第3話 大学編
大学に進学すると、僕と夏音は初めて別々の道を歩むことになった。
それまで当たり前のように隣にいた存在が、日常からふっと抜け落ちたような感覚だった。朝の登校も一緒じゃないし、放課後に寄り道することもなくなった。気づけば、夏音の声を聞くのは、数週間に一度の電話か、帰省したときくらいだった。
それでも、完全に途切れることはなかった。夏音が課題で困ったときに突然連絡してきたり、僕がくだらない愚痴をこぼすために電話をかけたり。会う頻度は減っても、言葉を交わす瞬間だけは、変わらず心地よかった。
大学生活は、それなりに忙しく、賑やかで、そして孤独だった。僕にも彼女ができた。けれど、心の奥で比較してしまうのは、いつも夏音だった。笑い方や仕草や、何気ない会話の間合い。そのすべてが、幼い頃から積み重ねてきた時間の上にあった。新しい誰かでは埋められないものが、確かにそこにあった。
夏休み、久しぶりに実家へ戻ると、街はいつもの祭りの準備で騒がしかった。浴衣姿の人々が行き交い、屋台の明かりが通りを彩る。その喧騒を横目に、僕は無意識に足を公園へ向けていた。
そして、そこに夏音の姿を見つけた。
「……守」
振り返った夏音は、あの頃と同じように笑った。けれど、どこか大人びて見える横顔が、僕の胸を不思議に締め付けた。
夜空に花火が咲き始める。僕らの公園は相変わらず静かで、遠くの喧騒が嘘のように届かない。空に大輪が開き、音が遅れて響く。その一瞬の間に、胸の奥で隠し続けた言葉が暴れだしそうになる。
「なあ、夏音……」
声をかけようとした瞬間、彼女の方から言葉が飛び出した。
「そういえば最近ね……」
その口調が、いつもと少し違う気がして、僕は黙ったまま続きを待った。
「大学の先輩に告白されたの」
ドン、と大きな花火の音が夜空を裂いた。心臓も一緒に叩き割られたような衝撃だった。
夏音は笑顔を作っているようで、目は真剣だった。
「その人、優しいし、家も裕福だし、みんなから好かれてて……。普通に考えたら、申し分ない人なんだよね」
僕は言葉を失った。目の前にあるのは、長い時間を一緒に過ごしてきた幼馴染の姿。それなのに、知らない未来へ歩き出そうとしているように見えた。
「……守は、どう思う?」
小さな問いかけ。
その声に込められた意味を、僕は理解していた。いや、理解しながらも、認めたくなかった。
本当は「断れよ」と言ってほしいのだ。彼女が最後の力を振り絞って差し出した合図だと、直感でわかっていた。けれど、その瞬間の僕は臆病で、弱かった。
「……そっか。すごい人なんだな」
喉の奥から絞り出したのは、当たり障りのない返事だった。
夏音は一瞬だけ視線を逸らし、そして「そうだよね」と呟いた。夜空を見上げる彼女の横顔に、僕は手を伸ばすこともできなかった。
花火は次々と咲いては散っていく。光の残像が視界に残り、胸の奥がじりじりと焼けるように痛んだ。もしあのとき、勇気を振り絞っていたら。もし言葉を口にしていたら。僕らの未来は、違っていたのだろうか。
けれど、もう遅い。花火の音にかき消された僕の沈黙こそが、答えだった。
「また来年も、ここで見ようね」
夏音はそう言った。僕も、うなずくしかなかった。
夜空に最後の大輪が咲き、闇へと散っていった。
その儚い光を目に焼き付けながら、僕は深く胸を押さえた。
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