第15話 乗った理由



「みほちゃん、久しぶり!」


その一言で、

夜の音が少し遠のいた。


私は、

断る準備も、

ついていく準備も、

どちらもしていなかった。


——ただ、

立ち止まってしまった。


アキトくんは、

急かさなかった。

ドアも開けない。

腕も伸ばさない。


彼の運転するトヨタ車は、

車が行き交う道路の脇で、

私に声をかけるためだけに

静かに止まっていた。


彼は言った。


「みほちゃん、久しぶりだし。

寒いから車乗ってよ。

お話しよ!」


命令でも、

お願いでもない。

軽い誘い。


私は、

そのまま車に乗り込んだ。


場所は、後部座席。


——それを選んだのは、

無意識だった。


車内には、

バニラ系のムスクの芳香剤の匂い。

甘すぎず、

でも確かに残る香り。


前回と同じように、

彼は人気のない道へ

車を走らせる。


会話は少なく、

ラジオもつけない。


——夜が、

また静かになる。


途中で、

コンビニに寄った。


「みほちゃん、

お金渡すからさ。

1リットルの水、買ってきて。」


私はうなずいて、

ドアを開けた。


——この時、

まだ私は

この夜がどこへ向かうのか

考えていなかった。


ただ、

言われた通りに

水を買いに行った。


それだけだった。

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