第9話:最終決戦:臨界点(ティッピング・ポイント)
第9話:最終決戦:臨界点(ティッピング・ポイント)
空が、ひび割れた黒曜石のように変色していた。
世界各地で蓄積し続けた「魔力の煤(カーボン・マナ)」が、ついに自己組織化を開始したのだ。それは意志を持つ巨大な影の嵐となり、成層圏を覆い尽くしている。 地上には、焦げたゴムと死の静寂を混ぜ合わせたような、不気味な「重圧」がのしかかっていた。
「……臨界点(ティッピング・ポイント)か。少し、予定より早いな」
コウヘイは富士山麓に建設された、アス・マジックの最終中継基地(ハブ)に立っていた。 吹き荒れる風は冷たく、それでいて肺の奥を焼くような化学的な熱を帯びている。視界の端々で、ARモニターが「全次元滅亡確率:98%」という数値を無慈悲に点滅させていた。
「社長! 各地のグリッドが逆流しています! 魔界も精霊界も、この圧力に耐えきれず接続を遮断し始めています!」 トクナガの叫びが、爆音のような風鳴りに紛れて聞こえる。
「遮断させるな! 今、手を離せば二度と繋がらないぞ!」 コウヘイは荒れ狂う風の中、防護服も着ずに岩場を駆け上がった。 かつて商社マンとして世界を飛び回り、ラグビー部として泥を啜った。そのすべての経験が、今、この一瞬の「突破」のためにある。
「トクナガ、世界中の『排出権取引システム』を強制的に同期させろ。全魔力資源をこの一点に集約する。人類、魔族、精霊……全プレイヤーを一つのチームに編み直すんだ!」
『無茶ですよ! そんな膨大な魔力、受容体(レシーバー)が持ちません。核融合以上の暴走が起きます!』
「レシーバーなら、ここにある!」 コウヘイは自分の胸を叩いた。 「私がスクラムの第一列(プロップ)になる。全魔力を私に通せ。私がこの嵐を押し返す!」
「西和田、貴様、正気か!?」 モニターに、魔王ヴォルガノスの顔が映し出された。 「人間の肉体で、全世界の魔力(マナ)を受け止めるなど、死を越えた消滅だぞ!」
「ヴォルガノス、あんたも言っただろう。私は面白い人間だってな」 コウヘイは、かつてないほど真っ直ぐな、そして清々しい瞳で魔王を見た。 「これはビジネスじゃない。……私たちが、次世代(アス)へパスを繋ぐための、最後のセットプレーだ。あんたの魔界の資金(ちから)も、出し惜しみするなよ!」
魔王は一瞬絶句し、やがて不敵に笑った。 「……よかろう。貴様の命、高く買い取ってやる! 全軍、出力を最大(フル)にしろッ!!」
その瞬間、世界が変わった。 魔界の深淵から、精霊界の古き森から、そして人間界の摩天楼から。 色とりどりの、だが今は浄化されたエメラルドグリーンの魔力の奔流が、一筋の光の帯となって富士の頂へと集束していく。
「――っ、ぐ、あああああああッ!!」
コウヘイの身体に、全次元のエネルギーが流れ込んだ。 筋肉が引き千切れ、毛細血管が次々と弾ける。視界は真っ白になり、鼻からは鉄の味がする血が溢れ出した。 だが、彼は膝を折らなかった。 一歩。泥濘に足を取られるような感覚を、魂の力で踏みしめる。
「――まだだ! まだ、ゲインを切ってないぞ!!」
コウヘイの背後に、幻影が見えた。 泥だらけでスクラムを組む仲間たち。かつて自分が救ってきた精霊。名門を再興させた魔術師。そして、未来を信じて魔力を預けた市民たち。 彼らの意思が、重圧となってコウヘイを支える。
「……トクナガ、今だ……全パルスを……前方へ放出(スロー)しろ!!」
『――コネクト!! ノーサイドまで、走り抜けてください、社長ォォォッ!!』
コウヘイの右拳が、空を覆う黒い災厄に向かって突き出された。 彼を媒介にした全次元の魔力が、一点の針のような鋭さを持って、世界の煤の核(コア)を貫いた。
ドォォォォォォォォォォォォォォォン!!
音のない衝撃波。 汚れた黒い雲が、内側から弾けるように霧散していく。 空気に混じっていた異臭が消え、代わりに、春の訪れのような、甘く清らかな酸素の匂いが立ち込めた。
黒いカーテンが引き剥がされた空から、数ヶ月ぶりとなる、本物の「太陽の光」が差し込んだ。 それは、ボロボロになったコウヘイの全身を、優しく包み込む。
「……見たか、トクナガ。……空が、見えるぞ」
コウヘイは、崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。 指先一つ動かせない。スーツは灰になり、全身は火傷だらけだ。 だが、耳元に聞こえるのは、世界中で響き渡る、人々の歓喜の叫びだった。
「……勝ったんだな。俺たち、ワンチームで」
コウヘイは、ゆっくりと目を閉じた。 頬を撫でる風は、もう煤を含んでいない。 ただ、どこまでも清々しく、新しい命の予感に満ちていた。
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