4.歌

 私は、同時に何か複数のことに気を配るのが苦手だ。だからそこに、男の子が立っていることに、私が気が付くのにいくらか時間はかかっていたんだと思う。

 

 どうしても煮詰まってしまって、ふと顔を上げたとき、ばっちりと視線が合ってしまった私は、思わず短い悲鳴を上げた。けれど制服姿のその男の子は、私よりも焦った様子で、とりあえず静かにしてくれとでも言いたげに、半分謝るようなジェスチャーをした。その子も驚いていたようなので、私はひとまずそうすることにした。そしてよく見たら、脇の部分に数冊の本を抱えていて、視界に入ったその見覚えのある表紙を見た私は、彼への警戒心が一気に緩むのを感じた。


「・・・・・・好きなんですか?」


「・・・・・・は?」

 

 私の地声は、小さい。いつものように聞き返されて、私は強めに言葉を発した。


「短歌・・・・・・。それ、歌集・・・・・・」


 まるで言われて初めて気が付いたように、男の子が抱えていた本の背表紙を見やる。一冊落としそうになるのを、慌てて持ち直す。

 あれ、違ったんだろうか。何度も見返した本だからついついそう言ってしまったのだけれど。「あ、ああ。これね」と、彼は狼狽えた様子で、曖昧な返事をした。


 彼の嘘が、今なら分かる。けれどずっと一人だった私は、少しだらしない空気をまとっているけれど悪意を感じない彼に向っていつもより少し大胆に、次の言葉を重ねていた。


「私、私も好きなんです。あの、今度のコンクール、知ってますか? 私、それに出したいって思ってて、けどどうしてもあと少しでなんか納得いかなくて」


 同じ趣味の子を、見たことがなかったから。二年生になってからは、ここにずっと一人だったから。今思うと初対面の男の子相手によくそんなことができたなと思うけど、私は相手の反応も構わず、そんなことを矢継ぎ早に話しかけていた。

 

「あの時は」と、後になって三津みとくんは言った。

「ちょっとやばいやつかと思った」と。


 失礼なと思ったけれど、言われてみれば、そう思われても仕方がなかったのかもしれない。クラスは違っていたけれど、普段教室の隅で気配をけしている、変な言い方だけど、地味なことだけが取り柄の私が、いきなり一気に話しかけてきたんだから。


 そして、臆病なくせに一度スイッチが入ると強引なところがある私は、そんな三津くんの手を引きかねない勢いであちこち開かれた本が並んだ席に呼んだ。そして、反応も待たずに、手元のノートを差し出した。


 そこには、こう書いていた。


 「風が  独りよがりのきみさえも 月が満ちても 苦しい夜は」


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