第7話:泥臭いイノベーション

第7話:泥臭いイノベーション


深夜二時。アス・マジックの秘密実験場である奥多摩の廃坑道は、絶望の色に染まっていた。


「……ダメだ、また『逆流』した。理論上は完璧なのに、魔力が循環(ループ)に入らない!」


エリート魔術師出身の若手社員が、真っ白な白衣を汚して床に崩れ落ちた。 坑道内に漂うのは、失敗した魔法回路から漏れ出した、焦げたゴムのような不快な臭気。そして、重く湿った冷気。 最新鋭の魔力測定器は無慈悲なエラー音を刻み、モニターには赤字のノイズが走る。


「西和田社長、もう限界です……。クリーン魔力なんて、結局は机上の空論だったんだ。ヴォルガノスからの出資も、これじゃ返金(リファンド)ですよ。僕たちは、最初から勝てない試合をしていたんだ……」


暗闇の中から、重い足音が響いた。 現れたのは、泥だらけの作業着に身を包んだコウヘイだった。顔は煤で汚れ、肩で激しく息をしているが、その瞳だけは、深夜の闇を切り裂くほどに鋭く光っている。


「――勝てない試合? 誰が決めた。まだノーサイドの笛は鳴ってないぞ」


コウヘイは無造作に、床に転がっていた巨大な魔力導管(ケーブル)を担ぎ上げた。百キロはあろうかという重量級の導管が、彼の分厚い肩にめり込む。


「社長! 何を……そんな肉体労働、僕たち作業員に任せれば……」


「任せられるか。現場で何が起きてるかも分からずに、経営ができるかよ」


コウヘイは導管を端子へと押し込み、荒い手つきでボルトを締め上げた。鉄と鉄が擦れ合う高い音、そして彼の手のひらから滴り落ちる血が、冷たいコンクリートに赤い点を作る。


「いいか、みんな。理論が通じないのは、そこに『現場の不純物』が混じってるからだ。それは机の上じゃ見えない。泥にまみれて、手で触れて、五感で感じるしかないんだ。……トクナガ! 電流のバイパスをC系統に切り替えろ!」


『……社長、それ以上負荷をかけると、回路が持ちません。爆発するリスクがあります』


イヤホン越しに、トクナガの声も枯れている。彼もまた、三日間寝ずにプログラムを書き換えていた。


「リスクなんて承知の上だ。……フォワードが体を張らなきゃ、バックスにボールは回らない。私がここで導管を抑える。……全出力を、今すぐブチ込めッ!!」


「社長、危ない!」


若手社員たちが止める間もなく、コウヘイは剥き出しの導管を両腕で抱え込んだ。 バチバチッ! という凄まじい放電。青白い火花がコウヘイの全身を焼き、焦げる匂いと、筋肉が引き千切れるような激痛が彼を襲う。


「ぐ、うおぉぉぉぉぉッ!!」


怒号のような叫び。コウヘイの背中の筋肉が、ラグビーのスクラムを押し込む時のように、はち切れんばかりに膨らむ。 冷たい坑道の中で、彼の体温だけが異常に上昇し、周囲の霧を蒸発させていく。


「見ろ……! 逃げるな! 魔力の流れを感じろ! こいつは生きてるんだ。型にはめようとするな、俺たちの意思で、強引にゴールまで運ぶんだよ!」


その光景に、社員たちの目に熱いものが宿った。 アカデミーで「スマートな魔法」だけを学んできた彼らにとって、それはあまりにも野蛮で、あまりにも泥臭く、そして――あまりにも美しい「執着」だった。


「……手伝います。社長、一人で抱えないでください!」 「私も! C系統の魔圧制御、手動で行きます!」


一人、また一人と、絶望していた社員たちが立ち上がった。彼らは汚れを気にせず、泥に膝をつき、コウヘイが繋ぎ止めた導管に手を添えた。


十人、二十人。 バラバラだった個々の魔力が、コウヘイの肉体を媒介にして、一つの巨大な「スクラム」へと変わる。


「――トクナガ! 今だ、回せ!!」


『……同期成功。全回路、クリーン魔力への転換を開始! 行けぇぇぇぇッ!!』


ドォォォォン!!


坑道内に、地鳴りのような音が響いた。 だがそれは、爆発の音ではなかった。 濁っていた黒い魔力が、一瞬にして透き通るようなエメラルドグリーンへと輝きを変え、血管のように張り巡らされた導管の中を、滑らかに、かつ力強く流れ始めた。


測定器のアラートが消え、モニターには「EMISSION FREE(排出ゼロ)」の文字が踊る。


「……繋がった……。やった、やったぞ!!」


若手社員が泣きながら叫んだ。 コウヘイは導管を放すと、その場に大の字になって倒れ込んだ。全身の傷が疼き、意識は朦朧としている。だが、鼻を突くのはもう焦げた匂いではなく、森の奥深くのような、清々しい酸素の匂いだった。


「……見たか。これが、イノベーションの正体だ」


コウヘイは天井を見上げ、真っ白な歯を見せて笑った。 「スマートな計算だけじゃ、世界は塗り替えられない。……最後にモノを言うのは、泥を啜ってでもゴールラインを割るっていう、執念だ」


社員たちが、一斉にコウヘイを囲んだ。そこにはもう、エリート気取りの魔術師も、自信を失ったサラリーマンもいなかった。 あるのは、一つの高い志を共有した「ワンチーム」だけだった。


「社長……最高の試合(プロダクト)でした」


「ああ。……でも、祝杯はまだ早いぞ。明日からはこの技術を、世界中のグリッドに実装しに行く。……準備はいいか?」


「「「「「はい!!」」」」」


坑道に響いたその返事には、かつてのどよめきとは違う、揺るぎない確信がこもっていた。 コウヘイは泥だらけの手で、仲間の手を握り返した。 彼の背中が、新しい時代のエネルギーを、今、世界へと押し出そうとしていた。


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