【9】


 転校初日――潜入捜査一日目が終わった。

 放課後に行われた、喜田くんとの極秘の作戦会議は、あの後、幾つかの情報交換を行ったのちに解散した。

 やるべきことを共有できた上に、協力者を得ることもできた。初日から大きな収穫だ。

 更に、今後問題解決に動いていくにあたって、有効であろう情報も得ることができたし……。

 順調な滑り出し、と言ったところだろう。


「ふぃ〜ただいま〜」


 一息つきながら、誰もいないアパートの一室に、ただいまの挨拶をするオレ。

 ふむ……自然とその言葉が出てきてしまった以上、オレもなかなかに疲れているようだった。

 自覚こそないものの、身体的には疲れなんて微塵も感じてはいないものの、精神的疲労は、やはり感じているようだ。

 何せ、潜入捜査は、敵のアジトに潜り込むようなものなのだから。色々と気が張ってしまうのも無理はない……。

 それに……潜入先が高校というのもあるのだろう。

 年下の人間たちに紛れ込むのは、大人として、色々と気を付けなくてはならないことも多い。

 十歳程度の歳の差とはいえ、やはりジェネレーションギャップというものは存在している。些細な発言や行動から、怪しまれてしまう可能性も往々にしてある。注意せねば。

 そんな訳で、精神的疲労が著しいと、落ち着ける仮住まいのアパートに帰ってきたことで気付くことのできたオレは、夕飯よりも先に、風呂に入ることにしたのだった。

 熱々の湯船に浸かって、リラックスだ。

 最近のアパートは凄いよな、ボタンを一回押すだけで、ちゃんと希望した温度で、浴槽にお湯をためてくれるのだから。

 便利な時代になったものだ。

 そんな訳でポチッとな。

 ボタンを押すと、浴室の中からジャーっと、水の流れる音がした。

 水というか、お湯なのだが。

 さて、お湯がたまるまでの間に、簡単に夕飯の準備をしておこう。

 あんまり腹は減ってない。カップラーメンでいいか。

 ポットのお湯を温めて……と。

 おっと……この邪魔なカツラも取って……。

 そんな時だった。


 スマホが音を鳴らした。

 着信――オレは即座にスマホの画面を確認する。

 ビデオ通話であり。その着信相手の名前が、画面には表示されている。


『木之下 凛子』――という名前が。


「げっ……」慌てて時刻を確認。現在時刻は19:51……定時報告の時間を、二十分ほど超過してしまっている。


「あっちゃぁ〜……忘れてたぁ〜」


 隊長ともあろう者が、定時報告を忘れるなど、あってはならないことだ。

 大やらかしである。

 こりゃ、怒られるだろうなぁ……。

 出るのやだなぁ〜……と、思いつつ、恐る恐る、通話ボタンを押す。

 嫌なことをするのも、したくないことをしなければならないのも、仕事一つなのだ。

 というか、定時報告は普通に仕事なので、したくないというのが、そもそもおかしな話だった。


「も、もしもし……?」

『待っても待っても定時報告の連絡がなく、ひょっとしたら初日からポカをやらかして殺されちゃったのかしら? とか思いつつ、ダメ元でビデオ通話してみたのだけど、意外も意外、案外すんなりと出たわね。喧嘩を売っているのかしら? まぁ、五体満足で何よりだけれど』


 金髪ロングの長髪、相も変わらず眠そうな二重まぶたの瞳でオレを睨みつけてきている女性が、スマホ画面に映った。

 オレの姿も、向こうのスマホ……もしくは、パソコンに映っていることだろう。


『ちなみに私、今日、あなたの定時報告を受けたら退勤できたのだけれど。家に帰れたはずなのだけれど。あなたが定時報告を怠ったせいで今、絶賛残業中なの。私一応、副隊長という管理職側だから、残業代が出ないのよねぇ……すなわち、私は今サービス残業中という訳。はてさて、あなたは私に、この会社はブラック企業だと思わせたいのかしら?』

「そんな思惑はねぇよ……。けど、定時報告が遅れたことは謝る。すまなかった」

『謝っただけで許されると思ってるの? このゴミ』

「謝っても許して貰えないのか?」

『言葉から誠意を感じられないわ。微塵も、ミジンコ程度にも感じられない。その口は一体何の為についているのかしら? 二酸化炭素を吐き出すためのものなの?』

「これでも誠意を込めて謝ってるつもりなんだけどなぁ……。じゃあ、どうすれば許してくれるんだよ? 凛子りんこ

『気安く名前を呼ばないで。この遅刻魔』

「…………」


 めちゃくちゃ怒っていた。

 まぁ、無理もないか……。


「で、どうすりゃ許してくれるんだ?」

『その頭は何のためについているの? 私に下げるためにあるんでしょ?』

「いやいや……頭ならさっき、言葉と一緒に下げたぞ? それでも納得しなかったじゃないか」

『え? ウソよ』

「いや、マジだよ。下げた下げた、ペコりって」

『は? ペコりごときで許されると思ってるの? そういうところが、誠意が感じられないって言ってるの。床に頭が着いていないじゃないの。そんなお辞儀で許してもらおうだなんて、片腹痛いわ』

「何だよ、土下座すりゃあ良いのか? 分かった、お前に許して貰えるなら、オレは何だってするさ」

『何だってするのなら、土下座よりも、他のものが良いわね』

「……というと?」

『お金……持ってるわよね?』

「そりゃ、持ってるけど」

『私、車が欲しいわ』

「たった一回定時報告を忘れてた程度で車をプレゼントしてたまるか!!」

『ほら、誠意をミジンコも感じられないわ。ほらほら。ようやくしっぽを見せたわね、この薄情者』

「それを言いたいがために、無茶言っただろ……お前……」


 絶対、車なんて欲しいと思っていないよ……こいつ。


『まぁ……嫌味の一つや二つ言わせてよ。本当に心配したんだから』

「…………あー……」


 そう言われると、返す言葉もないな。

 ぐぅのねも出ない。

 謝ろう。

 オレは深く頭を下げ、再度謝罪してみせた。


「心配かけて……ごめん……」

『私、美味しいお肉が食べたいわ』

「結局要求はしてくんのかよ!!」

『…………』

「……え……? おい、何か言えよ……」

『…………』

「はいはい! 分かりました分かりました! 奢らせていただきますとも!」


 何を言われるよりも、無言っていうのが一番怖いよなぁ。

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