第4話 月下の話し合い
戦いは終わった。
後に残ったのは、森を揺らす風の音と、半壊した本殿、そして山のような元荒神。
それから――
「うむ! 余は満足じゃ!」
薄絹一枚の女神様が、月光を浴びて高らかに笑っていた。
スヒジニの肌は、先ほどまでの蒼白さが嘘のように桜色に輝き、全身から神々しい活力が漲っている。
荒神を倒した際、霧散した神気をちゃっかりと吸い上げたらしい。
「あの鉄屑、味は鉄臭かったが腹の足しにはなったわ。……どうしたダイト、辛気臭い顔をして」
「……お前、この状況見てよく笑えんな」
大杜(だいと)はズキズキと痛む右手を抱え、深い溜息をついた。
命は助かった。だが、代償は大きい。本殿の床は抜け、壁には大穴が空き、蔵にあった古道具の類もあらかた吹き飛んでしまった。
「修理費で破産だ。遺産どころか、借金背負うハメになったぞ」
「金か。人間とは、つくづく紙切れや金属片に縛られる生き物よのう」
スヒジニは呆れたように肩をすくめると、瓦礫の山へと歩み寄った。
そして、何やら赤茶けた棒のようなものを拾い上げる。
「拾うてみよ」
放り投げられたそれを受け取る。
ずしり、と重い。赤錆に覆われた鉄の塊だ。辛うじて太刀の形をしているが、鞘と刀身が完全に錆びついて一体化している。ただの廃棄物にしか見えない。
「なんだこれ。ゴミか?」
「よく見るがよい。……ふむ、銘は『友成(ともなり)』と読めるな」
「は……? 友成って、古備前の?」
大杜の声が裏返った。
備前友成といえば、平安時代中期の刀工だ。現存するものは国宝や重要文化財クラス。もし本物なら、数百万どころか数千万の値がつく代物だ。
だが、手元のそれは触れれば崩れそうな鉄屑である。
「惜しいな……。ここまで朽ちてちゃ、研師に出しても手遅れだ」
「貸せ。我を誰だと思っておる」
スヒジニは鼻で笑うと、大杜の手から錆びた太刀を奪い取った。
そして、彼女の手のひらから、ぬるりと黒い泥が溢れ出す。
「見よ。泥とは混沌であり、同時に再生の揺り籠じゃ。時を戻し、形を整え、あるべき姿へ『再構成』する」
彼女が泥で太刀を包み込む。
黒い泥が生き物のように蠢き、赤錆をボロボロと食らい尽くしていく。
酸化した鉄が還元され、分子の結びつきが整えられていく。
数秒後。
彼女がスッと手を払うと、泥と共に錆が落ち――そこには、千年の時を超えたとは思えぬ、凛とした腰反りの太刀が現れた。
「なっ……!?」
「ついでに鞘も直しておいたぞ」
彼女は新造されたような白木の鞘に、カチンと太刀を納めて大杜に投げ返した。
ずしりとした重みはそのままに、そこにあるのは美術品としての圧倒的な「美」だった。
「お、おい! お前こんなこと出来んのか!?」
「造作もない。我は泥の神ぞ? 鉄(くろがね)の声を聞き、配列を整えるなど、赤子の手をひねるより容易い」
スヒジニはふふん、と自慢げに胸を張った。
薄絹がはだけて際どい谷間が見えるが、今の彼女は後光が差して見える。
「すごい……! これなら売れる! いや、他のガラクタも直せば、修理費どころか一生遊んで暮らせるぞ!」
「現金な奴じゃな。……ほれ、手も出せ」
興奮する大杜の手を、スヒジニが掴む。
パンチの反動で皮がむけ、腫れ上がっていた右拳。
彼女が慈しむように泥を塗ると、ひんやりとした感覚と共に熱が引き、瞬く間に傷が塞がっていった。
「下僕の管理も主の務めじゃ。……よい働きであったぞ、ダイト」
「……どうも」
至近距離。黄金の瞳が、優しく大杜を見つめる。
大杜は顔が熱くなるのを感じ、慌てて視線を逸らした。この女神、距離感が近すぎて調子が狂う。
日が落ち、完全に夜となった山道を、二人は歩いていた。
行き先は、神社の麓にある日本家屋――亡くなった曽祖母が住んでいた、大杜の実家とも言える屋敷だ。
門をくぐり、広い土間を抜けて、二人は奥の和室へと腰を落ち着けた。
「……ふう。とりあえず、今夜はここに泊まってくれ。ばあちゃんの家だ」
「悪くない。木と畳の匂いがする」
スヒジニはちゃぶ台の向かいに座り、薄絹の裾を直した。
月明かりだけが照らす部屋で、彼女の白い肢体がぼんやりと浮かび上がっている。
大杜は目のやり場に困りながら、本題を切り出した。
