第8話 和解交渉

 翌日。

 俺は菓子折りの紙袋を片手に、香取神宮の参道を歩いていた。

 鬱蒼と茂る木々の間から漏れる木漏れ日は神々しいが、隣を歩く連れの機嫌はすこぶる悪い。


「あー、かったるい。なんで勝者である我が、敗者の住処になど出向かねばならんのじゃ」


 スヒジニが、あからさまに不満の声を上げる。

 今日の彼女は、白いワンピースにカーディガンという、どこにでもいそうな女子大生風の格好だ。もっとも、その中身は数千歳のお婆ちゃんであり、昨夜、一人の巫女を完膚なきまでに叩きのめしたばかりなのだが。


「仕方ないだろ。昨日は向こうがカチ込んできたのを撃退しただけだ。あのままだと、また『穢れがどうこう』って襲撃されかねない。できるならちゃんと話して和解をしておきたい」

「ふん。また来たら、今度は神気だけでなく魂まで吸ってやるだけじゃ」

「だから、そういう物騒なことを言うな。あくまで『話し合い』だ」


 昨夜の戦いで、スヒジニはちゃっかり香取凛花から、その神気を吸い取っていたらしい。本人曰く、神々の戦いにおいて、敗者が勝者に力を差し出すのは当然の「権利」であり、ある種の作法(マナー)ですらあるとは言ってきたが。

 とはいえ、この世間知らずの神様の言うことだし何かの間違いがあってもいけない。なのでこうして菓子折りを持って様子を見に来たわけだ。


 鳥居をくぐり、砂利を踏みしめて拝殿の前へ進む。

 昼間の香取神宮は、昨夜の俺たちの神社のような殺伐とした雰囲気はなく、厳かな静寂と清浄な空気に包まれていた。


「……何をしに来た」


 予想通り、彼女が待ち構えていた。

 香取凛花。

 巫女装束に身を包み、竹箒を手に掃除をしていたようだが、俺たちの姿を見るなりその表情を硬直させた。

 顔には大きな絆創膏、手足にも包帯が見えるが、眼光の鋭さは失われていない。


「昨日はどうも。これ、つまらないものですが」


 俺は努めて事務的に、菓子折りとして駅前で買った高級煎餅を差し出した。


「……毒入りか?」

「入ってるわけないだろ。昨日の今日で悪いが、話をしに来た。お互い、これ以上の消耗は避けたいだろ?」

「消耗、だと? よくもぬけぬけと……!」


 凛花の手が、竹箒の柄をミシミシと握りしめる。

 彼女の視線は、俺ではなく、隣であくびをしているスヒジニに向けられていた。


「私を無力化し、あまつさえ神気を『徴収』しておいて、何が話し合いだ。あの屈辱、巫女として……いえ、武人として決して忘れんぞ!」

「敗者の遠吠えは耳障りじゃのう。剣を折らなかっただけ慈悲深いと思え。いきなり襲い掛かってきて負けたくせに責任転嫁は情けないんじゃなかろうか」

「き、貴様……ッ!」


 スヒジニの煽りに、凛花の顔が怒りで真っ赤に染まる。

 一触即発。彼女が箒を構え、戦闘態勢に入ろうとした――その時だった。


 ズズズズズズズッ……


 突然、地面が小刻みに震え出した。

 地震? いや、違う。もっと局所的な、圧倒的な質量の接近による振動だ。

 背後の本殿から、とてつもないプレッシャーが膨れ上がってくる。


「――騒がしいぞ、凛花。客人の前で何ごとか」


 腹の底に響くような、重低音の声。

 本殿の奥から現れたのは、一人の男だった。


 デカい。

 第一印象は、それに尽きる。

 身長は二メートルを優に超えているだろう。古代の貴族のような狩衣(かりぎぬ)を身に纏っているが、その下にある肉体は規格外だ。

 はち切れんばかりの大胸筋、丸太のような二の腕、岩石のような首回り。

 着物が悲鳴を上げている。平安貴族というよりは、プロレスラーがコスプレをしているようにしか見えない。


「あ……主様(ぬしさま)……!」


 凛花が慌ててその場に平伏する。

 このマッチョマンが、香取神宮の祭神だってのか? 武神とは聞いていたが、ここまで物理的な「武」だとは。


 男は巨体を揺らして石段を降りると、俺たちの前で仁王立ちになった。

 俺を見下ろす視線は鋭いが、どこか愛嬌のある豪快さを感じさせる。

 そして、男の視線が俺の隣、スヒジニに向けられた瞬間――その厳つい顔が、パァッと明るく輝いた。


「おお! その泥臭い気配、もしや……スヒジニの姉上ではありませぬか!!」


「「は?」」


 俺と凛花の声が重なった。

 姉上?

