第8話:自分自身のコンサルティング
第8話:自分自身のコンサルティング
深夜のオフィスビル、最上階。 鏡張りのエレベーターホールに、サトウの足音が孤独に響いていた。
いつもなら、ここには秘書の淹れたコーヒーの香りが漂っているはずだった。だが今夜、鼻腔を突くのは「虚無」の匂いだ。雨が降り出す直前の、湿ったアスファルトと、埃っぽい静寂が混ざり合ったような、嫌な予感。
「……予約外の来客だ。姿を見せたらどうだ?」
サトウが声をかけると、ホールの突き当たり、月光が差し込む窓際に「彼」が立っていた。 自分と同じ、完璧に仕立てられたネイビーの三つ揃え。自分と同じ、隙のないオールバック。自分と同じ、冷徹な理知を宿した瞳。
「佐藤光紀。お前のコンサルティングは、いつ見ても見事だよ」
影(シャドウ)が口を開いた。声までもが、サトウ自身の鼓膜に響く自分の声そのものだった。 「精霊をなだめ、悪魔を丸め込み、魔術師を懐柔する。だが、一番肝心なクライアントの依頼を無視し続けている。……違うか?」
「私のクライアントは、常に満足して帰宅している。不備はないはずだ」
「嘘をつけ」 影がゆらりと近づく。その動きに合わせ、ホールの鏡に映るサトウの姿が、ボロボロと崩れていくように歪んだ。 「お前が救ってきたのは『損得勘定』だ。だが、お前自身はどうなんだ? 歌舞伎町でナンバーワンになり、経営者として成功し、今や世界の救世主気取りだ。……で、お前の『心』は、いつになったら満たされる?」
「感情は変数だ。定義できないものに投資するのは、経営判断として誤りだ」
サトウは冷たく言い放ち、影の横を通り抜けようとした。 その瞬間、影がサトウの胸ぐらを掴み、鏡に叩きつけた。
ガシャァン! という鋭い破壊音。 背中に突き刺さる鏡の破片の痛み。生温かい血の感触がシャツに染み込んでいく。だが、影の力は物理的なものではなかった。それは、サトウが長年積み上げてきた「論理の城壁」を内側から食い破る、剥き出しの虚無感だった。
「論理、論理、論理……。反吐が出るぜ。お前は、傷つくのが怖いだけだ。誰かに本音を晒して、拒絶されるのが耐えられないから、分厚いロジックの鎧を着込んで、安全な場所から他人を操っているだけだ!」
影の瞳が、真っ赤に燃え上がる。 「お前は、誰よりも『愛されたい』と願っていたあの頃の自分を、地下室に閉じ込めている。……認めろよ。お前がホストを始めたのは金のためじゃない。誰かに、条件なしで『お前が必要だ』と言ってほしかったからだろう?」
「……黙れ」
「論理で返せよ、コンサルタント! この状況をどう打開する? 期待値は? リスクヘッジは? さあ、お得意のプレゼンをしてみろ!」
影の叫びが、ホールの空気を震わせる。 サトウは息を切らしながら、鏡の破片が散らばる床に膝をついた。 頭の中で、今まで救ってきたクライアントたちの顔がフラッシュバックする。精霊、悪魔、魔術師。彼らには完璧な解を出せた。なのに、目の前の「自分」という最も身近な存在に対して、言葉が喉に張り付いて出てこない。
視界が歪む。冷たい汗が目に入り、鉄の味が口の中に広がる。 サトウは、自分の震える指先を見つめた。
「……ああ、そうだ。お前の言う通りだ」
絞り出すような声だった。 「私は、怖かった。論理という武器を持たなければ、私はただの空っぽな人間だとバレてしまう。誰かを救うことでしか、自分の価値を証明できなかった。……私は、私自身に一度も『YES』と言ってやれなかったんだ」
「……」
影の動きが止まった。サトウは顔を上げ、影の瞳を真っ直ぐに見つめた。 それは交渉術(テクニック)ではない。生まれて初めて、鎧を脱ぎ捨てた「生身」の眼差しだった。
「私は、寂しかったんだ。……誰かに、この疲弊した心を見透かしてほしかった。ロジック抜きで、ただ『お疲れ様』と言ってほしかった。……それが、私の、本当の……本音だ」
その瞬間、影を覆っていた禍々しいオーラが、ふっと消えた。 影は、サトウと同じ姿のまま、悲しげな笑みを浮かべた。
「……やっと言ったな。その言葉を、ずっと待っていたんだ」
影が、サトウの肩を優しく叩いた。その感触は、鏡の破片よりも温かかった。 「お前は、他人を救うプロだが、自分を救うのは素人以下だな。……いいか、佐藤。論理は世界を守るが、本音はお前自身を守る。それを忘れるな」
影が霧のように溶けていく。 気がつくと、サトウは静まり返ったホールに一人で座り込んでいた。 鏡は割れておらず、背中の傷も、血も、どこにもなかった。ただ、頬を伝う一筋の涙の跡だけが、現実に起きたことの証左として残っていた。
サトウはゆっくりと立ち上がり、乱れたスーツを、今度は「誰に見せるためでもなく」自分のために整えた。
「……自分をコンサルティングするのは、世界を救うより、よっぽど高くつくな」
彼は窓の外を見た。夜が明け始めている。 紫色の空が、これまでよりも少しだけ、鮮やかに見えた。
「さて……次は、この世界のすべてを懸けた『会議』か」
サトウはスマホを取り出した。画面には、魔界、精霊界、そして人間界の首脳たちが集う「最終交渉」の招待状が届いていた。 今の彼なら、論理を超えた、もっと強い言葉を紡げる気がしていた。
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