第2話 誰の席だろ、これ
春の陽気が早々にどこかへ消え、雨の季節を前に、夏の暑さがじわじわと顔を出してきた頃。
朝、登校して教室に入ると、私はある違和感を覚えた。
「誰の席だろ、これ」
私の席は窓際の一番後ろという好立地だ。しかも三十一人クラスのため列からはみ出し、隣の席というものが今まで存在しなかった。そんな空白だった場所に、新しい机と椅子がいつの間にか運び込まれていたのだ。
困惑する私のもとに、クラスメイトで友人の小型犬系元気娘、宮坂きいろがテンション高めに話しかけてきた。
「ねえ綾乃。今日、転校生来るんやってー。知ってた?」
「え、そうなん。知らんかった」
なるほど、転校生か。この空白の席はその人のために新しく設置されたわけだ。どおりで朝からクラスがいつもよりざわざわしているはずである。
この金蓮花高校に入学してから二カ月。
アメリカのスクールコメディじゃあるまいし、ゴリゴリのスクールカーストなんてものは日本の女子高には存在しない。けれど、それでもよくつるむ相手や仲良しグループのようなものは自然に形成されていく。二ヶ月も経てば、もうすっかりそれは固定化されてきた頃だ。
転校生ともなると、このクラスのそうした勢力図が書き換わる可能性を秘めている。
……なーんていうと大げさすぎるか。要するに、みんなどんな子が来るか興味津々なのだ。
「きいろちゃん、どんな子か見たん?」
「ちらっとだけ見たよ〜。多分、可愛かった!」
「多分?」
「なんていうかな、顔が半分しか見えなかったんよね」
「半分?」
「うん。なんていうか、前髪で隠れてて……」
「ふうん?」
確かうちの学校では、目にかかるような長い前髪は校則違反だった気がするけれど、大丈夫だろうか。その子、初日から生徒指導室送りになったりしないといいけど。
そんな心配をしていると、副担任の如月茉莉也先生が、噂の転校生を引き連れて教室の扉を開け、中へと入ってきた。
「――――は?」
そして、その子の顔を見た瞬間。私の思考は、完全に凍り付いた。
「綾乃? どしたん? あーやーのー?」
きいろが、反応のなくなった私の顔の前で手を振る。
けれど、私の視線はその転校生に釘付けになったまま、一ミリも動かせなかった。
「はーい、おはようございます。みんな席について。宮坂さーん、ホームルーム始めるわよ」
「いけね。はーい」
如月先生の注意を受けて、きいろが自分の席に慌てて戻っていく。
先生がチョークを手に取り、黒板に転校生の名前を書いている間も、私は彼女の姿を凝視し続けていた。
名前なんて見る必要はない。見なくてもわかる。私は彼女を知っている。
感動の再会……なわけがない。心臓は早鐘を打ち、嫌な冷や汗が止まらなくなった。
『助けて! あやの! たすけて! おねがい! たすけて!』
顔を抑えながら泣き叫ぶ彼女の悲鳴が、水底に沈めたはずの記憶から浮かび上がって、私の脳裏に響き渡る。
「はい。今日からこのクラスの仲間になる、
教壇の横に立ったのは、肩まで伸ばしたウェーブの黒髪が艶やかな、可憐な少女。きいろの情報の通り、顔の左半分は長く伸ばした前髪で隠されてしまっている。
「初めまして。そして、
結花は体の前で手を組み、すらっとした立ち姿のまま話を続ける。その堂々たるオーラに、クラスのざわつきはいつの間にか収まっていた。その場の空気を一瞬で自分のモノにする力。カリスマとでも呼ぶべきか。昔から、彼女にはそういう魅力があった。本当なら委員長とか、生徒会長とか、そういう社会の中心に立てる才能を持った人だった。
「気になっている方がいるかもしれないので、最初に説明させてください。この前髪ですが」
結花の細い指先が、左顔面を覆う前髪に触れる。
「私、幼い頃に顔に大火傷を負ってしまい、その傷が今も残っています。普通なら校則違反ですけど、事情を話して特別に伸ばしたままでよいという許可をいただきました。結構醜いので、普段は髪で隠すようにしていますが、不意に見えてしまうこともあるかもしれません。もしそれで気分を害してしまったらごめんなさい」
彼女の言葉に、息を呑む。その傷は、彼女が幼いころに起きたある事故が原因だ。
そして、その事故を起こしてしまったのは――。
「左目は視力も落ちていて、遠近感を掴むのがちょっと苦手です。おかげさまですごい運動音痴で、特に球技は大の苦手です。そのかわり、勉強はわりと得意なので皆さんに追いつけるよう頑張ります。趣味もインドアで、読書や映画鑑賞が好きです。……こんな私ですけど、仲良くしていただけると嬉しいです。よろしくお願いします」
結花が深々とお辞儀をすると、教室中に自然と拍手が沸き起こった。
顔を上げてニコっと微笑む彼女に、女子校らしい黄色い歓声さえ上がりそうな勢いだ。
「それじゃあ、染葉さん。一番後ろの、右から二番目の席に座って。
「はい」
先生に促され、結花がこちらへと歩いてくる。私の席の、すぐ隣にある空席に向かって。
クラスの歓迎ムードとは裏腹に、私の胃の奥からは今にも胃液がせり上がってきそうだった。
一歩、また一歩と彼女が近づいてくるたびに、私の心臓は軋むような音を立てて激しく脈打つ。
炎、叫び声、怒号。
記憶の水底から泥のような思い出が溢れ出し、私の心を絡め取っていく。
結花が、席に着く。そして――スッとこちらを振り向いた。
「……久しぶり、綾乃」
結花が、笑みを浮かべる。
先ほどクラスのみんなに見せた無垢な笑顔とは違う。歪で、おぞましささえ覚えるような、昏い笑顔。
わずかに揺れた黒髪の隙間から、隠された素顔が覗く。痛々しく赤いケロイド状の傷跡が、蜘蛛の巣のように彼女の顔の左半分を覆っていた。
あの日――私がつけた、消えない傷跡。
「綾乃?」
返事をしない私を覗き込むように、結花が小首を傾げる。
だめだ、何か答えなければ。私に、彼女を拒絶する権利なんてありはしないのだから。
「ひ、久しぶりだね。結花」
自分でも驚くほど声が震えてしまった。
けれど結花はそんな私の様子を気にする様子もなく、淡々と会話を続けた。
「うん。お父さんが親権を取り返すのに手間取っちゃってね。本当は四月から入学したかったんだけど、二ヶ月はあっちにいなきゃいけなかったの」
「そ、そうなんだ……」
「うん。まあ、積もる話はまたあとでね」
さすがに転校初日から私語で注意されたくはなかったのか、結花は正面を向いて姿勢を正した。
そこでようやく、私の鼓動は少しだけ落ち着きを取り戻し、HRを進める先生の声が耳に入るようになってきた。
親権――。
だから私も、今の今まで、二度と彼女と会うことはないと、そう思い込んでいたのに。
結局のところ、人間は過去からは逃げられないのだ。
因果応報。自分が犯した罪は、いつか必ず清算しなければならない日がやってくる。
『その日が来たんだぞ』と。前髪に隠れた彼女の左目が、冷ややかな視線でそう告げているような気がした。
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