第5話:NOをYESに変える技術

第5話:NOをYESに変える技術


秋の夜気は、カミソリのように冷たく研ぎ澄まされていた。 港区の一等地、深夜の寺院の境内。静寂を切り裂くように、サトウの革靴が石畳を鳴らす。


「……出たらどうです。マントの裾から古臭い『神秘』の匂いが漏れていますよ」


サトウは立ち止まり、懐から銀のシガレットケースを取り出した。 その瞬間、境内の空気が凍りついた。突風と共に現れたのは、煤けたローブを纏い、古びた樫の杖を手にした老人――魔術結社『銀の盾』の重鎮、クロウリーだ。


「佐藤光紀。貴様の『交渉』という名の詐術、もはや見過ごせぬ。魔界の王や精霊を言葉で騙し、世界の理を歪める不届き者め。今ここで、古の法(ロゴス)に従い、その舌を引き抜いてやろう」


「詐術、ですか。心外だな。私はただ、誰もが納得できる『合意点』を探しているだけですよ」


サトウは落ち着いた手つきでタバコに火をつけた。紫煙が風に流れる。 クロウリーの瞳が黄金色に輝き、樫の杖の先から猛烈な熱量が溢れ出した。


「問答無用! 《炎よ、蛇となりて敵を穿て》!」


放たれたのは、直径三メートルにも及ぶ紅蓮の炎蛇だ。アスファルトを溶かし、周囲の空気を瞬時に奪い去る圧倒的な破壊の奔流。 だが、サトウは一歩も動かない。ただ、煙を吐き出しながら、冷ややかな視線で炎の軌道を見つめていた。


「——クロウリーさん。貴方、昨夜はあまり眠れなかったでしょう? 左の肩、相当凝っているはずだ」


「何……!?」


炎の蛇が、サトウの喉元数センチで霧散した。 魔術を放った本人の集中力が、あまりに唐突な「私的な指摘」によって乱されたからだ。


「いきなり魔術を放つ際、貴方は右足の踏み込みが甘い。それは腰痛を庇っている証拠だ。古風な魔術師として伝統を守るのは結構ですが、御年八十を超えてその重厚なローブは、今の貴方の骨密度にはリスキーすぎる」


「黙れ! 貴様、魔術も使えぬ身で、我が術を分析したというのか!」


「分析? いいえ、これは『観察』です。そして——貴方への『配慮』だ」


サトウは杖を構え直す老人へ、あえて無防備に近づいた。 相手のパーソナルスペースをあえて踏み越え、威圧ではなく「親愛」の距離感(ラポール)を強引に構築する。


「貴方が私を殺したいのは、世界の理を守るためじゃない。自分の居場所を奪われるのが怖いからだ。論理とビジネスが支配する現代に、貴方の愛する『神秘』が居場所を失うことを、貴方は誰よりも危惧している」


「……貴様に何がわかる! 神秘は秘匿されるからこそ尊い! お前のように市場(マーケット)にさらけ出し、切り売りする男に!」


クロウリーが再び杖を振り上げた。今度は雷光が奔る。 サトウはあえて目を逸らさず、老人の孤独な瞳を真っ直ぐに射抜いた。


「切り売りしているんじゃない。価値を『再定義』しているんです。クロウリーさん、貴方のその膨大な知識、そして『伝統』という名の信頼。これは現代において、何よりも高価な資産だ。貴方の結社、最近は後継者不足に悩んでいるでしょう?」


雷光が、パチパチと音を立てて小さくなった。 サトウは老人の肩に、そっと手を置いた。


「貴方の『NO』は、私への拒絶ではない。自分たちの価値を理解しない世界への悲鳴だ。……私と組みませんか? 貴方の魔術を『無形文化財』として、あるいは『超高級セラピー』としてブランディングしましょう。貴方が守りたかった弟子たちに、最高級の教育環境と、世間からの正当な評価を約束する」


「……馬鹿な。私は、お前を殺しに来たのだぞ」


「殺すよりも、救う方が難しい。そして貴方は、本来『救う側』の人間のはずだ。そうでなければ、先ほどの炎蛇に、殺意以上の『躊躇』が混じるはずがない」


サトウの指先から伝わる体温。そして、一切の敵意を排除した「傾聴」の姿勢。 魔術師の強固なガードが、論理ではなく「共感」という名のウイルスに感染し、崩れていく。


「……フン。口の減らない男だ。お前の言う通り、確かにこのローブは、最近の私には少しばかり重すぎる……」


クロウリーは深く溜息をつき、杖を収めた。境内の温度が、ようやく秋の冷たさに戻る。


「私の結社の財務諸表を、明日までにまとめておけ。……嘘があれば、その時は本当に灰にしてやる」


「承知しました。最高のコンサルティングを披露しましょう。……あ、それと。その腰痛には、私が馴染みのカイロプラクティックを紹介しますよ。驚くほど『神秘的』に治りますから」


サトウは立ち去る老人の背中を見送り、最後の一服を吸い切った。 指先に残る熱と、かすかな硫黄の匂い。


魔法も奇跡も、その根源にあるのは「他者と繋がりたい」という、剥き出しの感情だ。 それさえ解明できれば、どんな絶望(NO)も、合意(YES)へと変換できる。


「さて……次は『過去』からの請求書(クレーム)の処理か」


サトウのスマホに届いた一通の通知。そこには、数年前に歌舞伎町で別れたはずの、懐かしくも恐ろしい「香水の名前」が記されていた。


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