02:王宮で監禁暮らし

 シェルが去って、しんと静かな部屋の中。


 壁に大きく広くかかったカーテンは、とても分厚い。部屋に入りたがっている太陽光をきっちりとせき止めていた。


 太陽光のない部屋にいて思い出すのは、この世界に生まれ落ちる前のこと。

 コールセンターの派遣社員として働いた、前世の嫌な思い出。


 窓が1つもないだだっ広い部屋。

 整列した横長いテーブル。

 行儀よく並ぶパソコン。

 そんな場所に、スマホも、娯楽物すら持ち込めずに缶詰状態。

 クレーマーに捕まれば何時間でも対応して、定時の一秒でも前に電話が鳴れば、問答無用でサービス残業をして。

 毎日毎日、同じことの繰り返し。


 一度目の人生は、いつでも、どこでも、常に誰かの機嫌を取るために生きていたような気がする。

 なにも成し得なかったどころか、ただ生きることもめんどうだった。


「よっこいしょーっと」


 ロアは明るくふざけた声を出しながら体を起こし、ベッドから立ち上がる。それから、広い面を覆い隠すカーテンに触れた。

 カーテンは嫌味なくらい、上質で、分厚くて、重たい。


 勢いよくカーテンをひらけば、すぐ室内に満ちる太陽の光。じわじわと身体が温かくなっていく。


 カーテンのすぐ向こうにあったガラス張りのドアを開いて、広いデッキへ出た。30人くらいなら余裕を持ってパーティーができるほどの広さがある。


 ロアはデッキから一望できる景色の限りを見渡した。


 遥か向こうに見えるのは、景色をさえぎる山。

 そのさらに向こうには、かすんで見える岩山。

 かすかに見える海。


 浅いところで、しかしゆっくりと呼吸をする。

 それから数段の横に長い階段を降りてさらに歩き、デッキの終末地点、手すりに触れた。


 眼下に広がっていたのは、城を取り巻く建物。

 門の向こう側には、城下町。

 城下町の外は、どこまでもただおだやかに続く平原。

 エリカの群生。

 ぽつぽつと立つ木。

 茂る森。


 人類の発展と、自然の力強さを感じる、雄大な景色だった。


 見渡す限りの全てが、シェルのもの。

 広い土地を収める王に生まれた、シェルのものだ。

 

