トアルの村

01:二度目の人生から、キミに会いに来た

「ルイス」


 ロアはすぐ隣にいる、前世の婚約者の名前を呟いた。

 7歳くらいだ。ふわりと下りた金色の髪に、青い目。ルイスはやっぱり、シェルよりも王子様らしい見た目をしている。


「なに? ロア」


 改まって名前を呼んでも、ルイスはちゃんと反応してくれる。


 ルイスは持っていた本の表紙を開く。表紙の裏側に、葦のペンを滑らせている。

 自分の心に触れるものを、ルイスはいつもメモにして書き留めていた。


 人の気配がほとんどない、森の入り口。

 ロアは遠く頭上で揺れる木の葉へと視線を移し、口を開いた。


「シェルは、いる?」


 ルイスは本の表紙を閉じたあと、一呼吸おいて口を開いた。


「そりゃいるよ。待ってるんじゃない? ロアのこと。シェルは意外と寂しがり屋だから」


 守られているような静寂が、心の深い部分までしみ込んでいた。


 『過去に戻ったら、俺のことは忘れて』

 つい先ほどシェルから言われた言葉が、胸を刺した。


 もしも。もしもこの世界で、完全にシェルを忘れて生きたら。


 ――三度目の人生は、幸せになれる?


「ごめん、ルイス。先に行くね」


 ロアはルイスの返事も聞かずに駆け出した。

 木漏れ日が、ロアの身体を無秩序に撫でて通り過ぎていく。


 もし、シェルを救った先が絶望でも、それでいい。


 シェルがアメリアと二人きりで笑い合う未来でも、それでいい。

 シェルが生きて、心から幸せだと笑っていてくれるなら、それでいい。


 三度目の人生のどんな一瞬も、無駄にしたくない。


 肺の底が痛くなるころ、屋根の端が見えた。それだけで、胸の奥が疼いた。

 ロアは村の入り口を抜けて、一人のこどもに声をかけた。


「シェル、見てない!?」

「ううん、みてないけど」


 ロアは「ありがとう」と言葉を置き去りにして、すぐに井戸の側で話をする3人の夫人の元へ走った。


「ねえ、シェル見てない?」

「シェルくん? リディアさんの庭仕事を手伝ってるんじゃないのかい」

「やだよ、アンタ。それは昨日の話じゃないの」


 盛り上がる婦人たちをよそに、ロアは辺りを見回した。


 図書館から出てきた人。

 違う。


 家に入っていく人。

 違う。


 小川の橋を渡る人。

 違う。


 教会の前で話をしている人。

 ……違う。


 シェルがいない。

 この狭い村でも、シェルを見つけられない。


 ロアの視界のすみに映ったのは、変わらない祖母の姿だった。


「おばあちゃーん!」


 庭の薬草に水をやっている祖母は、ロアの声に屈めていた身体を起こして声の方を見た。


「シェル、見てない!? 家の中にいる!?」


 ロアの祖母は雑に片手を振った。

 見てないし屋敷の中にはいないと理解したロアは、すぐに村はずれの高台に続く階段を駆け上がった。


 高台なら、村が一望できる。そこから探そう。

 でも、もし見つけられなかったら。

 そんな不安が溢れそうになり、ロアは涙を拭った。


 見つけられないはずがない。

 シェルは必ず、この村にいる。高台に上っても見つけられなかったら次は建物を全て見て回ろう。


 斜面に太い木の枝で足場を組んだだけの階段を、ロアは駆け上がった。

 心臓が張り裂けそうなほど音を出している。


 高台への最後の階段を上がり切ると、視界が一気に開けた。


 荒く踏み均された砂地。短い草に、寄り固まった木。

 風が自然物を撫でて去って行く。


 高台の奥に、村を見下ろすように立つ、見覚えのある背中。


「ここから、ロアが村中を走り回ってるのが見えたよ」


 一歩踏み出すと、木の枝が軋んだ。


 太陽の下で振り返ったシェルの黒い髪と赤い目は、ついさっきのシェルよりずいぶん温かい色をしている。


 シェルは肩で息をするロアに向かって笑いかけた。


「誰探してるの? それか落とし物?」

「シェル……!」


 ロアはシェルの所へ駆け出すと、勢いに任せて飛びつき、シェルの胸に顔を押し付けた。

 シェルはロアに抱きとめて、戸惑った様子でいる。


「えっ、どうした?」


 シェルを失って気付いた命の重みを、シェルが守ってくれた命の重みを、止まらない時間の無情さを、巻き戻った時間への感謝を思い知っている。


 死んだシェルのぬくもりを、もう思い出せない。


 でも、この世界のシェルはまだ、生きている。

 まだ、救える。


「……泣いてる?」

「シェル」

「うん。……俺、なんかしたっけ」


 シェルは戸惑った様子でいたが、しばらくすると左手をロアの背中に回し、トントンとリズムよくたたいた。そのたびに、シェルが左手に着けている細身のブレスレットが揺れていた。


 木の枝がきしむ音を聞いて、シェルは顔を上げた。

 そしてロアのずっと後ろに視線をやったまま、ロアを指さす。


「泣かせた?」

「僕じゃないよ」


 間髪入れずにそう返したのは、ルイスの声だった。

 ルイスの声にロアは反射的にシェルから身体を離した。


「……ごめん」

「別にいいけど、なんかあった?」


 〝なんかあった〟なんて、軽い言葉では言い尽くせない。しかしシェルの一言は、ロアの耐えていたものを溢れさせるには十分すぎる一言だった。


「大変だったんだから!」


 泣きながらそういうロアに、シェルはぎょっとした様子を見せた。


「嫌な思いもたくさんしたし、怖い思いもしたし……。本当に、いろいろ大変だったの!」

「ここ数時間で? ロアの時間軸どうなってんの?」


 シェルは驚愕した様子で言った。


 ロアははっと息を飲んで、それから押し黙った。

 次にどんな言葉を言えばいいのか。どう取り繕えば不自然ではないのか。すぐには判断できなかった。


 二人の間に走る沈黙を見て、ルイスは口を開いた。


「ロア、怖い夢でも見た?」


 ルイスは、ロアの顔をじっと見てから口を開いた。

 ルイス視線に、ロアはすべてを聞いてほしくなった。

 もしかするとルイスなら、全てを理解してくれるかもしれない。


 絶対に言えない。

 そう思ったロアは口を閉ざしたまま、こくりと一度だけ頷いた。


「泣いた理由がまさかの怖い夢」

「本っ当にさ! 人の気も知らないで!」

「なんで俺!」


 シェルはロアに胸ぐらをひっつかまれ、上下に思いきり揺らされている。シェルは焦った様子でロアの腕を掴んだ。


「まあまあ、二人とも落ち着いて」


 ルイスは二人の間に割って入り、ロアの手をそっと下ろさせた。


 村の教会の鐘が鳴る。

 三人の間に少しの沈黙が流れた。


「落ち着いた?」


 ルイスはロアとシェルに優しい口調で問いかける。


 二人はそれぞれ、こくりと頷く。


「じゃあ伝言。ロア、さっきリディアさんが呼んでたよ」

「わかった。ありがとう、ルイス」


 ロアはそう言い残して、階段を一段一段踏みしめた。

 シェルの顔を見ることができないまま。

 せっかく会えたのに、なにをやっているんだろう。


 ロアは深いため息をついて、ゆっくりと階段を降りた。

 シェルに嫌われてしまっただろうか――。

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