第2話

僕の町には素敵な家具屋があるんだ。

そこの椅子職人がね、こんな話をしてくれたんだ。


人間を材料にした椅子の需要は一定数あってな。

背もたれには胸板を、ひじ掛けには腕の骨を使うんだ。


「安心しな。殺しはしない」

彼の工房には、確かに奇妙な椅子がいくつも置かれていた。

木目が不自然に滑らかで、

触れるとわずかに体温を思わせるぬくもりが残る。

「人間ってのは、よくできた素材でな」

背もたれに使う胸板は、

呼吸していた名残で、自然な湾曲を持っている。

寄りかかると、妙に落ち着く。

誰かの背中に、子供の頃に顔をうずめたときの感覚に似ている。

「肘掛けは腕の骨だ。

 特に、何かを抱えてきた腕がいい」

力仕事をしていた者。

子を抱いた者。

誰かの肩に手を置き続けた者。

そういう腕は、

重さを預けることを、もう知っている。

「死体を使うのかって?

 まさか」

彼は笑った。

「ちゃんと“了承”を取る」

この町には、そういう契約がある。

死後、あるいは老後。

自分の一部を、椅子として残すという選択。

骨だけではない。

皮膚をなめした革。

腱を編んだ座面。

髪を混ぜた塗料。

「全部使うわけじゃない。

 その人が“座らせてきた部分”だけだ」

座らせてきた人生。

誰かを休ませてきた時間。

だから、その椅子は壊れにくい。

乱暴に扱っても、軋むだけで折れない。

壊れる前に、座る側が姿勢を正してしまう。

「怒るんだよ」

彼はぽつりと言った。

「無理な座り方をすると、な」

もちろん、動いたりはしない。

だが、

妙に居心地が悪くなる。

背筋がぞわりとする。

長居できない。

「椅子に叱られるってやつだ」

需要は確かにあるらしい。

特に、

誰かを失ったばかりの人間や、

自分が誰かに支えられて生きてきたことを

どうしても忘れたくない人間に。

「ただな」

椅子職人は、最後にこう付け加えた。

「人間を材料にした椅子は、

 “座るため”だけに作っちゃいけない」

使い捨ての家具にした瞬間、

それはただの残骸になる。

「椅子ってのはな」

彼は、一脚の椅子を静かに撫でた。

「座る人間を、少しだけ

 “人間に戻す”もんなんだ」

その椅子の背もたれは、

確かに――

胸があるべき場所の形をしていた。

僕は、無意識のうちに

そこへ寄りかかる自分の姿を想像して、

少しだけ、息を整えた。


「今あんたが、座っている椅子も、実は人間で出来た椅子だ。」


その言葉を聞いた瞬間、

最初に感じたのは恐怖じゃなかった。

――ああ、だからか。

妙に、座り心地がいい理由に、合点がいった。

背もたれに預けていた重みが、

ちょうど「受け止められている」感覚だったこと。

肘を置いた位置が、

誰かの腕にそっと触れているみたいに自然だったこと。

私は、ゆっくりと姿勢を変えた。

椅子は、きしりとも鳴らない。

むしろ、わずかに“合わせてくる”。

「……誰だ」

そう聞いたのは、

正体を知りたいからじゃない。

礼儀として、名前を尋ねるべきだと思ったからだ。

椅子職人は、肩をすくめた。

「名は、もう残ってない」

「残したくなかった人間だ」

それでいい、と私は思った。

この椅子は、

記念碑になるために作られたものじゃない。

「生前、あいつはよく言ってたよ」

『俺は、前に立つより、

 誰かが座れる場所でいい』ってな。

私は、深く腰掛け直した。

すると、不思議なことに、

呼吸が整った。

背中に、余計な力が入らなくなる。

「怖くないのか?」

職人が聞く。

「怖いですよ」

僕は正直に答えた。

「でも……」

言葉を探して、

しばらく沈黙した。

「この椅子は、

 座る人間を試してない」

「使われることを、

 最初から許してる」

人間を材料にした椅子が、

必ずしも呪いになるわけじゃない。

それは、

誰かが“自分を置いていった場所”だ。

「だから、売れるんだ」

職人はそう言って、

作業台に戻った。

「人はな、

 完全に一人で立ち続けるより、

 一瞬でも、誰かに体重を預けたい」

私は、立ち上がらなかった。

この椅子から、すぐには。


店を出て連れの男が言った。

さっきのは、あの職人のほら話だよ。

さすがに、そんなことはどこの州でも許されちゃいない。


男は笑っていた。

乾いた笑いで、冗談を冗談として片づける時の顔だった。

「人間で椅子なんてさ。

 規制だらけだよ。どこの州でもアウトだ」

夕方の風が通りを抜け、

店の看板が、きぃ、と鳴った。

さっきまで座っていた感触を思い出そうとした。

だが、もう細部は曖昧になり始めている。

よくある椅子だった、という記憶に、

上書きされていく。

「……そうだよな」

そう返すと、男は満足そうに頷いた。

「昔話とか、都市伝説の類だよ。

 職人ってのは、腕だけじゃなくて

 口も達者じゃないと生き残れないからさ」

歩き出す。

石畳の上を、二人分の足音。

数歩進んでから、

僕は何気ない調子で聞いた。

「でもさ」

男は振り返らない。

「もし本当に、人間で出来た椅子があったとして」

「それに座った人間は、どうやって気づくんだろうな」

一瞬、間があった。

「気づかないだろ」

男は即答した。

「だって、

 人間にとって一番自然な感触って、

 結局――人間だからな」

それきり、会話は途切れた。

店の前を、もう一度だけ振り返る。

ガラス越しに見える椅子たちは、

ただの家具の顔をしている。

背もたれも、肘掛けも、

どれも静かで、従順で、

座られることを前提にそこにある。

僕は歩き出した。

今度は、

自分の身体が、

どこかに“置かれている感覚”を

確かめるように。

ほら話だ。

そういうことにしておいたほうが、

きっと暮らしやすい。

それでも――

今夜、家で椅子に腰を下ろすとき、

僕は少しだけ、姿勢を正すだろう。

理由は、説明できない。

ただ、

座るという行為が、

誰かの在り方の上に成り立っている気がしてならない。

それだけだ。


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