【百合】牡丹の振袖で、初詣

南條 綾

【百合】牡丹の振袖で

 大晦日の夜、家族と一緒に紅白歌合戦を見て行く年くる年を見ながら、年越しそばを食べた。


 時計が零時を過ぎると、みんなで「おめでとう」と声を揃えて笑い合い、近所の神社から遠く聞こえる除夜の鐘が百八つ響き終わるのを待ってから、それぞれの部屋に戻った。


 私は自分の部屋に閉じこもり、押し入れの奥からそっと着物を取り出した。お母さんが二十歳のときに仕立てた振袖ふりそで。淡いピンクの地に、大きな牡丹ぼたんの花が大胆に、でも優雅に咲き誇っている。生地は正絹しょうけんで、触れるたびにさらりと冷たい感触が指先に伝わる。成人式ではもっと派手な現代柄のものを借りたけれど、初詣にはこの古典的な牡丹が似合うと思った。牡丹は百花の王、富貴と繁栄の象徴。新年の始まりに、これ以上の柄はない。


 一人で着るのは本当に難しい。まず長襦袢ながじゅばんを着て、次に着物を重ね、えりを合わせ、すそを整える。鏡の前で何度も帯を締め直した。袋帯ふくろおびの結び目は蝶々結びにして、背中にふんわりと広がるように。長い袖が揺れるたび、二十歳になったばかりの自分が少し大人に見える気がした。


 髪は自分でアップにまとめ、母からゆずられた小さなかんざしを挿す。外は氷点下に近い寒さだと天気予報で言っていたから、羽織はおりを一枚重ね、コートも忘れずに持って、静かに家を出た。


 元旦の早朝、街はまだ眠っているようだった。空は深い藍色あいいろで、街灯の光だけが道をぼんやり照らす。息が白く凍り、足元の砂利がカツカツと鳴る。近所の神社までは歩いて二十分。時折、家族連れやカップルが着物姿で通り過ぎていく。みんな少し眠そうな顔をしながらも、どこか浮き浮きとした表情を浮かべている。


 私は一人だった。でも、心臓が少し速く鳴るのは、ただの寒さのせいじゃない。もしかしたら、誰かに会えるかもしれないという、淡い期待が胸の奥にあったからだ。


 神社に着くと、鳥居の前にはすでに長い列ができていた。参道の両脇に並ぶ提灯ちょうちんが優しい橙色だいだいいろの灯りを灯し、境内けいない全体を幻想的に包んでいる。お賽銭箱さいせんばこの前では、次々と人が鈴を鳴らし、頭を下げる。鈴の音がんでいて、冷たい空気を震わせるたびに背筋がぞくっとした。


 私も列に並び、ゆっくりと前に進んだ。周りを見回すと、若い女性たちはほとんどが振袖。色とりどりの花柄や古典柄が、朝の薄暗い光の中で鮮やかに浮かび上がる。少し年上の女性たちは訪問着ほうもんぎ色無地いろむじが多く、落ち着いた美しさがただよっていた。みんな真剣な顔で手を合わせている。その空気に、私も自然と背筋を伸ばした。


 ようやく順番が来て、小銭をお賽銭箱に入れる。カラン、と軽い音がした。二礼二拍手一礼にれいにはくしゅいちれい。そして、心の中で何度も繰り返す。今年は、特別な年になりますように。美咲先輩がいつも幸せでいられますように。そして、私のこの想いが、いつかちゃんと届きますように。


 祈りを終えて境内を歩き始めると、ふと背後から聞き慣れた声がした。


「綾?」


 振り返った瞬間、息が止まった。そこに立っていたのは、美咲先輩だった。一つ年上の幼なじみで、私のずっと憧れの人。深い藍色の訪問着に、淡い桜の花が控えめに散りばめられている。髪は軽く巻いて耳にかけ、大人びた簪が小さく光っていた。いつも大学で見るカジュアルな姿とはまるで別人。息を呑むほど、凛として、美しかった。


