8.店舗

 ほかにいろいろ選択肢はあったのだけれど、私にはこの仕事が合っていたのだと思う。見た目とは違って重労働だし、長時間労働だし、寒い時期になってくると毎年指は悲惨なことになっているし、市場のある日は、深夜に近い時間から車を走らせなければならない。そして当然、正社員としての責任もある。


「フラワーショップ negai」。もう少し言えば、白浪しろなみ店。


 大きくないけれど、小さな町で、言われればたぶんそこそこの人が、ああ、あそこかと思い出すんじゃないかと思う。それが、今私が働いている店舗の名前だ。


 結婚記念日に奥さんに贈りたいけれど、何を贈っていいのか分からないという、一見気難しそうな四十代くらいの男性が、お客様だ。怖い顔をしているけれど、もしかしたら照れ隠しかもしれない。そういう人は、意外に多い。

 

 気づかないふりをして予算を聞いて、おおまかなイメージを少しずつ拾い上げる。

 頭の中で在庫と状態、色と色を組み合わせていく。どの角度から見ても美しく見える、四方見の構図を最速で考える。同時に、接客担当のアルバイトの美香みかちゃんに作業中に出しておく指示も、同時に考える。


 大口のリースの注文も入っているし、表の生花の管理もまだ終わっていない。

 目が回るとまでは行かないけれど、やっぱり忙しい。けれどその忙しさが、私が強くなっていく証のような気がして、美香ちゃんとたまに愚痴を言いあいながらも、それでも私は好きだった。


 明日は、朝から大荷物の配達がある。花屋は、重労働。

 細く見えても、私の腕の力は、意外と強い。



 帰って、資格試験の勉強をしていると、あの頃のことを思い出すことがある。

 突然現れて、突然いなくなってしまった男の子のことを。


 裏切られたって思った。悲しくて悔しくて、何も手につかなくなりそうになった。

 それでも私は、現実に向き合わなければいけなかった。このまま変われない自分なんて、絶対に嫌だった。だから、頑張ってたし、頑張った。

 短歌はそんな私の、唯一の息抜きだった。


「景色が、素材になるんだよ」


 そんなことを言ったことがある。


「何でもない景色が、言葉に変わるの。すごくない?」と。

 あのときユウくんと呼んでいたあの子は、どんな顔をしていただろう。


 二人で初めて作ったあの歌は、あのときのノートにつづられたまま、今も私の机の引き出しで、眠っている。


 




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