第3話 綾乃の話をしてよ

 結局、私は結花ゆかとそれ以上の言葉を交わすことなく、その日の学校を終えることができた。

 休み時間のたびに、結花の周りをクラスメイトたちが囲み、彼女を質問攻めにしてくれたおかげだ。

 私はその間、席を立ったり寝たふりをしたりしてやり過ごし、放課後はアルバイトがあることを理由に足早に教室を去った。


 喫茶店『ふーでぃえ』のロッカールームで息を整えた後、汗を拭いてゆっくりと着替える。

 わかっている。私は本当は、結花から逃げてはいけない。幼い頃に私が起こした事故で負わせてしまった彼女の傷に対して、責任を取らなければならない。理解はしているけれど、それでも、少しだけ時間が欲しかった。あまりにも急な再会に、私は何の覚悟もできていなかった。


 バイトの制服に着替え、仕事場に出る。

 夕方の時間帯は比較的暇ではあるが、それでもやるべきことは多い。

 厨房の前を通ったところで、店長に呼び止められた。


「綾乃ちゃん。四番卓のご新規さん、コーヒー淹れ終わるから持って行って」

「はーい」


 店長からトレーを受け取り、ホールへと出る。

 四番卓には、私と同じ金蓮花高校の制服を着た女の子が一人、姿勢よく座って、窓の外を眺めていた。


「お待たせしまし――」


 ここでカップを落とさなかった私を、誰か褒めてほしい。

 なぜなら、振り向いたその顔は――。

 四番テーブルで笑みをたたえながら待ち受けていたのは、今日転校してきたばかりの、かつての幼馴染。

 染葉あいば結花、その人だったのだから。


「なん――で」


 油断していた。制服が見えた時点で、顔をよく確認して店長に交代してもらうべきだった。

 この店は学校の最寄り駅のすぐ近くにある。遠方から通学する生徒がこの店を利用することは珍しくなく、制服姿を見ること自体に違和感はなかったのだ。


「だって、綾乃ったら帰っちゃうんだもの。久しぶりに話したかったのに」

「それは……バイトがあるから、仕方なく」

「うん。だから来てあげたのよ」

「でも、どうしてここが?」

「宮坂さんに聞いたの。あの子、綾乃のお友達なんでしょう? いい子よね。大事にしないとね」

「――っ」


 蛇のように艶やかな笑みを浮かべる結花。

 これ以上、彼女を怒らせるわけにはいかない。あの質問攻めを逆手にとって、結花はたった一日で私の交友関係やクラス内での立ち位置を把握してしまったに違いなかった。

 もしこれ以上彼女を遠ざけ続ければ、二カ月かけて築いてきた私の居場所がどうなるかわからない。最悪の場合、親友である宮坂きいろにまで迷惑をかけることになる。もう、腹をくくるしかないのだ。