「お、お正月おめでとうございます、先輩……!」


 慌てて頭を下げると、先輩は柔らかく微笑んだ。


「おめでとう、綾。まさかここで会えるなんて思わなかった。……着物、すごく似合ってるよ。牡丹の振袖、可愛い」


 その一言に、頬が一気に熱くなった。寒いはずなのに、身体の奥から熱が湧き上がる。


「先輩こそ……その藍色、すごく綺麗です。桜の柄も、優しくて……本当に素敵です」


 二人で少し照れくさそうに笑い合った。先輩も一人で来たという。家族はみんな寝正月で、家でゆっくりしているらしい。私も同じだと伝えると、先輩が少し目を細めて言った。


「じゃあ、一緒に回ろうか。おみくじもあるし、屋台も出てるよ」


 もちろん、断る理由なんてどこにもなかった。境内を並んで歩き始めた。提灯の灯りが二人の影を長く伸ばし、時折重なり合う。


 おみくじコーナーに着くと、先輩が「先に引いて」と笑って促す。私は中吉。先輩は大吉。紙を広げて内容を読み合い、思わずくすくすと笑い合った。


「恋愛運は……まあまあ、かな」


 私がぼそっと言うと、先輩が少し意地悪そうに微笑む。


「綾の願い事、何だったの?」


 突然聞かれて、胸がどきりと鳴った。


「ひ、秘密です……」


「ふふ、私も秘密」


 屋台で甘酒を買って、手を温めながら話す。大学の授業のこと、最近読んだ小説のこと、卒業後の進路のこと。いつもと同じ話題なのに、今日はすべてが違う。着物の袖が触れ合うたび、電気が走るような甘い疼きが胸に広がった。


 先輩の横顔を盗み見る。長いまつ毛、すっと通った鼻筋、柔らかそうな唇。こんなに近くで、こんなにゆっくり見つめられるなんて、夢のようだった。


 やがて、初日の出の時間が近づいた。境内から少し離れた、小高い場所へ二人で移動する。そこからは東の空がよく見える。まだ薄暗い空が、ゆっくりと明るくなり始め、地平線が薄い橙色に染まっていく。


「今年は、いい年になるといいね」


 先輩が静かに呟いた。


 私は少しの間、黙っていた。そして、勇気を振り絞って、小さな声で言った。


「うん……先輩と、もっとたくさん一緒にいられたら、いいなって」


 言葉が出た瞬間、後悔と安堵が同時に押し寄せた。先輩はゆっくりと私の方を向いた。目が合う。離せない。冷たい風が吹き抜ける中、時間だけが止まったみたいだった。


「綾……」


 先輩の声が、少し震えていた。


「私も、ずっと……そう思ってた」


 その一言で、世界が輝いた。先輩の指が、私の手にそっと触れる。冷たい指先が絡まり、ぎゅっと握られた。痛いくらいに熱い感覚が広がった。


 そして、初日の出が昇った。赤く、鮮やかに、力強く。朝日が境内を一面に染め、二人の影を長く、ひとつに重ねる。


 あの朝、私たちは何も大きな言葉を交わさなかった。ただ手を繋いで、朝日を見ていただけ。でも、それで十分だった。新しい年の始まりに、私たちは静かに、確かに、約束を交わした。


 それから月日は流れ、私たちの関係はゆっくりと、でも確実に変わっていった。大学で過ごす時間が長くなり、同じサークルに入り、放課後に一緒に行きつけのカフェに行くのが当たり前になった。手を繋ぐのも、自然なことになった。


 初めてキスをしたのは、桜の花が散る頃の夜道だった。先輩の唇は甘酒の味がした。でも、すべての始まりは、あの初詣の朝だったと、いつも思う。


 今でも、正月が近づくと、私はあの淡いピンクの牡丹の振袖を着る。美咲先輩と一緒に、あの神社へ行く。提灯の灯りの中で、手を繋いでお参りして、同じ場所で初日の出を見る。そして、心の中で同じ願いを重ねる。


 この想いが、永遠に続きますように。


 新年の約束は、今も、私たちの胸の中で温かく息づいている。



新年あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

今年は1日から寒くなるということですので、お体にはお気をつけて新しい年月を楽しんでください


最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!

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