第4話:Win-Winの地獄契約

第4話:Win-Winの地獄契約


深夜二時。

西新宿のオフィスは、異常なほど重かった。


室温は一定のはずなのに、空気が肺に沈み込む。

まるで見えない重力が、部屋そのものを押し潰そうとしているかのようだ。


佐藤光紀の対面に座る巨漢。

魔界の不動産デベロッパー――ゲヘナ・ホールディングスCEO、バアル。


不自然に仕立てのいいスーツ。

その下に隠しきれない圧倒的な質量。

背後には、影が凝固したような二人のボディーガードが控え、オフィス全体を魔力で封鎖していた。


「佐藤光紀」


バアルが低く笑う。


「噂は聞いている。

 だが交渉の余地はない。

 この新宿の地脈は、我が社の魔力発電所に最適だ」


机の上のコーヒーカップが震え、黒い液体に波紋が走る。

微かに硫黄の匂い。


「買収? 違うな。

 これは――接収だ」


サトウは騒がない。

無造作に書類を揃え、万年筆をデスクに置く。


その音は、静かだった。

だが、やけに重く響いた。


「バアルCEO。

 貴方のやり方は、あまりに前時代的です」


「……何だと?」


「力で奪う。

 それは略奪であって、ビジネスではない。

 ――そして、何より美しくない」


空気がさらに重くなる。

ボディーガードの影が蠢いた。


「誤解しないでください。

 私は貴方を否定しに来たのではない。

 貴方の利益を最大化するために、ここにいる」


サトウは、プロジェクターを起動させた。

壁面に映し出される魔界の経済指標と、人間界の成長曲線。


「正直に申し上げます。

 この接収計画――赤字確定です」


「貴様……!」


「一時的なエネルギー供給は安定するでしょう。

 しかしその代償として、人間界の文明は崩壊する」


サトウは淡々と続ける。


「それはつまり、

 金の卵を産む鶏を、卵欲しさに絞め殺す行為だ」


「人間界など不要だ!

 我らは魂を喰らい、恐怖を糧にする!」


「そこが、古い」


サトウは立ち上がり、ゆっくりとバアルの背後へ回る。

パーソナルスペースを侵食し、主導権を奪う位置取り。


「今の人間は、死を恐れません。

 彼らが恐れているのは、

 承認されないこと、孤独、そして“切断”です」


「通信制限。

 社会的孤立。

 可視化されない無価値」


サトウは振り返った。


「貴方たちが売っている“古典的恐怖”は、

 もはや低品質なエネルギーしか生みません」


バアルが目を細める。


「……では、何をしろと言う」


「共有です」


サトウが指を鳴らす。


スライドが切り替わり、

魔界建築とスマートシティが融合した都市の完成図が映し出された。


――次元間特区:スマート・ヘル・シティ構想。


「奪うのではなく、共に使う。

 この新宿に、魔界と人間界を繋ぐエンターテインメント・ハブを建設します」


「人間は、ここでスリルと非日常を消費する。

 自ら金を払い、列を作り、SNSに投稿しながら」


「その過程で生まれる

 良質なストレス、羨望、比較、承認欲求――

 それを、貴方の会社が回収・精製する」


サトウは静かに言った。


「破壊ではなく、搾取されていることに気づかせない支配です」


バアルの瞳に、疑念と欲が交錯する。


「……数字は?」


「暴力的支配の十二倍。

 持続性は比較になりません」


サトウは、囁くように続けた。


「魔界のボードは、貴方をこう評価するでしょう。

 ――“歴史上、最も効率的な地獄経営者”だと」


沈黙。


やがて、バアルは拳をデスクに叩きつけた。

だが、それは破壊ではなかった。


「……面白い」


低く、笑う。


「佐藤。

 お前は、人間にしておくには惜しい」


「よく言われます」


「契約書を出せ。

 ノルマを一日でも下回れば、お前の魂を

 我が社サーバーの冷却材にするがな」


「合理的ですね」


サトウは真新しい契約書を差し出した。

バアルのペンが走る。

インクは血のように赤い。


署名が終わった瞬間、

オフィスを覆っていた重圧が、嘘のように消えた。


バアルは満足げに立ち上がり、影の中へ消える。

硫黄の匂いが薄れ、ベルガモットの香りが戻った。


サトウは椅子に深く腰掛け、冷めたコーヒーを一口飲む。


「……これで、新宿の再開発は“魔界公認”だ」


窓の外には、何も知らない夜景。

その一つひとつが、すでに契約済みのエネルギー源だ。


「感情を数字に。

 恐怖を利益に」


サトウは、ガラスに映る自分の笑みを見つめた。


「さて……次は、どこと合併しますか」


月の光が一瞬、

その笑みを牙のように鋭く照らしていた。

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