「ねえ、コーヒー早くちょうだい」

「あ」


 結花が少し困ったように首を傾げた。

 私はトレーを手にしたまま、結花と対峙して固まってしまっていた。


「ごめん、お待たせしました」

「はーい。ありがとう」


 ソーサーとカップを置くと、彼女はにっこりと、他人向けの完璧な笑顔を作って見せた。

 結花はカップを手に取り、コーヒーを一口啜る。


「ん、美味しい。良い豆を使ってるね、ここ」

「あ……ありがとうございます」


 ぎこちなく礼を言うと、結花はまたクスリと笑った。


「ふふ。変な綾乃。ねえ、シフトは何時まで? あたし、それまで待ってるから」

「え……と、二十時までだけど。いいの?」

「ん。大丈夫。課題をやってるからいいよ」

「う、うん」


 覚悟を決めた矢先、結花はまだしばらくの猶予をくれるようだった。私は彼女のいるテーブルを離れ、仕事に戻る。


 もしかしたら、彼女はもうとっくに私のことを許しているのかもしれない――。

 そんな甘えた幻想が脳裏をよぎり、彼女の方を振り返る。だが、次の瞬間にその期待は打ち砕かれた。黒髪のヴェールに隠された左目が、ぎょろりと私を射抜いたのだ。


 その瞬間、彼女の悲鳴と、炎が燃え上がる音。大人たちの怒号がフラッシュバックした。膝の力が抜け、転びそうになる。慌てて壁に手をつき、踏みとどまった。


 脳裏に浮かぶのは、顔が焼け爛れ絶叫する結花の姿。


 そうだ。そんな簡単に許されるはずがない。許されていいはずがない。


 四年前、私が起こした事故で顔に大火傷を負った結花。そのせいで両親が離婚した彼女は、母親に引き取られて遠方へと去った。

 二度と会わないかもしれない――なんて、私が勝手に抱いた願望に過ぎない。

 私は彼女の人生をめちゃくちゃにした加害者だ。一生をかけて罪を償い、身も心も彼女に尽くさなければならなかったのに。


 染葉結花に誠心誠意尽くし、償い続けること。それが和中綾乃に許された、残りの人生の唯一の使い道だった。

 そんなことはあの日から決まっていて、今まではその猶予をもらっていただけに過ぎないんだ。


 彼女の顔に残る傷跡が、私にそれをハッキリと自覚させた。

 だってあんなに可愛かった結花の顔を、私が台無しにしちゃったんだから。


◆◆◆


「ごめんね、お待たせ」


 バイトのシフトが終わり、裏口から店を出ると、結花はピンと背筋を伸ばしたお人形のように、真っ直ぐ立って待っていた。


「ううん、大丈夫。待ってるって言ったでしょ」

「えと、それで、どこで話す?」

「うーん」


 結花は私の左側に並び、ぴと、と肩を寄せてきた。

 その無邪気な態度に、私は戸惑いを隠せない。


「歩きながら話そ、綾乃。少し遠回りして」

「う、うん。いいけど」


 私の動揺をよそに、結花は楽しげに歩き始めた。

 左側にいる結花の横顔は傷一つなく綺麗で、まるで幼い頃のままのようだった。


「えと、家は前の家?」

「うん。あのころと同じ。お父さんはずっとそこに住んでたから」

「親権がどうのって言ってたけど……お母さんとは?」


 そこまで口にして、「しまった」と後悔した。『お母さん』という単語が出た瞬間、結花の顔がひどく曇ったように見えたからだ。


「あの人の話はしたくないな」

「ご、ごめん」

「ふふ、なんで綾乃が謝るのよ」


 結花が私の背中を軽く小突いた。

 彼女がこちらを向いた瞬間、ぎょろりとした左目の視線に射抜かれ、心が縮み上がる。


「綾乃の話をしてよ。この四年間、どうだった?」

「別に、普通だよ。普通に小学校を出て、普通の中学時代を送った……と思う」

「ふーん。彼氏とかは?」

「い、いないよ」

「へぇ〜。そうなんだ。ふぅん」


 ニヤニヤと、嬉しそうな笑みを浮かべる結花。私がモテないと思って馬鹿にしているのだろうか。

 ……本当は、中学時代に何度か告白されたことはある。でも、私はそれをすべて断ってきた。

 だって、結花にあんなことをした私に、恋人を作って幸せになる資格なんてあるはずがないと思ってたから。


 しばらく話しながら歩いていると、小さな公園にたどり着いた。

 昔、結花とよく遊んでいた場所だ。


「久しぶりだね。あの頃のまんまだ」


 誰もいない、街灯に照らされた薄暗い公園。

 結花は柵の横に鞄を置き、ブランコに座った。


「ねえ、綾乃も来なよ」

「う、うん」


 彼女の右隣のブランコに、私も腰を下ろす。

 左に目をやれば、街灯に照らされた結花の横顔が見える。

 小さい頃もこうして、並んでブランコに乗ったっけな。


「綾乃、あたしね。新潟にいる間、ずっとあなたのこと考えてた」

「――!」


 その言葉に、心臓が跳ねる。素手で心臓を撫でられるような感覚は――恐怖だった。

 彼女はやはり、顔に傷をつけた私のことをずっと恨み続けていたのだ。


「ねえ、綾乃。綾乃はあたしに借りがあるよね」


 結花が、スッとこちらを振り向いた。

 前髪が揺れ、また傷が露わになる。左目がぎらりと光り、私の心臓を鷲掴みにした。


「う、うん」

「じゃあ、あの時の約束も有効? 『私のお願い、何でも聞いてくれる』ってやつ」

「う、うん」


 ああ、ついに、ついにきた。


 あの時、病院のベッドに横たわる結花に、必死に謝りながら、赦して欲しい一心でかわした約束。

 金銭だろうか。高校生に用意できる額なんてたかが知れているけれど、毎月のバイト代を全額渡すくらいなら出来る。それとも同じような傷を顔に付けてとか言われるんだろうか。私のために犯罪を犯せとか、一生奴隷になれ、なんて言われるかもしれない。

 でも、構わない。覚悟はできている。彼女の要求には何でも応える。私は一生をかけて、彼女に償うんだ。


「それじゃあ、綾乃。あたしと、付き合ってほしい」

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