鎖骨の内側/拍動の外

水到渠成(すいとうきょせい)

第1話 鎖骨の内側/拍動の外

 鎖骨の内側には、流れがない。上でも下でもない。

 思考が速すぎることも、重く沈むこともなく、ただ置かれている。


 そこでは拍動が聞こえない。止まっているわけではなく、距離がある。

 拍動は身体の内部で続いているが、この場所には届かない。


 私はここで、理解を扱わない。

 理解はすでに起こっているか、起こりそこねているかのどちらかで、今更関与できない。

 鎖骨の内側では、理解は対象ではなく、背景になる。


 言葉も同じだ。言おうとした文は、上へも下へも行かず、ここで止まる。

 完成もしなければ、失われもしない。

 未処理というより、処理の外側にある。


 街では、人々が普通に動いている。

 理解は速く完了し、別の理解は沈殿している。

 だが、そのどちらにも回収されないものがある。

 それが、鎖骨の内側に残る。


 誰かと向き合うとき、私はその人の拍動を聞かない。聞こうともしない。

 ここでは、生きている証拠は必要ない。

 存在は、拍動とは別の仕方で成立している。


 記憶について考えると、境界が曖昧になる。思い出でも忘却でもない。

 出来事は確かに起こったが、意味を持たなかった。

 意味を持たないまま、ここに置かれている。


 鎖骨の内側では、主体が薄くなる。

 私である必要はなく、他者である必要もない。

 ただ、保持も通過もされなかったものの集合として、この場所がある。


 拍動の外では、時間も同様だ。進行も停止もしない。先へも戻らない。

 時間は機能として外され、残骸だけが残る。


 私はときどき、ここに長く留まりすぎていると感じる。

 だが、留まるという動詞も正確ではない。

 上にも下にも行かない以上、移動は成立しない。


 頸動脈の上では、すべてが速すぎた。

 頸静脈の下では、すべてが終わらなかった。

 鎖骨の内側では、始まりも終わりも不要になる。


 拍動の外では、生きているかどうかは問題にならない。

 生きているという状態が、評価項目から外されている。


 ここにあるのは、処理されなかったものでも、処理しきれなかったものでもない。

 処理という枠組みそのものから外れてしまったものだ。


 それらは静かで、危険ではない。

 ただ、名前を持たない。

 上でも下でもないため、呼び分ける必要がなかった。


 鎖骨の内側。

 拍動の外。


 そこでは、世界が一度、何もしない。

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鎖骨の内側/拍動の外 水到渠成(すいとうきょせい) @Suito_kyosei

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