「で、これからどうするんだ? あんた、その……力を取り戻したいんだろ?」
「うむ。今の我は、空腹で目覚めたばかりの赤子のようなものじゃ。本来の『神』としての威光を取り戻すには、あまりに心もとない」
スヒジニは人差し指を立てた。
「力を戻す方法は、大きく分けて三つある」
「三つ?」
「一つ目は『信仰』じゃ。社を建て、人を集め、崇めさせる。これが最も正当で、かつ安定した供給源じゃな」
「……無理だな。現代でいきなり新興宗教を始めるのはハードルが高すぎる」
「であろうな。我も面倒くさいのは好かん」
彼女はあっさりと認めた。
そして二本目の指を立てる。
「二つ目は『略奪』じゃ。さっきのように荒神や、他の神を倒し、その神気を奪う」
「共食いか」
「掃除と言え。……幸か不幸か、この辺りには澱んだ気配が充満しておる。この家の周りも、ゴミには事欠かんようじゃ」
「マジかよ……」
大杜は顔を引きつらせたが、これに関しては同意せざるを得ない。あの怪物がウロウロしているなら、放っておく方が危険だ。
「当面はこれが主力になるじゃろう。我の食事に付き合ってもらうぞ、ダイト」
「へいへい。修理代と生活費を稼がせてくれるなら、付き合うよ」
「うむ、話が早くて助かる。……して、三つ目じゃが」
スヒジニは三本目の指を立て――そして、妖艶に目を細めた。
ずるり、と。
彼女がちゃぶ台を乗り越え、大杜の方へとにじり寄ってくる。
「おい、なんだよ急に」
「三つ目は、『和合』じゃ」
「わごう?」
「陰陽の理(ことわり)において、男と女は異なる気を持つ。これを交わらせ、魂を混ぜ合わせることで、爆発的な生体エネルギーを生むことができる」
彼女の顔が、目と鼻の先に迫る。
甘い花の香りが大杜の鼻孔をくすぐった。
薄絹の隙間から、豊かな胸の谷間と、白磁のような鎖骨が露わになっている。
「つまり……どういうことだ?」
「分からぬか? おぬしと我が、肌を重ね、一つになるということじゃよ」
スヒジニは事もなげに言った。まるで天気の話しでもするかのように。
大杜の思考が一瞬停止し、次の瞬間、ボンッと音を立てて沸騰した。
「は、はあああ!? つ、つまり、アレか!? セ、セックスのことか!?」
「なんと品のない言葉じゃ。神事と言え、神事と」
スヒジニはクスクスと笑いながら、大杜の膝の上にまたがった。
軽い。だが、確かな女性の重みと体温。
薄絹越しに伝わる肌の感触に、大杜は金縛りにあったように動けなくなる。
「ま、待て! 神様がそんなことしていいのかよ!」
「何を言う。国生みの神話を知らぬか? 神とは交わり、産むものじゃ。それに……」
彼女は大杜の耳元に唇を寄せ、熱い吐息と共に囁いた。
「荒神を喰らうのが『主食』なら、これは『おやつ』のようなものじゃ。劇的な回復は見込めぬが、手軽で、滋養があり、何より……気持ちがよい」
「お、おやつ扱いかよ……!」
「嫌か? 我は美しいぞ? おぬしも男なら、悪い気はせぬはずじゃ」
否定できない。
目の前にいるのは、傾国の美女など比較にならない、正真正銘の女神だ。その彼女が、全裸に薄布一枚で誘惑してきているのだ。
理性が消し飛ぶ寸前だった。
「さあ、ダイト。少し味見をさせてみよ。減るものでもあるまいに」
スヒジニの手が、大杜の胸元に伸びる。
その時。
「わ、わああああああッ!!」
大杜は奇声を上げて、スヒジニを抱えたまま後ろへ転がった。
いや、転がる勢いで彼女を畳の上に優しく押しやり、その場から脱兎のごとく跳ね起きた。
「情けない奴じゃのう。顔が真っ赤じゃぞ?」
「う、うるさい! おやつにされてたまるか! 風呂! 風呂沸かしてくる!」
大杜は逃げ出した。
廊下を走り去る下僕の背中を見送りながら、スヒジニは畳の上で寝転がり、楽しそうに足をバタつかせた。
「ふふっ。初心な反応よ。……まあよい、焦ることはない。夜は毎晩来るのじゃからな」
広い屋敷に、女神の含み笑いが響く。
金策、怪物退治、そして貞操の危機。
物部大杜の受難の日々は、まだ始まったばかりだった。
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