 今、この筋肉ダルマ、美少女姿のスヒジニに向かって「姉上」って言ったか?


「フツヌシか。相変わらず暑苦しいのう、おぬしは」


 憎まれ口をたたきながらもスヒジニも笑顔で応じる。

 どうやら知り合いらしい。


「姉上!? 主様、何を仰いますか! その女は男をたぶらかし精をすする邪悪な泥の……」

「これ、凛花。滅多なことを言うでない」


 フツヌシと呼ばれた神は、太い腕を組んでカッカッカと笑った。


「我ら剣の神が生まれる遥か昔、天地がまだ泥の海であった頃から存在するのが、このスヒジニ姉上じゃ。神世七代の三代目であり我らにとっては、いわば大先輩。原初の地母神の一柱ぞ? 敬意を払わんか」


「げ、原初の……!?」


 凛花が絶句し、スヒジニを凝視する。

 スヒジニは「ふん」と鼻を鳴らし、俺の腕に抱きついた。


「聞いたかダイト。わらわは偉いんじゃぞ。もっと崇めよ」

「はいはい、偉い偉い」


 俺は適当に相槌を打ちつつ、内心で安堵した。

 どうやら、トップ同士は敵対関係にはないらしい。


「して、姉上。いったい何の御用で?」

「そっちの巫女がうちに討ち入りしてきての」

「ふむ、ワシは別にそういった命令はしておらんが」


 フツヌシがギロリと凛花を睨む。

 その迫力に、凛花は青ざめて縮こまった。


「も、申し訳ありません……! ただ私は、あの地に強大な神気のゆらぎを感じ、主様の御神域を脅かす新たな脅威かと……」


「なるほど、昨夜はうちの未熟な巫女が失礼をしたようじゃ」


 フツヌシは呆れたように首を振り、俺に向き直った。


「すまなんだな、姉上にそちらの若いの。こやつは少々、潔癖すぎてな。ワシのためにと張り切るのは良いが、視野が狭くなるのが玉に瑕よ」

「いえ……まあ、こちらも手荒な真似をしましたから」

「巫女同士の戦いで怪我をするなど名誉の負傷じゃ! 構わん構わん!神気も、姉上に吸われたのなら名誉というものじゃ。むしろ良い厄落としになったわ!」


 豪快すぎる。

 よく考えたらスヒジニも基本おおらかだし、ある程度以上の格の神様なんかみんなこんなものなのかもしれない。


「しかし、タダで済ますのも癪じゃのう」


 スヒジニがニヤニヤしながらフツヌシを見上げる。


「わらわの愛しいダイトが、危うく首を落とされるところじゃった。それに、昨夜の運動で小腹も空いておる。勝利の美酒ならぬ、勝利の供物を用意せい」

「む……確かに。詫びは必要か」

「うまいものをよこせ。あと、茶もじゃ」


 スヒジニの要求に、フツヌシは苦笑し、ポンと手を打った。


「承知した。凛花、客間へ案内せい。とっておきの団子がある」




 通されたのは、社務所の奥にある静かな和室だった。

 凛花が運んできたのは、香り高い緑茶と、山盛りの団子。

 鮮やかな緑色の草団子に、たっぷりと粒あんが乗せられている。


「うむ! なかなか良い味じゃ」


 スヒジニは行儀悪く足を崩し、団子を次々と口に放り込んでいく。

 昨夜、あれだけすき焼きを食っていたのに、この食欲はどうだ。まあ、美味そうに食べる姿は可愛げがあるのだが。


「……申し訳、ありませんでした」


 俺の向かいには、正座をした凛花が消え入りそうな声で頭を下げていた。

 絆創膏だらけの顔でシュンとしている姿を見ると、昨夜の殺人マシーンぶりとのギャップで少し可哀想になってくる。


「分かってくれればいいよ。こっちも、ご近所さんと喧嘩し続けるのは本意じゃないしな」

「……はい。肝に銘じます」

「ダイトは甘いのう。まあ、この団子に免じて許してやろう」


 スヒジニは口の端にあんこを付けたまま、満足げに頷いた。


 場の空気が和んだところで、同席していたフツヌシが、湯呑みを片手に真顔になった。

 その筋肉質な顔から笑みが消えると、室内の空気がピリリと張り詰める。


「さて。腹も満たされたところで、少し真面目な話をしようか」

「真面目な話?」

「うむ。……凛花が焦って貴殿らを襲ったのも、元を正せば『アレ』の予兆を感じ取っていたからでもある」


 フツヌシは太い腕を組み、重々しく告げた。


「近々、『天土返し(あまつちがえし)』が始まる」

「あまつち、がえし……?」


 聞き慣れない言葉だ。俺が首を傾げると、スヒジニが団子を食べる手をピタリと止めた。


「……ほう。もうそんな時期か」

「姉上もご存知でしょう。神々の序列―『格』を再定義する大戦。それが『天土返し』だ」


 フツヌシの説明は、俺の想像を遥かに超えるスケールのものだった。


 神の世界において、信仰の量や知名度によって「力」そのものは増減する。

 しかし、神としての「格」――位階や権威といった絶対的なランクは、そう簡単に変わるものではない。一度定まった格は、いくら信者が増えようと基本的には固定されたままだという。

