02:夕食までの時間

 ロアは石造りの図書館の隣を抜け、リディアの家へ向かった。


 ロアの祖母、リディアの家は少し変わっている。

 正面に薬草畑があり、その奥に二階建ての屋敷。

 そして畑のすぐ隣にはもう一軒、小さな家が建っている。


 ロアとリディアは、その小さな家に住んでいる。

 ロアが物心ついた時からずっとそうだ。だからロアは、正面の屋敷が自分の家だという自覚があまりない。


「おばあちゃん、なんの用事?」

「その薬草を水で洗ってほしいっていう用事」


 リディアが畑の薬草を観察しながら指さしたのは、籠に入った大量の草たち。

 ロアは固定された水がめの前に向かい、水がめにはめ込まれた石に、左の人差し指にはめた指輪をかざした。


 淡い色の正八面体の石が、柔らかい共鳴音とともに光った。


 水がめに溜まった水が、桶の中に流れていく。

 ロアはもう一度指輪をかざして水を止め、泥を流すために薬草を水につけた。


 何度見ても、雑草にしか見えない。

 実がついているものは、かろうじてなにかの薬なのだろうと思える程度だ。魔法薬師になれる可能性は、限りなく低そうだった。


 どうすれば、シェルを守れるだろう。


 なにをどうすればシェルを救えるのか。それどころかどうすれば未来のシェルの側にいられるのか。

 全くわからなかった。


 ロアはため息を吐いて、リディアを見た。

 リディアがめんどくさそうに人差し指をくるりと回すと、薬草たちがロアの元に運ばれてくる。

 リディアの指に、指輪はない。


「ねえ、おばあちゃん」

「なんだい」

「マーテル城って、メイドの募集してないのかな」

「城に仕えるのは、貴族の子だ。お前は騎士の孫。貴族じゃない」

「私がもしマーテルで生活しようと思ったら、どうしたらいいと思う?」

「〝リディアが作った薬草〟って看板を掲げて城下町で売るといい」


 リディアは興味がなさそうに、作業する手を止めずにそう言った。

 マーテルの城下町で生活しても、意味がない。


「それか、騎士になるかだ」

「騎士? でも、私は魔法なんて使えないし」

「魔法を使うだけが騎士じゃない。騎士は城の周りにある研究都市で、それぞれの得意を活かして国のために働く。採用試験は13歳以上。それ以外の制限はない。貴族、平民、大歓迎。挑む者の中から選ばれる」

「そういえば、おばあちゃんって王都・マーテルの騎士だったんでしょ?」

「ああそうさ。最上位の称号をいただいたよ」


 シェルがここにいるのは、かつてマーテルで騎士として称えられたリディアがいるからだ。

 王都ではなく、リディアの下で学ばせると決めたのは国王だと、ロアは聞いている。


「騎士になるって、難しいんでしょ?」

「合格率は5%前後くらいかね」


 合格率が5%。

 前世の基準なら、医者や弁護士になれるくらいの難関だ。


 自分がそんなエリートになれるとは思えない。

 どうしてリディアがそんな難関試験を当たり前のように提案するのか。


 だからロアは、思わず笑った。


「5%って。おばあちゃん、私が騎士になれるって本気で思ってる?」


 リディアは薬草の葉を眺めたまま口を開いた。


「どんな言葉がほしいんだ?」


 リディアの静かで、刺すような問いかけに、ロアはなにも言えなかった。 


 また教会の鐘が鳴る。

 リディアはその音を聞くと、ぐっと腰を伸ばした。


「まあとりあえず、本でも読みなさい」


 そう言うとリディアは、まためんどくさそうに人差し指を回す。

 ロアが洗っていた薬草は宙に浮き、まだ土がついたままの薬草は水瓶から出た水へ自ら移動して、水浴びをはじめた。


「急ぎなよ、ロア。今日はシェルと屋敷の方で夕食だ」


 週に一、二度。リディアはシェルと食事をする。

 そしてその席に必ず、ロアを同席させた。


 教会の鐘は、まだ鳴っている。


 二度目の人生ではなんだかんだ言いながら、いつもシェルと一緒に食事できる時間を楽しみにしていた。しかし今日は、夕食の時間までが憂鬱だ。


 シェルを救いたい。

 でも、嫌われたかもしれない。

 どんな顔でシェルに会えばいいんだろう。


 鐘の音が止んだ後、ロアは小さな家へ戻った。

 身支度を整えてから、屋敷へ向かう。


 全く使われていなかった屋敷は、シェルが来てからにぎやかになった。


「こんにちは、ロアちゃん」

「こんにちは」


 今この屋敷には、王都から来たシェルの世話係たちも住んでいる。


 ロアは屋敷の食堂に入った。まだ誰も来ていない。

 ロアはしばらくその場に立っていた。それからいつものように、出入口側の椅子を引いて座った。


 ロアが心を決める間もなく、シェルが入ってきた。

 シェルはいつも通り、窓辺の席に座った。ブレスレットがテーブルに当たって音を立てた。


 8人掛けのテーブルは、広い。

 リディアはまだいない。

 二人の間を、沈黙が流れている。


「ねえ」


 シェルは不服そうに、しかし心配そうに言った。


「ロア、まだ怒ってる?」


 それは、まるで子どもが親の機嫌を確かめるような声だった。


「……私が? どうして、私が怒るの?」

「なんか俺、悪いことしたかなって思って」


 シェルは俯きながら答える。

 遠くで、皿が触れ合う音がしていた。


 今度は、ロアが俯いた。

 少し呼吸を整えてから、ロアは言った。


「私は……。シェルが、怒ってると思ってた」

「俺が? なんで?」

「私が急に、怒ったから」


 目が合わないまま、ぎこちない会話が進む。


 足音が近づいてくる。

 ロアは足音に背中を押されて、シェルの目を正面から見た。


「ごめんね、シェル」

「うん。俺も、バカにしてごめん」


 沈黙に包まれた後、二人で笑い合った。


「遅くなった」


 リディアがそういって、シェルの隣に腰を下ろす。


「別に。二人で楽しく話してたよ。ね、ロア」

「うん」

「そうか。よかった」


 前菜が運ばれてきた後、リディアが口を開いた。


「シェル。〝配置魔法入門〟はもう読んだか」

「うん。読んだよ」

「どう思った」

「国のインフラを支える大切な役割がある。でも配置魔法は難しすぎるし、天然石は高い。今後は加工石が役割を担うことになると思うんだ。歴史保全課から魔法研究課へ主導権が移ってもおかしくないなーって言うのが、今の俺の感想」

「なるほど」


 リディアはそう言ってワイングラスを傾けた。

 シェルはその間に小さく切った野菜を口に運ぶ。

 ロアは料理を見ながら、リディアの言葉を待っていた。


「いい着眼点だ」


 二人は食事中、こんな話ばかりしている。


 〝また始まったよ〟くらいにしか思っていなかった内容が、今は重い。


 焦りだけが膨らんでいく。


 自分がなにをすべきか。

 それより前に、なにができるのか。


 なにひとつ、言葉にできないから。


 『どんな言葉がほしいんだ?』

 ――私は、どんな言葉がほしかったんだろう。

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