9.工房
「ねえ、そろそろ休憩しなよー」
工房の奥から聞こえる
「はい、お疲れー」
言って亜希が、冷たい麦茶を運んできた。乾いた喉を、香ばしい水分が潤していく。
「もうすぐ来るんだっけー、
「ああ。じゃないかと思う。毎度そこまでしなくても、いいのにな」
「いいんじゃない? あんな不出来だった教え子が育つの、何だかんだで嬉しいんだよ」
不出来は余計だと思ったが、実際その通りだったので、苦笑するに留めた。
靴づくりの専門学校に入ろうなどと思ったのは、まったくの偶然だった。進路を決めないまま高校を出た俺は、すぐにでも就職をしろと周りから尻を叩かれ、いやいや就活道具を揃えていた。その過程で、俺はその靴と出会った。
ショーケースに並んだそれは、すらりとしていてどこか堅牢なで、同時に静謐な雰囲気もあり、思わず手にしみたくなるようなつくりをしていた。そしてそれは、今まで見たことのない純な光沢をまとって、整然と俺を見つめ返していた。
弟子入りは断られたが、学校を紹介してもらえた。俺は親に頼み込み、就職の代わりに人が違ったようにバイトを詰め込み、合間に忘れていた勉強をした。
それでも、全然足りなかった。せめて学生であったなら、学費軽減を狙えたのにと、何度悔やんだか分からない。それでも俺は、今度こそはあきらめなかった。
そんな俺の心変わりを親は一時的なものとしか思っていなかったようだ。けれど、最後に背中を押してくれたのは、普段めったに家に寄り付かない、じいちゃんだった。
「いい目をするようになったな。祝いだ」
そうして俺は、切符を手にした。涙で前が、見えなかった。
亜希は同じ専門学校の出身で、不出来なもの同士、言葉を交わすうちに親しくなった。卒業を機に、俺たちは、石材職人だったという亜希の祖父が残した小屋を借り、がむしゃらに作り、売り込み、修業した。
ただ、その小屋が古かった。めったに台風が来ない地域だったのに、去年大型台風が直撃し、飛翔物により破損した屋根を見て、俺たちは新しい場所に移ることを決めたのだ。
同時に、お互いを生涯のパートナーとすることも。
新しい店舗兼工房は、亜希が育った小さな町の一角にある。地味だが、しっかりしたつくりなのと、スペースが広いわりに立地的に安いことが決め手だった。
そんな俺たちの門出を祝って、専門学校時代の恩師・加賀先生から、祝いの品が届くという。
互いに手を止め談笑していた俺たちは、視界の隅に軽トラックを認めて、そちらを振り返った。
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