 

 だが、それでは不公平が生じる。あるいは、古くても力のない神が上位の格に居座り続けることになりかねない。

 だからこそ、数百年、数千年に一度、その「格」を強制的にリセットし、イチから決め直す時期が訪れる。

 それが『天土返し』。


「勝てば神としての『格』が上がり、より上位の存在になれる。さらに相手から莫大な神気も与えられるとあっては、どの神も目の色を変えるというもの」

「逆に、負ければ奪われ落ちぶれる、か」

「左様。下手をすれば零落し、消え去るのみ。ハイリスクハイリターンの総力戦よ」


 フツヌシは凛花に視線をやった。


「凛花は、その殺気立った空気に当てられ、過敏になっておったのじゃろう。ワシの格を守らねばと焦るあまり、姉上の復活を『他勢力の侵攻』と誤認した」

「……はい。主様の武威をお守りせねばと、気が急いて……」


 凛花が唇を噛む。

 「格」が変わるということは、仕える神の立場が激変するということだ。彼女なりの危機感だったわけか。


「つまり、俺たちはその『天土返し』ってやつに巻き込まれたってことか?」

「巻き込まれたのではない。当事者だ」


 フツヌシが俺を指差す。


「スヒジニ姉上が復活し、貴殿という依り代を得て実体化した。それはすなわち、姉上もまた『天土返し』の参加者として登録されたことを意味する」

「ええっ!?」

「姉上ほどの御力があれば、上位の『格』は堅い。皆、ここぞとばかりに張り切っておりますぞ?」


 俺は慌ててスヒジニを見た。

 彼女は最後の団子を飲み込むと、ナプキンで口を拭い、退屈そうに頬杖をついた。


「ふん、くだらぬ。わらわは『格』などどうでもよい。誰が一番偉いかなど、お前ら若造だけで勝手に決めるがよい」


 スヒジニは興味なさそうに言うが、ふと、横目で俺の顔をチラリと見た。

 俺が不安そうな、そしてどこか期待するような顔をしているのに気づいたのだろうか。

 彼女は口元を少しだけ緩め、フツヌシに向き直った。


「……じゃが、まあ、少しは運動するのも悪くないかもしれんのう」


 前言撤回。

 スヒジニの言葉に、俺は驚いて彼女を見た。


「やる気になったのか?」

「勘違いするな。格など欲しくはないが……ダイト、おぬし、わらわのことをただの団子食らいの居候だと思っておるじゃろう?」

「い、いや、そんなことは……」

「図星か。まあよい。せっかくの機会じゃ、わらわが本気を出せばどれほど凄い神なのか、その目に焼き付けてやるのも一興じゃろ」


 スヒジニはニヤリと笑い、俺の肩に手を置いた。

 どうやら、「俺にいいところを見せたい」というのが本音らしい。

 彼女なりのプライドか、それともサービス精神か。


「お、お手柔らかにお願いしますよ……」

「ふふん、大船に乗ったつもりでいるがよい。上位の『格』も、神気も、ついでに美味い供物も、すべてわらわとおぬしで独り占めじゃ!」






 帰り際、フツヌシから大量の草団子をお土産に持たされた。

 門まで見送りに来た凛花は、まだ少し不満げだったが、最後には小さく頭を下げてくれた。


「……次は、負けませんから」

「だから戦うなって」

「神事(かみごと)としての勝負です。『天土返し』においては、私も主様の剣として貴方達の前に立つことになります。その時は容赦しません」


 どうやら、彼女の中でも「排除すべき敵」から「競い合うライバル」へと認識が変わったらしい。まあ、殺し合いよりはマシか。


「楽しみにしているぞ、小娘。精々腕を磨いておくのじゃな」


 スヒジニは余裕の笑みで手を振り、上機嫌で歩き出した。


 参道を下りながら、俺は重いため息をついた。

 神様同士の格付けバトルロイヤル、『天土返し』。

 そんなとんでもないイベントに強制参加させられることになった俺の運命やいかに。

 隣で団子を頬張りながら「ダイト、惚れ直す準備をしておけよ?」とウィンクしてくる女神様を見ていると、不安しかないのだが……まあ、なんとかなるだろうか。


 少なくとも、この最強にワガママで、ここぞという時には頼りになりそうなパートナーがいる限りは。

 俺たちの戦いは、どうやらここからが本番らしい。

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