幼馴染で元親友のあの子は私に復讐したいはずなのに!
星のうつみ
第1話 でも、バレなかったでしょ?
大阪の中心地、梅田からわずか一駅。
マンションの立ち並ぶ静かな住宅街。
そこが私の生まれ故郷。
駅の北側に広がる商店街は、西へ三百メートル以上も続いている。サラリーマン御用達の居酒屋から、お洒落なカフェや飲食店、衣料品店に書店、パン屋に雑貨屋。新旧入り混じった店の間を、今日も多くの人や自転車が行き交う。
このご時世にシャッターを下ろしている店が少ないのは、この街の誇れるところだろう。出口の先にある大型スーパーのせいか魚屋さんや八百屋さん、肉屋さんみたいな定番のお店はないが、商店街全体としてはうまく共存できているようだ。
そんな商店街入口のアーチ看板をくぐって左側の2件目を見ると、私のバイト先である喫茶店『ふーでぃえ』はある。
長年続く老舗だが、十五年ほど前にリノベーションしたらしい。コンクリート打ちっぱなしの壁にアンティークの調度品が並び、現代の感覚でも十分通用するモダンな雰囲気を醸し出している。
「店長。五番卓のバッシング終わりました」
「ありがと、綾乃ちゃん。ちょっと厨房入ってくれる?」
駅前の一等地だけあって、混む時は目が回るほど忙しい店だが、午後のティータイムのピークが過ぎる夕方頃には少し落ち着く。
今、客席にいるのは一人。窓際の席に座る常連さんが、静音キーボードをカタカタと小気味よく鳴らしているだけだ。
「それじゃ、八番卓さん。そろそろカフェラテのおかわりだと思うから、綾乃ちゃん淹れてみて」
「ええっ?」
カウンターの内側。厨房に入った途端、店長にささやかれた言葉に、私は思わず声を漏らした。
「だ、だって八番卓ってリンネ先生じゃないですか。先生、マスターの淹れたものしか飲まないんじゃ……」
宝月リンネ先生。この街出身の若手女流ホラー作家にして、この店の常連さんだ。
毎日、客足が遠のく頃を見計らって来店し、カフェラテを啜りながら閉店時間まで執筆に没頭している。
「どうせマシンで淹れるんだもん。味の違いなんてわかりゃしないって」
「ですけど……」
「いいから、ほらほら」
店長に背中を押され、私は渋々とエスプレッソマシンに向き合った。
挽きたての豆をホルダーに詰めてセットし、抽出ボタンを押す。
それからスチームノズルを引き寄せ、ノズルに残った水を排出するため空ぶかしをする。
シューッという激しい音に、一瞬鳥肌が立つ。私はこのマシンが蒸気を吐き出す瞬間が、たまらなく怖い。
空ぶかしを止めて、ミルクの入ったシルバーのピッチャーを差し込んだ。機械のスイッチを入れると、音とともにミルクの表面が波立つ。ノズルを少しだけミルクの表面から出すと「チチチッ」と破裂するような音が耳をついて、ミルクの表面に空気が入る。
こうやって牛乳を温め、空気を混ぜ込みながら撹拌する作業は、バリスタにとって最も重要な技術だ。店長は「味の違いなんて分からない」なんて言ってたけど、そんなわけがあるか。この作業に不備があればビックリするくらい味が落ちる。彼女はいつも「簡単だよ~」なんて言いながら軽々しくやってのけるが、まあ天才ってやつなんだろう。理想のフォームミルク、スチームミルクを作るのは驚くほど難しい。
なんとか慎重にこなし、エスプレッソと合わせる。
「できました」
「じゃ、持って行ってあげて」
「……はい」
一応は形になったカフェラテをトレーに乗せ、ホールへと向かう。こだわりを持つ客を騙すような真似に気が引けて、足取りが重い。
八番テーブル。窓際でキーボードを叩く作家先生の元へ、恐る恐る近づいた。
「お待たせいたしました。カフェラテのおかわりです」
カップを置き、空になった器を引き取る。
「こちら、お下げいたします」
「ん」
返事と同時に、リンネ先生がカフェラテを一口、口に含んだ。
「――っ」
思わず唾を呑み込む。バレて怒られるだろうか。
リンネ先生は、私の憧れの美人作家だ。
二十代後半。長い黒髪に、憂いを帯びた整った横顔は、まるで西洋の宗教画のような美しさを放っている。カップを持つ左手の薬指には、シンプルなシルバーのリングが輝いていた。先生は眉一つ動かさずカップを置き、また何事もなかったかのように執筆に戻った。
よかった、バレなかったみたい。
私は小さくお辞儀をして、逃げるように厨房へと戻った。
「もう、マスター! 人が悪いですよ!」
この店では店長のことをマスターと呼ばなければならないらしい。先代からのルールなんだそうだ。
私は戻った勢いのまま、
「ごめんごめん。でも、バレなかったでしょ?」
「そうですけど……。はぁ、もう二度とやりませんからね」
ニヤニヤと笑う彼女に、私はため息をつくしかなかった。店長は客席のリンネ先生に視線を向け、愛おしそうに目を細める。
……全く、勘弁してほしい。ひどい大人だよ。
店長はリンネ先生と同じく、二十代後半の女性だ。数年前に亡くなった先代店長から店を相続し、若くしてそのまま経営者になったのだという。ショートボブの髪型に、あどけなさが残る顔立ちは「美人」というより「可愛い系」に分類されるだろう。パリッとしたバリスタエプロンを着こなす彼女の左手にも、先生とお揃いのシルバーリングが輝いている。
そう、何を隠そうこの二人は交際している。もっと言えば、同棲中のレズビアンカップルなのだそうだ。
つまり私は今、彼女たちがこの後に行うであろうイチャつきのダシに使われたのだ。マジで勘弁してほしい。
それでも、憧れの作家に自分が淹れたコーヒーを飲んでもらえたのは嬉しい。そもそもこのバイト先を選んだのは、リンネ先生がここで執筆している姿を偶然見かけたからだ。
雑誌に載っていた写真で彼女の顔は知っていたので、その姿を見かけた翌日に私はここの求人広告に申し込んだ。飲食店でのバイト経験はなかったが、熱意を買われて即採用。そして初日に二人の熟年夫婦ばりのやり取りを見せつけられ、心に生えていたユニコーンの角がバッキバキに折れた。
まあ、いい。別にいいのだ。憧れていただけだし、恋愛感情を抱いていたとかではなかったから。
最近では二人のイチャつきを見ていると、それなりの「尊さ」も感じるようになったし。カプとして推してます。はい。
女性同士の恋愛。今の時代でもまだ、生きづらいことは多いと思う。同性婚は認められていないし、パートナーシップ制度も限定的だ。それでもこの二人には、そんな社会の荒波を堂々と渡っていける強さがあるように見える。もし私がいつか、誰か女性を好きになることがあれば、この二人のように振る舞えたらいいな、なんて。
ま、私に限って同性と恋愛することなんて、絶対にないと思うけど。
そう、思っていたのだ。この時はまだ。
この街に戻ってくる、あの子と再会するまでは。
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