第7話:クレーム対応はギフトである
第7話:クレーム対応はギフトである
渋谷のスクランブル交差点が、阿鼻叫喚の坩堝(るつぼ)と化していた。
空は割れた鏡のようにひび割れ、そこから異界の極彩色が滴り落ちている。通行人たちは、虚空から現れた巨大な単眼の怪物や、鱗を持つ精霊たちに腰を抜かし、叫びながら逃げ惑う。 アスファルトからは煮え立つような硫黄の臭いが立ち上り、一方でデジタルサイネージはノイズにまみれ、異界の咆哮をスピーカーから撒き散らしていた。
「……最悪のコンディションだな。五感を同時にハックされるのは、交渉人としては三流の環境だ」
佐藤光紀は、混乱の渦中にあるSHIBUYA109の大型ビジョンの制御室に立っていた。 背後では、怯えきった技術スタッフたちがガタガタと震えている。サトウは乱れた髪を指先で整えると、卓上のマイクを手に取った。
「おい、人間! 貴様らの不浄な電波が我が領土を侵している! 報復としてこの街を蹂躙してやる!」
空の裂け目から、雷鳴のような声が響く。それは異界の武闘派集団『雷牙族』の長だ。地上では、自衛隊の車両と異界の魔獣が睨み合い、今にも戦争が始まろうとしていた。
「——双方、そのまま動かないでください。これ以上動くと、貴方たちの『ブランド価値』が暴落しますよ」
サトウの声が、渋谷中のスピーカーと、異界の住人たちの脳内に直接響き渡った。 低く、よく通る声。それはホスト時代、荒れ狂う客を瞬時に沈黙させた「支配のトーン」だ。
「誰だ、貴様は!」
「佐藤光紀。ただの経営コンサルタントです。……さて、長(おさ)。そして地上で銃を構えている指揮官殿。今、貴方たちが抱えているのは『敵意』ではありません。単なる『情報の非対称性』によるパニックです」
サトウは制御盤を操作し、街中のビジョンに映像を映し出した。 それは、怯える人間の子供と、同じように人間に怯え、角を震わせる異界の子供の対比図だった。
「長、貴方の領土を侵しているのは攻撃信号ではない。人間界の『Wi-Fi』という、貴方たちの魔力に似た微弱なエネルギーです。貴方たちにとって、それは美味しい蜜の匂いに過ぎない。一方、人間たちよ。彼らが現れたのは侵略ではない。扉が開いた拍子に、高級レストランの匂いに釣られて迷い込んだだけだ」
「嘘をつけ! こいつらは牙を剥いているではないか!」
「それは貴方たちが銃を向けているからです。犬だって、銃口を向けられれば牙を剥く。これは『危機管理広報』における初歩的なミスです。互いに、相手が『何のためにここにいるか』を定義できていない」
サトウはマイクを握り直し、少しだけ声を和らげた。
「いいですか。今、ここで衝突すれば、人間界はインフラが壊滅し、異界は『資源の供給源』である人間という資産を失う。共倒れ(ルーズ・ルーズ)だ。……そんな不利益な選択を、誇り高い戦士である貴方たちが選ぶはずがない」
サトウはスタッフに合図を送り、渋谷中のビジョンを「空色」に統一させた。視覚的な鎮静効果を狙った演出だ。
「長、提案です。その溢れ出したエネルギーを、我々の電力網に貸し出してください。引き換えに、我々は最高級の『情報端末』と、異界では得られない『文化エンタメ』を貴方たちに輸出する。これは侵略ではなく、新規市場の開拓(マーケット・エントリー)です」
「……文化だと?」
「ええ。貴方たちの退屈な永劫を、我々の映画や音楽が彩りましょう。クレームは、正しく対処すれば『ギフト』に変わる。この境界の崩壊を、史上最大の『交易開始記念日』に書き換えてみせます。……どうです? 殺し合うより、豊かになる道を選びませんか」
沈黙が街を支配した。 サトウは、マイクを握る手のひらにじわりと汗をかくのを感じていた。論理は通じている。あとは「感情」の着火点だ。
「……佐藤といったか。貴様の言葉には、魔力とは違う『重み』がある。……よかろう。まずはその『文化』とやらを検分してやる。兵を引け!」
空の裂け目が、ゆっくりと閉じ始めた。 魔獣たちは霧のように消え、自衛隊員たちも呆然と銃を下ろす。
パニックが静まり、街に日常の音が戻り始めた。サトウは大きく息を吐き、ネクタイを少しだけ緩めた。
「……ふぅ。広報(PR)で世界を救うのは、コンサルよりも肩が凝る」
スタッフたちが歓喜に沸く中、サトウは一人、静かに制御室を後にした。 エレベーターの鏡に映る自分は、相変わらず冷徹な経営者の顔をしていたが、その瞳には微かな満足感が宿っていた。
「感情を整理し、情報を共有する。……さて、次は自分自身の『影』と向き合う時間のようですね」
彼のスマホに、発信者不明の通知が届く。 そこには、サトウ自身の顔をした男が、暗闇の中で冷たく微笑む映像が流れていた。
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