第16話 何かがズレ始める夜



私は、

言われるまま

コンビニで水を買った。


レジを出て、

夜の空気に一瞬だけ触れてから、

また車に戻る。


彼に水を渡す。


「ありがとう。」


それだけ言って、

彼は静かに車を走らせた。


街灯の少ない道。

音のしない住宅街。

人の気配が消えていく。


——私は、

そこでやっと気づき始めた。


この車は、

どこかへ向かっているんじゃない。

人のいない場所を探している。


車が止まる。

周囲には、

何もない。


彼はエンジンを切り、

少し間を置いてから

後ろを振り返った。


——その瞬間、

空気が変わった。


さっきまでの

「久しぶり」という声は、

もうなかった。


私は、

何も言わなかった。

言えなかった。


時間は、

静かに過ぎていった。


やがて、

彼は車の外に出た。


——そこで、

ようやく分かった。


さっき買った水は、

喉を潤すためのものじゃなかった。


私は後部座席に座ったまま、

その事実を

ただ受け取っていた。


何かが、

はっきりと

ズレてしまった夜。


それは音もなく、

でも確実に、

私の中に残った。

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