 なにもかも持っている。富も、権力も。それなのに彼は一体、なにが不満なのだろう。


「ルイス」


 ロアは、もうひとりの幼馴染を。つまり婚約者の名前を呟いた。

 シェルのことばかりがまわる思考を、意図的に止めたくて。


 自分の声が鼓膜を揺らして心に落ちてから、もう一度自分の意思で広く辺りを見回した。


 トアルの村はどの方角にあるのだろう。

 ルイスはきっと、心配している。


「……帰らなきゃ」


 ロアは息を吐き切り、手すりから身を乗り出して下を見た。


 落ちれば即死。

 それどころか落下の途中で気絶できそうなくらい、地面が遠い。

 足場になりそうなところはない。

 つまり、デッキからの脱出は不可能だ。


 ロアは足早に最短距離で室内に戻ると、デッキに続くドアを背に、部屋を見渡した。


 部屋を半分に仕切る鉄格子。

 鉄格子から向こう側、つまりシェルのいた空間には、広いベッドとドアと、それからサイドテーブルにカウチ。

 鉄格子からこちら側には、眠っていたベッドと、足元におかれた光沢のある赤茶色の机。

 それから、鉄格子からちょうど正面にある、一面の本棚。


 もしかするとシェルは、脱出の糸口をあえて見つけられるところに隠しているかもしれない。


 〝これを見つけて逃げろ〟的な。そんな展開かもしれない。

 ロアはまず、ベッドの上に膝をついて鉄格子の隙間から腕を伸ばし、カウチに触れた。

 しかし、そこにはなにもない。


 ベッドの下。机の中。本棚。


 シェルがいなくなって、約6時間。

 あっという間に、夜は深くなった。


 わかったことは、ひとつだけ。

 自力での脱出は、限りなく不可能だということ。


「あんの、クソメンヘラ製造機」


 そう呟きながらベッドに身を投げると、空気にさらされた太ももがすぐに冷えた。


 鍵が隠されている展開に、8割の可能性を感じていた。


 〝これを見つけて逃げろ〟的な。

 〝俺は俺を止められないんだ! だから自力で俺から逃げてくれ!〟的な。

 野を駆ける後ろ姿を、城の最上階から見下ろしている的な。


 そんなシェル中二病的展開を期待していたのに、アテは大外れ。

 シェルは人間を一人、自分の部屋に監禁するつもりらしい。


「……ずーっとここから出られなかったりして」


 シェルは〝そんな人〟じゃない。

 たとえば、これから結婚する女を、婚約者から引き離すような。

 幼馴染の未来を、根こそぎ奪い去るような。

 誰も得をしない身勝手な行動をとるような。


 本当にそうと言い切れるだろうか。

 もしかするとシェルは、〝そんな人〟になってしまったのかもしれない。


 本当にそうだろうか。

 7年という月日は、人を根本から変えるのだろうか。


 変えるのかもしれない。

 学校を卒業してから社会人になり、いつの間にか娯楽すら楽しめなくなっていた、一度目の人生を生きた自分みたいに。


「メンヘラ製造機がメンヘラになって、どうすんの」


 寝ているとなんだか落ち着かなくて、上半身を起こした。


 シェルはいつ帰ってくるのだろう。

 一体どんな顔で、なにを話したらいいんだろう。


 ドアは、なんの前触れもなく開いた。ロアはとっさに、鉄格子に背を向ける形で丸くなる。

 カーペットに吸い取られた鈍い足音は、ロアのすぐそばで止まった。


 布が、床をさらう音がする。

 鉄格子のすぐ向こうに、シェルがいる。


「起きて」


 ペースもトーンも落とした声。

 落ち着き払った、大人になった、シェルの声。

 しかしその響きの中には、まるで真夜中に目が覚めた子どもが、親を呼ぶようなほのかな甘さも含んでいた。


「ロア」


 7年ぶりにあった女の名前をそんなに優しい声で呼ぶもんじゃないと、教えてあげたい。

 思い出が苦しくて、堪らなくなるから。


 もし今、目を覚ましたら。

 なにか特別なことが起こるんだろうか。


 例えば、これは全部ドッキリで、本当はルイスとの結婚を祝福するためにシェルが仕組んだことだったとか。

 そこまで考えてまた、胸が痛んだ。


 結婚を祝い合う。


 まるで、大人みたいだ。

 大人になるまでの過程を、お互いに少しも知らないのに。


「ロア、こっち向いて」

「……いや、ちょっと今は無理っぽいんだよね」


 自分から出た、思ったよりも明るい声に、ロアは安心していた。


「本当に逃げられそうにないし。だから、どんな顔したらいいのかわかんないしさ」


 夜はほんの少し、人をおかしくする。

 気持ちが凪いでいた。どうしようもない今、怒る気にもなれなくて。


 なにも感じたくないと心が言っているようだった。

 絶望、とはまた違う。

 失望、に近いのかもしれない。

 しかしまだシェルが〝そんな人〟だという確証を得られていないから、まだ失望ではないのかもしれない。


「私はさあ、シェル」


 ロアはそう言うと、ゆっくりと息を吐いて、それからまた息を吸った。


「〝懐かしいね〟って言って、〝今までどうしてたの〟って。笑って話がしたかったわけよ」


 シェルは、何も喋らない。

 しかしシェルが耳を傾けていることは、なんとなくわかっていた。


「結婚したって聞いてさ、もう二度と会うことはないかもしれないけど、それでも、まあ……シェルが幸せなら、それでいいのかもなあって思ったわけ。……それなのに私は、どーして。……なんで、こんなところに閉じ込められてるの?」


 痛くもかゆくもない、想定通りの沈黙。

 今のロアに、これ以上喋る気はなかった。

 きっとシェルも、そのことに気付いている。


「……会いたかったからって理由じゃダメ?」


 シェルは、ロアが思ういつも通りの、メンヘラ製造機らしい言葉を言う。


「どんだけ私のこと好きなの?」


 だからロアもシェルにならって、昔の二人らしい言葉を吐いた。

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