸の奥がこわばるような痛み。
母の叫び声と、どこにもぶつけられない恐怖。
私に落ちていく腕の影が、ふと脳裏をよぎる。
その影は、玲奈自身のなかに沈んだまま、
誰にも触れさせない傷になった。
一方で、
皿洗いを終えて制服に袖を通し、
「いってきます」とニュース番組を見る祖父に声を掛ける。
その声音には、昔から変わらない穏やかさがあった。
ひとつだけ、胸にしまい続けているものがある。
幼馴染の少女——雪城玲奈。
小さな頃、泣きそうな顔を隠しながら強がっていた彼女が、
俺の前で笑顔になったとき。
今でも忘れられない。
守りたい。
けれど、彼女の苦しみを、無理に抉るようなことはしたくない。
その距離感を測り続けて、
気づけば何年も経っていた。
そんな”あの日”――梅雨の放課後。
日が沈みかけ、街灯がひとつ、またひとつと灯り始めたとき。
玲奈の姿は、いつもよりずっと小さく見えた。
肩にかけたカーディガンは乱れ、
歩幅もふらついている。
湊は遠くからその背中を見つけ、胸がざわついた。
「れいな……?」
声をかける前に、
彼女は町の外れにある古い階段を下っていく。
いつもと違うと感じて、湊は思わず早歩きになった。
近くまでたどり着くと、
玲奈は階段の途中で立ち尽くしていた。
行く先も、戻る場所も失ったように。
「大丈夫? 玲奈」
振り返ったその顔は、
普段の澄ました表情ではなく、
今にも崩れていきそうだった。
「……来ないで。今は、近くにいてほしくない」
かすれた声。
湊はためらった。
けれど、逃げるように背を向ける玲奈は明らかに普通じゃなくて、
放ってはおけなかった。
「何かあったんだろ。
話さなくていい。せめて近くで——」
その言葉が終わるより早く、玲奈の肩がびくりと震えた。
湊が、彼女に手を伸ばしたのだ。
普段ならなんてことはない、その“手を伸ばす”という仕草に、
玲奈の身体が反射的に強張る。
次の瞬間、彼女は大きく身を引いた。
「っ……来ないで!」
その叫びには、恐怖が滲んでいた。
湊は驚き、足を止めようとして——
玲奈の足が、下りの階段を踏み外した。
身体がふっとぐらつき、重心が崩れる。
「あっ——」
短い悲鳴が、夕暮れに吸い込まれていく。
湊は反射的に地面を蹴り、玲奈の腕を掴んだ。
踏みとどまろうとしたが、バランスを取り戻す前に、二人の身体は宙に引きずられた。
「……っ!!」
鈍い音が、玲奈の体に伝わる。
世界がすうっと、夕闇の色を失ったように感じられた。
「……みなと?」
震える声が、喉からこぼれ落ちた。
彼女の身体の下には、湊の大きな体があった。
片腕で玲奈を抱き寄せるような形のまま、
彼は動かなかった。
胸の奥が冷たく削がれ、背筋を恐怖が駆け上がる。
「湊、ねえ……、湊……!」
呼びかけは震え、喉がうまく動かない。
返事はない。
ただ、微かに上下する胸の動きだけが、そこにあった。
――この日、彼女は知った。
人の怖さを。
人を傷つける怖さを。
影を抱えた少女と、
影に手を伸ばした少年の、物語。
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